第5話 聖女の光
第5話 聖女の光
王都中央区。
王立魔導図書館。
それは、王国中の魔術知識が集められた巨大な知識の殿堂だった。
天井まで届く無数の本棚。
魔力灯によって照らされた静寂の空間。
古代語で記された禁書。
失われた魔術体系。
魔導工学。
歴史。
宗教。
ありとあらゆる知識が、この場所には眠っている。
そして。
クロエ・ハートフィリアは、その最奥部の一角に座っていた。
机の上には、十数冊もの本が積み上がっている。
『異世界転移理論』
『古代神話における来訪者』
『魔女狩りと聖教会』
『光属性魔術の起源』
『魂魔術論』
『冥界接続術式』
クロエは静かにページを捲る。
黄金色の瞳が、淡々と文字を追っていく。
(……やっぱり、ある程度は共通してるのね)
魔女。
魂。
神。
異世界。
言葉こそ違うが、概念そのものは前世と似通っていた。
特に気になったのは、“聖教会”の存在だった。
この世界最大の宗教組織。
光属性を神聖視し、闇属性を忌避する巨大組織。
その思想は、前世で自分達を狩っていた魔女狩り教団と酷似している。
(偶然……とは思えないわね)
クロエは静かに本を閉じる。
もし、この世界にも“神の祝福”が存在するなら。
自分にとって最大の敵になる可能性がある。
その時だった。
「隣、良いかの?」
不意に、老人の声が響いた。
クロエが顔を上げる。
そこには、小柄な老人が立っていた。
長い白髭。
深い皺。
古びたローブ。
杖を突きながら穏やかに笑っている。
だが。
(……強い)
クロエの瞳が僅かに細められる。
膨大な魔力。
底が見えない。
今の自分より、遥かに強い。
少なくとも、学園の教師達とは比較にならない。
老人は静かに腰を下ろした。
「君がクロエ・ハートフィリアじゃな?」
「……誰かしら?」
「王立魔術学園の学長をやっとる老人じゃよ」
学長。
クロエは小さく目を細める。
確か。
この世界における英雄の一人。
かつて魔王討伐を成し遂げた勇者パーティーの一員。
伝説級の魔術師だったはずだ。
「随分と面白いものを見せてくれたのう」
学長はホッホッホと笑う。
「スケルトン兵に未知の武器。あれは実に興味深かった」
「……そう」
クロエは素っ気なく答えた。
だが、学長は気にした様子も無い。
むしろ、その黄金色の瞳をじっと見つめていた。
まるで。
魂の奥底を覗き込むように。
「……なるほどの」
老人が小さく呟く。
「深い闇じゃ」
クロエの空気が変わった。
魔力が微かに揺れる。
だが、学長は笑ったままだ。
「安心せい。別に敵視しとる訳ではない」
「…………」
「ワシは、この世界が好きでな」
学長は静かに本棚を見上げる。
「愚かで、争いも絶えんが……それでも、人は前へ進もうとする」
穏やかな声だった。
長い人生を生きた者だけが持つ重みがある。
そして。
老人はクロエを見た。
「君は、どうかね?」
「……」
クロエは少し考える。
この世界。
まだ来たばかりだ。
何も知らない。
好きか嫌いかなど、判断出来るはずも無い。
「……まだ分からないわ」
クロエは静かに答えた。
すると。
学長は満足そうに目を細めた。
「ホッホッホ」
楽しそうな笑い声。
「人生は長い」
老人は杖を突いて立ち上がる。
「いつか分かるさ」
それだけ言うと、学長は静かに立ち去っていった。
クロエはその背中を見送る。
(……変な老人)
だが。
敵意は感じなかった。
むしろ、“見極めようとしている”。
そんな印象だった。
その時だった。
「クロエ!!」
鋭い声が響く。
クロエが視線を向ける。
そこには、シオン・エスパーダ。
そして、その隣には聖女アリシアの姿があった。
シオンは怒りを露わにしている。
「貴様、自分が何をしたか分かっているのか!?」
図書館内の空気が張り詰める。
「王妃になる人間が、臣下である貴族を殺したんだぞ!!」
「気でも狂ったのか!?」
クロエは静かに本を閉じた。
そして。
面倒臭そうにシオンを見る。
「あら」
小さく首を傾げる。
「それなら、王妃にならなければ良いのかしら?」
「……何?」
シオンが眉を顰める。
クロエはふと考える。
王妃。
権力。
地位。
そんなものに興味は無い。
面倒な義務としがらみが増えるだけだ。
それに。
シオンは元々、自分を嫌っている。
なら。
(この際、切ってしまった方が楽ね)
クロエの口元が、ゆっくり吊り上がった。
「この際、ハッキリさせましょう」
シオンの顔を見る。
「私は、貴方との婚約を破棄致します」
「…………は?」
シオンの表情が固まる。
完全に予想外だったらしい。
「な、何を言っている……!?」
「言葉通りだけど?」
クロエは淡々としていた。
だが、シオンは困惑を隠せない。
「王家との約束が、そんな簡単に破棄出来る訳ないだろう!!」
その反応を見て。
クロエは少しだけ意外に思った。
(あら)
もっと喜ぶと思っていた。
だが、シオンは明らかに動揺している。
その時だった。
「……そういう問題ではありません」
静かな声。
アリシアだった。
蒼い瞳が真っ直ぐクロエを見つめている。
「貴方は、人を殺したのですよ?」
「…………」
「命を奪ったんです」
真っ直ぐな言葉。
悪意は無い。
本気でそう信じているのだろう。
だが。
(……能天気そうな娘ね)
クロエは心の中で嘆息する。
殺されかけた。
だから殺した。
それだけの話だ。
なのに。
まるで平和な世界の理屈で語っている。
「相手は殺意を持って襲ってきたのだけれど?」
クロエは静かに返す。
「それでも殺したら駄目なんて、随分と平和な世界を生きてきたのね」
「っ……!」
アリシアの表情が強張る。
その馬鹿にしたような態度が癪に触ったのだろう。
次の瞬間。
アリシアの身体から、淡い光が溢れ出した。
神聖な光。
暖かく。
清らかで。
――そして。
クロエの背筋が凍り付いた。
「――ッ!?」
魂が悲鳴を上げる。
全身の魔力が警鐘を鳴らした。
忘れるはずがない。
この感覚を。
前世で何度も味わった。
魔女狩り達が使っていた、“神の祝福”。
魔女の力を打ち消し、滅ぼす為の力。
しかも。
(……濃い)
前世の魔女狩りとは比べ物にならない。
圧倒的に純度が高い。
光属性。
闇属性の天敵。
クロエは無意識に一歩下がっていた。
(この娘……危険ね)
黄金色の瞳が、初めて明確な警戒を宿した。




