第75話 狂戦士
第75話 狂戦士
効いている。
確実に効いている。
吸血鬼は無敵ではなかった。
聖域。
聖水。
神聖魔法。
それら全てが重なったことで、ようやくキールを追い詰め始めていた。
しかし――
キールは笑った。
苦しげな表情を浮かべながらも、その紅い瞳にはまだ光が残っている。
「中々……侮れませんね」
穏やかな声。
だが、その声の裏には僅かな焦りが混じっていた。
焼け爛れた胸部。
聖水によって阻害された再生能力。
胸を貫く神聖魔力。
傷が塞がらない。
いや、塞がる速度よりも破壊される速度の方が速い。
あと数十秒。
あと数分。
その程度の時間が経てば、本当に終わっていた。
吸血鬼になってから、ここまで追い詰められたのは初めての事だった。
⸻
だが。
キールの瞳が妖しく輝く。
視線の先にいたのはカノンだった。
「っ……!?」
一瞬。
カノンの意識が揺らぐ。
世界が赤く染まった。
甘く優しい声が脳内へ響く。
逆らわなくていい。
従えばいい。
それが当然だと囁く誘惑。
吸血鬼の邪眼。
魅了。
カノンの瞳から感情が消えた。
無表情のままナイフを抜く。
狙いは――ガイアス。
「まずい!」
シオンが叫ぶ。
だが間に合わない。
カノンの腕が振り上げられる。
その瞬間だった。
「浄化の光!」
ノーラの杖が輝く。
白銀の光が降り注ぎ、邪悪な魔力を焼き払った。
「はっ……!?」
カノンが我に返る。
背筋を冷たい汗が流れた。
今、自分は仲間を殺そうとしていた。
⸻
だが。
その一瞬の隙だった。
バンッ!!
乾いた破裂音。
血液の結晶が弾丸のような速度で飛翔する。
「きゃああっ!!」
ノーラの肩を貫いた。
鮮血が舞う。
神官の身体が吹き飛び、地面を転がった。
「ノーラ!」
シオンが叫ぶ。
しかしキールは既に次の標的へ向かっていた。
⸻
エリス。
蒼穹の旅団最大火力。
最優先で潰すべき存在。
「来るな!!」
轟炎が立ち上がる。
巨大な炎の壁。
灼熱の防壁。
だが――
ドゴォォォォォン!!
キールは正面から突っ込んだ。
爆炎を引き裂く。
炎を力任せに押し退ける。
「なっ――」
次の瞬間。
拳が腹部へ突き刺さった。
ズドォォォォォン!!
エリスの身体が吹き飛ぶ。
木々を薙ぎ倒しながら森の奥へ消えていった。
やがて動かなくなる。
戦闘不能。
蒼穹の旅団の主砲が沈んだ。
⸻
「余裕こいてる場合じゃねぇな」
ガイアスが低く呟く。
その瞳には覚悟が宿っていた。
「カノン」
「仲間を連れて下がれ」
「ガイアス……!」
カノンの顔が青ざめる。
その言葉の意味を理解したからだ。
⸻
ドクン――
大地が脈打った。
漆黒の魔力が噴き上がる。
黒い鎧がガイアスを包み込む。
赤く輝く瞳。
悪魔を思わせる角。
禍々しい全身甲冑。
狂戦士。
バーサーカー。
理性と引き換えに得る絶対的な破壊力。
「ガァァァァァァァァ!!」
咆哮が森を震わせた。
木々が揺れ、大地が軋む。
⸻
「行くぞ」
消えた。
そう見えた。
次の瞬間にはキールの目の前。
大剣が振り下ろされる。
ドガァァァァァン!!
血液の鎧が砕け散る。
左腕が吹き飛ぶ。
肋骨が粉砕される。
地面が陥没した。
「これは……!」
キールの笑みが消える。
「少々きついですね」
影の触手が襲い掛かる。
だがバーサーカー化したガイアスは止まらない。
一閃。
二閃。
三閃。
触手が瞬く間に切り裂かれていく。
そして。
ズドォォォォォン!!
大剣がキールの胸を貫いた。
「ぐっ……!」
吸血鬼の顔が苦痛に歪む。
⸻
「聖なる加護を!」
回復したノーラが杖を掲げる。
白銀の光が大剣へ流れ込む。
神聖魔力付与。
刃が眩く輝いた。
ジュゥゥゥゥゥ!!
キールの胸から黒煙が噴き上がる。
再生が止まる。
聖域。
聖水。
神聖付与。
三重の対策。
超回復が完全に封じられていた。
「くっ……」
キールの顔が歪む。
「流石に……多勢に無勢は厳しいですね」
⸻
勝てる。
カノンは確信した。
あと一歩。
本当にあと一歩だった。
⸻
その瞬間。
ノーラが違和感を覚えた。
聖域の端。
白銀の結界が僅かに揺らぐ。
まるで何かが通り抜けたように。
だが破壊された形跡は無い。
傷一つ無い。
魔力の乱れも無い。
⸻
その瞬間だった。
⸻
キィィィィィン――
⸻
澄み切った金属音が夜の森に響く。
⸻
ガイアスの大剣が弾かれた。
⸻
「なっ……!?」
⸻
誰も理解できない。
何が起きたのか。
⸻
ただ一つ。
そこに誰かが立っていた。
⸻
黒い着流し。
腰の刀。
長い黒髪を後ろで束ねた男。
若く見える。
だが、その瞳には長い年月を生きた者だけが持つ深みが宿っていた。
黒い着流し。
腰の刀。
長い黒髪を後ろで束ねた男。
若く見える。
だが、その瞳には途方もない年月を生きた者だけが持つ深みがあった。
「そんな……」
ノーラが絶句する。
「聖域を……通った……?」
⸻
「うむ」
男は肩に刀を担ぐ。
「苦戦しとるようじゃのう」
まるで散歩の途中で声を掛けたかのような口調。
キールが苦笑した。
「助かりました」
「流石にもう少しで死ぬところでしたよ」
⸻
ガァァァァァァァ!!
ガイアスが突撃する。
理性は無い。
敵を殺す。
ただそれだけ。
⸻
男は動かない。
ただ半歩だけ踏み込んだ。
⸻
一閃。
⸻
誰も見えなかった。
⸻
ガイアスの魔剣が崩れる。
鎧が裂ける。
肩口から胸元まで深い斬撃が刻まれる。
さらに。
ガイアスの背後に並んでいた巨木十数本が同時に両断された。
⸻
ズシン――
⸻
巨体が崩れ落ちる。
バーサーカーが。
キールを追い詰めた男が。
たった一太刀で沈められた。
⸻
男は静かに刀を納める。
「うむ」
「まだまだ踏み込みが甘い」
⸻
圧倒的。
⸻
その一言に尽きた。
⸻
カノンの背中を冷たい汗が流れる。
シオンは震える手で弓を握る。
ノーラは言葉を失う。
エリスも顔を青ざめさせる。
⸻
吸血鬼キール。
そして。
その上に立つ無名の剣豪。
⸻
蒼穹の旅団は理解した。
自分達は――
とんでもない怪物達の縄張りへ足を踏み入れてしまったのだと。
――続く。




