第38話 父の後悔
第38話 父の後悔
王城の廊下を歩きながら。
ハートフィリア公爵は、無言だった。
重い足音だけが静かに響く。
隣を歩く第一王子も、険しい表情を崩さない。
「……本当に、クロエなのか」
掠れた声だった。
第一王子は短く頷く。
「ああ」
公爵は目を閉じた。
一ヶ月。
娘は消えた。
どれだけ探しても見つからなかった。
騎士団も。
情報屋も。
裏社会の人脈すら使った。
それでも見つからなかった。
そして今。
ようやく見つかった娘は。
“酷い状態だ”。
第一王子は、それ以上詳しく説明しなかった。
ただ。
見れば分かる、とだけ言った。
その言葉が。
妙に胸へ引っ掛かっていた。
(……クロエ)
思い出す。
幼い頃の娘。
黒髪。
黄金色の瞳。
だが。
クロエは決して“優秀な娘”ではなかった。
闇属性。
虚弱体質。
魔力も少なく。
剣術も体術も苦手。
名門ハートフィリア家の長女でありながら、才能に恵まれなかった。
それ故に。
幼い頃は、陰で落ちこぼれと囁かれていた。
王立学園でも。
一部の貴族達から陰湿な嫌がらせを受けていた事を、公爵は知っている。
それでも。
クロエは必死だった。
弱みを見せまいとして。
生意気に振る舞い。
強気な仮面を被っていた。
だから公爵も。
厳しく接した。
長女だから。
公爵令嬢だから。
未来の王妃になるのだから。
弱いままでは生き残れない。
そう思っていた。
だが。
服毒自殺未遂を起こした頃から。
クロエは変わった。
別人のように。
以前より強くなり。
以前より冷たくなり。
以前より危険へ踏み込むようになった。
今思えば。
あの頃から既に壊れ始めていたのかもしれない。
「……私は」
公爵の拳が強く握られる。
その時だった。
廊下の奥。
扉の向こうから。
少女達の笑い声が聞こえた。
「ふふっ、ほら、ちゃんと鳴きなさいよ」
「犬なんだから、お手くらい出来るでしょ?」
公爵の眉が僅かに顰む。
第一王子の表情も険しくなった。
次の瞬間。
パシッ――!!
「っ……!?」
鋭い鞭の音。
そして。
小さな悲鳴。
第一王子の瞳が見開かれる。
勢いよく扉を開いた。
「――何をしている」
低い声。
空気が凍り付いた。
メイド達の顔色が変わる。
だが。
公爵は、すぐには部屋へ入れなかった。
視界へ飛び込んできた光景を。
一瞬、理解できなかったからだ。
「……は?」
掠れた声。
床へ四つ這いになった少女。
黒いレースドレス。
細い肩。
長い黒髪。
肘から先を失った両腕。
膝から先を失った両脚。
首輪。
リード。
床へ置かれた餌皿。
そして。
メイド達に囲まれながら、怯えて震えている娘。
「わ……ん……」
涙混じりの声。
クロエだった。
公爵の思考が止まる。
理解を拒絶する。
(違う)
(これは何かの間違いだ)
だが。
何度見ても。
床へ這いつくばっているのは、自分の娘だった。
「ご、ごめんなさい……っ」
クロエが震えながら頭を下げる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
その姿に。
公爵の背筋が凍った。
何故なら。
クロエは、絶対にこんな風に謝る少女ではなかったからだ。
プライドだけは高く。
虚勢を張って。
自分より強い相手にも噛み付くような娘だった。
その娘が。
壊れたように謝り続けている。
完全な恐怖反応だった。
「私は……何を見ているんだ?」
震える声。
一ヶ月。
必死に捜し続けた娘。
ようやく見つかったと思えば。
こんな姿だった。
その瞬間。
公爵の脳裏へ、ある日の記憶が蘇る。
『クロエ様を暫く外へ出さない方が良いでしょう』
報告書。
ガルドの親族。
復讐。
暗殺者。
だから。
クロエを屋敷へ戻そうとしていた。
守る為だった。
なのに。
娘は、その前に消えた。
そして。
戻ってきた時には。
もう壊されていた。
「……私は」
父親の拳が震える。
守るつもりだった。
強く育てるつもりだった。
だが。
結果的に。
弱い娘を追い詰め続けていただけだったのではないか。
公爵はゆっくりクロエへ近付く。
クロエがビクリと震えた。
「ごめんなさい……っ」
反射的に謝る。
その姿が。
父親の胸を深く抉った。
「……クロエ」
公爵は跪く。
そして。
震える娘の首輪を外し、そっと抱き締めた。
「っ……」
軽かった。
驚くほど。
壊れてしまいそうなほど。
クロエの黄金色の瞳が揺れる。
記憶の奥。
幼い頃に抱き上げられた感覚。
「……お父……様?」
掠れた声。
公爵は目を見開く。
クロエは。
自分を嫌っていると思っていた父親が。
悲しみに満ちた顔をしている事に気付いた。
「お前……」
父親の声が震える。
「手足は……どうした?」
クロエは俯いた。
答えられない。
すると。
公爵の瞳へ、激しい怒りが宿る。
「許さない」
低い声だった。
空気が震える。
「娘をこんな姿にした奴を……必ず八つ裂きにしてやる」
⸻
その夜。
王宮の医務室。
クロエはベッドで眠っていた。
鎮静剤を打たれている。
呼吸は静かだった。
だが。
時折、小さく震えている。
王宮専属医師が静かに口を開く。
「……かなり危険な状態です」
第一王子と公爵の表情が険しくなる。
「肉体的損傷だけではありません」
医師は静かに続ける。
「様々な薬物を投与された痕跡があります」
公爵の拳が震えた。
「それに加え」
「四肢切断のショック」
「長期的な精神的、肉体的虐待」
「極度の恐怖体験」
医師は眠るクロエを見る。
「強い心的外傷を負っています」
重い沈黙。
「……治るのか」
第一王子が掠れた声で聞く。
医師は苦しそうに目を伏せた。
「簡単ではありません」
そして。
机へ置かれていた義手義足へ視線を向ける。
「特に問題なのは、これです」
「……義手義足?」
公爵が眉を顰める。
医師は静かに頷いた。
「クロエ様は、義手義足へ強く依存しています」
「依存……?」
「はい」
医師の声は重い。
「義手義足が、精神を安定させる支えになっているのです」
第一王子の表情が固まる。
「逆に」
「義手義足を外されると、自分が無力な“人形”へ戻ったように感じてしまう」
第一王子の脳裏へ蘇る。
謝り続けるクロエ。
怯える瞳。
震える身体。
「……外したのは、俺だ」
掠れた声。
後悔が滲む。
医師は静かに首を振った。
「ですが、今後は出来るだけ装着させて下さい」
「今のクロエ様から義手義足を奪うのは危険です」
公爵が眠る娘を見る。
黒髪。
痩せ細った身体。
静かな寝息。
そして。
失われた四肢。
「……戻らないのか」
父親の声が震える。
医師は答えられなかった。
部屋へ重い沈黙が落ちる。
その中で。
クロエは小さく震えながら眠り続けていた。
まるで。
今も悪夢から逃げられないかのように。




