第58話 平穏を守る力
第58話 平穏を守る力
翌朝。
クロエは屋敷のテラスで一人、湯気の立つコーヒーを飲んでいた。
朝日が森を照らし、柔らかな風が黒髪を揺らす。
昨日まで廃墟同然だった屋敷は、今や別物になりつつあった。
見張り台。
防壁。
監視塔。
地下倉庫。
地下工房。
森の各所には警戒拠点まで建設されている。
そして庭の向こう側には、広大な畑が広がっていた。
グール工作兵団が鍬を振るい、グール歩兵達が資材を運搬している。
誰一人として文句を言わない。
疲れない。
眠らない。
休まない。
まさに理想的な労働力だった。
「……順調ね」
クロエは小さく呟く。
だが。
表情は決して明るくなかった。
むしろ逆だった。
金色の瞳は、遠くを見つめている。
⸻
昨日。
アースドラゴンと遭遇した。
あれは間違いなく災害級だった。
普通の冒険者では話にならない。
軍隊が必要になる。
いや。
軍隊ですら足りないかもしれない。
そして。
アースドラゴンだけではない。
この世界にはまだまだ危険な存在がいる。
教会。
聖女。
王国。
魔塔主。
他国の英雄達。
神話級の魔物。
伝承に残る魔王。
未知の脅威はいくらでも存在している。
クロエは静かに息を吐いた。
「平穏に暮らしたいだけなのに……」
だが。
平穏は願うだけでは手に入らない。
守る力が必要だ。
誰にも奪われないだけの力が。
⸻
「なら、作るしかないわね」
クロエは立ち上がった。
その金色の瞳が妖しく輝く。
次の瞬間。
巨大な闇が広がった。
空間そのものが歪む。
無数の棺が浮かび上がる。
魂の保管庫。
冥界へ繋がる死者の軍勢。
「開放」
闇の中から次々と影が現れる。
一体。
二体。
十体。
百体。
千体。
そして。
二万体。
⸻
グール歩兵部隊。
グール重装兵団。
グール狙撃兵団。
グール突撃兵団。
グール砲撃部隊。
グール諜報部隊。
グール暗殺部隊。
それぞれが整然と並ぶ。
圧巻だった。
森そのものが軍隊に埋め尽くされる。
「にゃあ……」
ユナが絶句していた。
「増えてるにゃ……」
「二万体くらいかしら」
「くらいじゃないにゃ!!」
キールまで口を開けて固まっている。
「な、なんだこれ……」
クロエは気にしない。
淡々と命令を下していく。
「歩兵部隊は森の巡回」
「狙撃兵は見張り台へ配置」
「諜報部隊はイステリア、ロレント、王都へ潜入」
「暗殺部隊は待機」
「重装兵団は屋敷防衛」
「工作兵団は鉱山開発を優先」
グール達は即座に動き始めた。
無駄な動きは一切無い。
まるで巨大な機械のようだった。
⸻
午後。
廃鉱山。
そこでは更なる変化が起きていた。
グール工作兵団が坑道を拡張している。
採掘用レール。
昇降機。
運搬路。
地下倉庫。
そして。
巨大な溶鉱炉。
「完成しました」
工作兵団長が報告する。
魔鉱石。
ミスリル。
鉄鉱石。
宝石。
全てが精製可能になる。
「良いわ」
クロエは頷く。
「鍛冶場も作りなさい」
「武器と防具の生産を開始するわ」
「了解」
次々と工房が増設されていく。
武器工房。
防具工房。
魔導具工房。
宝石加工場。
もはや鉱山というより地下都市だった。
⸻
屋敷へ戻ると。
今度は大型兵器の製造が始まっていた。
魔導戦車。
魔導装甲車。
魔導輸送車。
対空砲台。
防空システム。
自動迎撃砲。
グール工作兵団は休むことなく組み上げていく。
森の中に隠された巨大要塞。
外から見れば古びた屋敷。
しかし。
内部は既に一国の軍事基地だった。
「クロエ……」
ユナが引き気味に呟く。
「これ、本当に冒険者の拠点かにゃ?」
「冒険者よ?」
「嘘だにゃ」
⸻
夕方。
キールが畑を走り回っていた。
最近はかなり元気になっている。
血色も良くなった。
二十年以上続いた飢えから解放された影響だろう。
「クロエー!」
「見て見て!」
巨大なカボチャを抱えている。
クロエは苦笑した。
「落とさないでよ」
「大丈夫だ!」
その時だった。
ズシン――。
地面が揺れた。
全員の動きが止まる。
ユナの獣耳がピクリと動いた。
「……今の」
再び。
ズシン――。
今度は更に大きい。
コーヒーカップが震える。
窓ガラスが揺れる。
森の鳥達が一斉に飛び立った。
クロエの表情が消えた。
「……来たわね」
静かな声。
ユナが息を呑む。
「まさか」
次の瞬間。
轟音。
畑の中央が爆発した。
土砂が空高く吹き飛ぶ。
大地が裂ける。
巨大な黒褐色の爪。
鉱石のような鱗。
そして。
黄金色の巨大な瞳。
アースドラゴンだった。
体長二十メートルを超える巨体が地中から姿を現す。
大地そのものが持ち上がったような錯覚。
圧倒的。
それ以外に表現が無かった。
アースドラゴンは巨大な鼻を鳴らす。
そして。
真っ直ぐクロエを見た。
昨日。
口内を吹き飛ばされた恨みを忘れていない。
狩人として。
捕食者として。
自ら獲物を狩りに来たのだ。
「グォォォォォォォォォッ!!」
咆哮。
衝撃波が森を揺らす。
見張り台が軋む。
畑が吹き飛ぶ。
キールが青ざめた。
「ドラゴンだぁぁぁ!?」
ユナも戦慄している。
「来るにゃ!」
だが。
クロエだけは冷静だった。
ゆっくりと前へ出る。
金色の瞳が細まる。
「総員戦闘配置」
グール軍団が一斉に動き出した。
戦車が砲身を向ける。
対空砲が旋回する。
狙撃兵が見張り台へ走る。
重装兵団が防衛線を形成する。
だが。
クロエは知っていた。
それだけでは足りない。
この怪物を倒すには。
もっと別の力が必要だ。
⸻
クロエは静かに目を閉じた。
意識を深く沈める。
魂の海。
無数の棺が並ぶ死者の墓標。
99999の棺。
その中から。
一つの棺を見つける。
第634番。
古びた木製の棺。
異様な静寂を纏う棺。
クロエは手を伸ばした。
「第634番の棺――開放」
棺がゆっくりと開く。
白い霧が溢れ出す。
そして。
一人の男が姿を現した。
袴姿。
腰には一本の刀。
長い黒髪。
静かな眼差し。
アンデッドとは思えないほど生者に近い存在感。
神刀――草薙剣。
かつて。
妻と娘を守る為に八岐大蛇を斬り伏せた男。
歴史に名を残さなかった。
無名の剣豪。
彼は静かにアースドラゴンを見上げた。
そして。
わずかに口元を緩める。
「ほう……」
その一言だけで。
空気が変わった。
神話の時代を生きた最強の侍が。
今、目を覚ました。
――続く。




