第47話 反撃の準備
第47話 反撃の準備
地下の躾部屋。
冷たい石床。
紫色の魔導灯。
そして。
鞭を握ったクッキー君が、クロエを見下ろしていた。
『キキッ♪』
愉快そうな鳴き声。
まるで。
今までと何も変わらないと言わんばかりに。
だが。
違った。
クロエの黄金色の瞳には、もう怯えが無い。
あるのは――冷たい殺意だけだった。
クッキー君が、再び鞭を振り上げる。
バシィッ――!!
だが。
その瞬間。
ピタリ、と。
鞭が空中で止まった。
『……キキ?』
クッキー君が首を傾げる。
クロエの黒い義手。
そこへ浮かぶ、紫色の呪紋。
『クスクス……♪』
頭の中へ、愉しそうな笑い声が響いた。
千手怨霊ミサ。
今。
クロエの義手を操っているのは、彼女だった。
「……もう」
クロエが、ゆっくり顔を上げる。
乱れた黒髪。
汗で張り付いたドレス。
だが。
その瞳だけは、妖しく輝いていた。
「我慢する必要は無いわね」
次の瞬間。
グギィッ――!!
『キィッ!?』
クロエの右手が、クッキー君の首を掴み上げた。
片手。
しかも。
義手だけで。
軽々と。
クッキー君の身体が宙へ浮く。
脚が暴れる。
必死に抵抗している。
『ギッ……!!』
クッキー君が、クロエの義手へ噛み付いた。
ガギィッ!!
火花が散る。
だが。
黒い義手の表面には、傷一つ付かない。
魂と鋼の魔女。
その義手は、魔導金属とナノマシンで構成された兵器だった。
鋼鉄以上の強度。
猿の牙程度では、どうにもならない。
「残念ね」
クロエが、静かに笑う。
その笑みは。
今までの屈辱を全部呑み込んだ、捕食者の笑みだった。
「今度は、私の番よ」
ゴキィッ――!!
『――ッ!?』
鈍い音。
クッキー君の首が、不自然な方向へ折れ曲がる。
身体から力が抜けた。
クロエは、その死体を無造作に床へ捨てる。
そして。
静かに闇を広げた。
「起きなさい」
黒い影。
冥界の門。
死の魔力が、クッキー君の死体を包み込む。
『……キキ』
数秒後。
クッキー君が、ゆっくり起き上がった。
瞳は濁った紫色へ変わり。
皮膚には死霊特有の黒い血管が浮かんでいる。
アンデッド化。
完全な使役。
クロエは、それを見下ろしながら小さく鼻を鳴らした。
「夜会へ潜入する時に、第二王子のペットが居た方が便利でしょ」
『キキ……』
クッキー君は、従順に頭を下げた。
まるで。
今まで自分がしていた事を、そのまま返されるように。
⸻
数時間後。
第二王子の私邸は、完全に制圧されていた。
屋敷の廊下。
窓際。
屋根。
庭園。
至る場所へ、死人達が立っている。
グール歩兵隊。
グール狙撃兵団。
グール暗殺部隊。
そして。
グール諜報部隊。
死人達は、無言で王都の地図を見下ろしていた。
「第二王子派の貴族を洗い出しなさい」
クロエの声が、静かに響く。
黒いフード付きパーカー。
ホットパンツ。
黒い義手義足。
そして。
黄金色の瞳。
もう。
そこに居るのは、公爵令嬢ではなかった。
死人を率いる、闇の魔女。
「夜会へ参加していた貴族」
「裏社会の関係者」
「第二王子派閥の人間」
「全部調べ上げなさい」
グール諜報部隊が、静かに頭を下げる。
「必要なら、拉致しても構わない」
「拷問して情報を吐かせなさい」
「屋敷へ侵入して、手紙も文書も全部盗み出せ」
クロエの瞳が、冷たく細まる。
「ありとあらゆる手を使って、全部暴くのよ」
死人達が、静かに闇へ溶けていく。
王都の夜へ。
音も無く。
そして。
クロエは、机へ置かれた手紙を見下ろした。
第二王子の紋章。
盗み出した本物の文書。
クロエは、それを静かに書き換えていく。
文章偽装。
筆跡模倣。
招待状。
偽情報。
「……三日後の夜会」
クロエが、小さく笑う。
「“猿に調教される女”の余興がある――」
黄金色の瞳が、妖しく光った。
「餌としては、十分でしょ?」
⸻
その後。
クロエは、私邸の大浴場へ来ていた。
赤黒い大理石。
白い湯気。
静かな水音。
クロエは、ゆっくりドレスを脱ぎ捨てる。
白い肌。
黒い義手義足。
繋ぎ目。
改めて見ると、自分でも痛々しいと思う。
「……最悪」
小さく呟く。
その時。
『クスクス……♪』
頭の中へ、ミサの笑い声が響いた。
次の瞬間。
クロエの右手が、勝手に動いた。
「っ……!?」
黒い義手が、スポンジを掴む。
そして。
クロエの肩へ触れた。
ゆっくり。
丁寧に。
まるで。
他人が洗っているみたいに。
「ちょっ……ミサ……」
『あら?』
愉しそうな声。
『私は身体を洗ってあげてるだけよ?』
義手が、首筋を撫でる。
肩。
背中。
腰。
妙に丁寧だった。
「……っ」
クロエの肩が、小さく震える。
『どうしたの?』
『顔、真っ赤よ?』
「うるさい……」
義手が、ゆっくり身体を洗っていく。
自分の身体なのに。
自分じゃない誰かに触れられているみたいだった。
『変な気分?』
『気持ちいいの?』
「っ……!!」
クロエが睨み付ける。
だが。
義手は止まらない。
指先が、ゆっくり肌を撫でる度に。
身体の奥が熱くなる。
「……最悪」
クロエは、唇を噛み締めた。
義手の支配権を奪われた。
その代償は。
想像以上に厄介だった。
⸻
風呂から上がった頃には。
クロエの脚は、微かに震えていた。
腰が抜けそうになる。
『クスクス……♪』
ミサが、愉しそうに笑う。
『契約、忘れないでね?』
「……分かってるわよ」
クロエは、乱れた黒髪をかき上げる。
その時だった。
屋敷の外で、車両音が止まる。
グール諜報部隊。
そして。
運ばれて来た、一人の少女。
「……ユナ」
クロエの黄金色の瞳が揺れた。
獣耳。
銀灰色の髪。
だが。
身体中へ、拷問の痕が残っている。
首には、黒い隷属の首輪。
意識も無い。
クロエの中で。
何かが、静かに燃え上がった。
「……舐めた真似してくれたわね」
低い声。
怒り。
殺意。
憎悪。
全部が混ざっていた。
クロエは、静かにミサへ語り掛ける。
「ミサ」
「黒木家が、貴方を使役し続けてきた恨みも」
「仕返ししたい気持ちも分かるわ」
黄金色の瞳が、ゆっくり細まる。
「私を虐めたいなら、好きにすれば良い」
「だから」
「私の計画の邪魔だけはしないで」
数秒の沈黙。
そして。
『……良いわね』
ミサが、愉しそうに笑った。
『契約よ』
『私は貴方の計画を邪魔しない』
『今まで通り、協力もしてあげる』
『その代わり』
義手へ、紫色の呪紋が浮かぶ。
『今の約束、忘れないでね?』
「……分かったわ」
クロエは、静かに頷いた。
その夜。
王都の闇は、静かに動き始める。
三日後の夜会。
そこへ集まる獲物達は。
まだ、自分達が“狩られる側”だと気付いていなかった。




