第54話 魔王候補
第54話 魔王候補
王都東門。
そこは、まだ地獄の中にあった。
雨。
血。
悲鳴。
そして、紫色の霧。
「やめろ……やめろォォォ!!」
騎士の一人が、自らの顔を爪で引き裂いていた。
肉が裂ける。
血が流れる。
それでも止まらない。
「顔が……!!」
「俺の顔が無い!!」
周囲では、同じように発狂した騎士達が地面を転げ回っていた。
無貌の王。
その存在を認識しただけで精神が侵食される。
狂気。
恐怖。
絶望。
人の心を破壊する禁忌のアンデッド。
⸻
「落ち着いて下さい!」
白銀の光が周囲を照らした。
聖女アリシア。
純白の法衣を纏った少女は、倒れている騎士へ治癒魔術を流し込む。
「大丈夫です!」
「深呼吸を――」
だが。
騎士の瞳は焦点が合っていない。
「く、来るな!!」
騎士は怯えたように後退する。
「お前の顔も……無い……!!」
「っ……!」
アリシアの表情が歪む。
聖女の浄化魔術ですら、完全には治せない。
恐怖が、魂そのものへ刻み込まれていた。
⸻
アリシアは静かに立ち上がる。
その視線の先。
炎上する王都。
崩れた建物。
死体。
惨状。
そして。
脳裏へ浮かぶ。
黒いパーカー姿の少女。
クロエ・ハートフィリア。
『大丈夫よ』
『あなた達は、まだ生きてる』
手足を失った少女達へ優しく微笑み掛けていた姿を、アリシアは覚えていた。
だからこそ。
「……どうして」
理解できなかった。
あのクロエと。
王都を地獄へ変えた存在が。
どうしても結び付かない。
⸻
その時。
騎士団長が近付いてくる。
「聖女様」
「……はい」
「被害状況が判明してきました」
騎士団長は苦々しい顔をしていた。
「ですが……妙です」
「妙?」
「一般市民の被害が、異常に少ない」
アリシアが目を見開く。
「……え?」
「奴隷商人」
「闇商会」
「第二王子派の貴族」
「裏市場」
「犯罪組織」
「被害は、ほぼそこへ集中しています」
沈黙。
アリシアは地図を見る。
炎上地点。
爆破箇所。
被害区域。
確かに。
平民街への被害が少な過ぎる。
まるで。
最初から“選んで”攻撃したかのようだった。
「そんな……」
アリシアの胸がざわつく。
(クロエさんは……)
(本当に、何を考えているんですか……?)
⸻
一方。
遥か東。
夜明け前の空を、黒い影が飛んでいた。
戦闘ヘリ。
紫色の魔力回路を光らせながら、巨大な機体が雲を切り裂く。
その周囲を、ワイバーンアンデッド達が旋回していた。
コクピット内部。
ユナが窓へ張り付いている。
「す、凄いにゃ……!!」
「海にゃ!!」
雲の下。
水平線まで続く巨大な海。
そして。
朝日に照らされた港町。
イステリア。
シエロ王国東端に存在する巨大港湾都市。
貿易。
漁業。
観光。
そして。
冒険者達の街。
魔物の多い未開拓地やダンジョンが周囲に点在し、一攫千金を夢見る者達が集まる場所。
だが同時に。
海賊。
奴隷商人。
闇商人。
流れ者。
海外犯罪者。
無法者も集まる混沌の街だった。
⸻
クロエは静かに窓の外を見つめる。
「……着くわね」
その時。
右手の指が、勝手に動いた。
「っ……」
クロエの表情が僅かに歪む。
紫色の紋様が、手首から指先へ浮かび上がった。
『クスクス♪』
頭の奥で、ミサが笑う。
『新しい街ねぇ♪』
『今度は何人壊すの?』
「……黙りなさい」
クロエが小さく吐き捨てる。
ユナが振り返った。
「クロエ?」
「……何でもないわ」
クロエは静かに拳を握り締めた。
生身へ戻ったはずの両手。
だが。
未だにミサの支配は消えていない。
むしろ。
以前より深く、身体へ侵食している気さえした。
⸻
数十分後。
戦闘ヘリは、イステリア近郊の森へ着陸した。
暴風。
土煙。
ローター音。
ワイバーン達が周囲へ降り立つ。
クロエはヘリから降りると、静かに周囲を見渡した。
「ここなら、しばらく隠れられるわね」
ユナが耳を動かす。
「これからどうするにゃ?」
クロエは即答した。
「拠点を作る」
⸻
その日の夕方。
クロエとユナは、フードを被ってイステリアの街へ入った。
港は活気に満ちている。
魚市場。
冒険者。
酒場。
商人。
海賊のような男達。
異国人。
怒号と笑い声が入り混じる混沌。
王都とは全く違う空気だった。
「なんか……凄い街にゃ」
「嫌いじゃないわ」
クロエは小さく呟く。
⸻
そして。
街外れの不動産屋。
埃っぽい店内で、店主の老人が怪訝そうにクロエ達を見ていた。
「森の屋敷?」
「ああ……アレか」
老人が嫌そうに顔を顰める。
「やめときな」
「幽霊屋敷だ」
「昔、貴族一家が全員死んだって噂でな」
「今まで何人も買い手がいたが、全員逃げ出した」
だが。
クロエは興味深そうに目を細めた。
「……格安なのよね?」
「そりゃあな」
クロエは即答した。
「買うわ」
「にゃ!?」
ユナが目を丸くする。
⸻
その夜。
森の奥。
古びた巨大屋敷。
蔦に覆われた壁。
割れた窓。
不気味な静寂。
だが。
クロエは、その屋敷を見上げながら微笑んだ。
「悪くないわね」
次の瞬間。
グール工作兵団が、一斉に動き始める。
建材搬入。
発電設備。
地下工事。
防壁建設。
狙撃ポイント。
罠。
要塞化。
静かな森の中で、アンデッド達による大工事が始まっていた。
魔王候補と呼ばれた少女は。
東の果ての街で、新たな居場所を作り始めていた。




