第55話 幽霊屋敷の少年
第55話 幽霊屋敷の少年
深夜。
森の中では、紫色の魔力光が静かに揺れていた。
古びた屋敷。
その周囲では、グール工作兵団が無言で作業を続けている。
壊れた壁の補修。
崩れた床板の張り替え。
屋根の修復。
地下工事。
更には、防壁や狙撃地点の建設まで始まっていた。
静かな森に、工具音だけが響いている。
⸻
「なんか……凄いにゃ……」
ユナは、窓からその光景を見下ろしながら呟いた。
アンデッド達は一切休まない。
無言。
無表情。
淡々と工事を進めている。
その光景は不気味なのに、どこか安心感もあった。
「このままだと、本当に要塞になりそうにゃ」
クロエはソファに座りながら、紅茶を口にする。
「するわよ?」
「敵が来るのは確実だもの」
魔王候補。
国家級指名手配犯。
教会の討伐対象。
もう普通の生活は戻らない。
ならば。
戦える拠点が必要だった。
⸻
その時だった。
『……出て行け』
低い声。
屋敷のどこかから響いた。
ユナの耳がピクリと震える。
「にゃっ!?」
『この屋敷は僕の一族のモノだ』
『よそ者が勝手に敷地へ入るな』
冷たい声。
だが、幼い。
子供の声だった。
ユナが青ざめる。
「こ、これが噂の幽霊かにゃ……!?」
ウェアウルフの耳をぺたんと倒しながら、ユナがクロエの後ろへ隠れる。
どうやら幽霊は苦手らしい。
クロエは紅茶を置くと、小さくため息を吐いた。
「ちゃんとお金を払って買ったんだから、今は私のモノよ?」
淡々と返す。
「何なら権利証も見せましょうか?」
『黙れ!!』
声が怒鳴った。
『そんなもの、僕は了承していない!!』
『今すぐ出て行かないなら、痛い目に遭うことになるぞ!!』
クロエは呆れた様に眉を下げた。
「……話の通じない子供ね」
『バカにするな!!』
次の瞬間。
轟ッ!!
グール工作兵の一体が吹き飛ばされた。
「っ!?」
ユナが目を見開く。
何かが見えない。
だが。
黒い霧の様な影が、高速で屋敷の中を横切った。
壁。
天井。
床。
縦横無尽に駆け回る。
「すばしっこいガキね」
クロエの金色の瞳が細まる。
そして。
「ミサ」
『はぁい♪』
「……あの子供を捕まえて」
クロエは少し間を置いて付け加える。
「優しくね」
『しょうがないわねぇ』
次の瞬間。
空間が歪んだ。
見えない無数の腕が、闇の中へ広がっていく。
『っ!?』
声が慌てた。
『な、何だ!?』
『つ、掴まれてる!?』
ジタバタと暴れる気配。
そして。
見えざる手によって、黒い影が引きずり出された。
⸻
それは。
金髪の美少年――いや、子供だった。
年齢は十歳前後。
白いシャツ。
黒い短パン。
真っ白な肌。
血の様に赤い瞳。
そして。
口元には、小さな牙が覗いていた。
「な、何すんだ侵入者め!!」
子供は宙吊りのまま暴れる。
「僕はこの屋敷の主!!」
「キール・ウェストン様だぞ!?」
クロエは、その姿を見ると困ったようにため息を吐いた。
そして。
ユナと目を合わせる。
「……子供じゃない」
「にゃ……ヴァンパイアにゃ?」
クロエは静かに頷いた。
だが。
殺気は向けない。
むしろ。
しゃがみ込んで、キールと視線を合わせた。
「私達が勝手に、貴方の家へお邪魔しちゃったみたいね」
優しい声。
キールが警戒したまま睨み返す。
「でも、私達も家が無くて困ってるの」
「もし良ければ、住まわせてくれないかしら?」
クロエは静かに微笑んだ。
その瞬間。
キールの動きが、ピタッと止まる。
赤い瞳がクロエを見つめた。
じーっ、と。
そして。
視線が、ゆっくり下へ移動する。
「……?」
クロエが首を傾げる。
キールはクロエの胸元を見ながら、少しだけ頬を赤くした。
「……家が無いなら仕方ないな」
偉そうに鼻を鳴らす。
「別に住んで良いぞ」
「可哀想だから、僕がお前達を飼ってやる!」
「にゃ!?」
ユナが変な声を出した。
クロエは呆れたように苦笑する。
「その代わり、家賃はお前が払え」
「家賃?」
「お金が欲しいの?」
『そんなモノ要らない』
キールは、クロエを見つめたまま言った。
「お前、良い匂いがする……」
赤い瞳が細まる。
「定期的に血を吸わせてくれれば、いくらでも住んで良い」
沈黙。
クロエは少しだけ考える。
そして。
キールの身体を見る。
細い腕。
痩せた脚。
青白い肌。
明らかに栄養不足だった。
更に。
屋敷の隅には、ネズミや野ウサギの死骸が転がっている。
人間を襲わず。
動物の血だけで飢えを凌いできたのだろう。
(……この子)
(ずっと、一人だったのね)
クロエは静かに理解した。
ヴァンパイア。
だが。
人を襲わなかった。
ずっと。
屋敷の状況からして、数十年以上も。
⸻
「……良いわよ」
クロエが静かに言う。
キールの目が見開かれた。
「その代わり、約束して」
「私以外の血は、絶対に飲まないって」
キールは少し驚いた顔をした後。
真剣な顔で頷いた。
「……分かった」
「約束する」
クロエは、小さく息を吐く。
そして。
自分の手首へ爪を立てた。
薄く皮膚が裂ける。
赤い血が流れ落ちた。
その瞬間。
キールの瞳が大きく見開かれる。
「……っ」
濃密な魔力。
膨大な生命力。
普通の血ではない。
キールは、ゆっくりクロエの手首へ牙を立てた。
チクリとした痛み。
だが、それだけだった。
血を飲んだ瞬間。
キールの身体がビクリと震える。
「なに……これ……」
熱い。
身体の奥へ、凄まじい魔力が流れ込んでくる。
二十年以上感じたことのない満足感。
飢えが。
渇きが。
消えていく。
「……美味しい」
キールは呆然と呟いた。
クロエは、少しだけ困ったように笑う。
「飲み過ぎないでよ?」
その夜。
幽霊屋敷には。
新しい住人が増えた。
吸血を終えたキールは、
そのままクロエの服を掴んだまま眠ってしまう。
クロエは少し驚く。
「……子供ね」
だが。
追い払わなかった。




