第36話 追う者
第36話 追う者
「……これで終わりよ」
クロエは静かに背を向けた。
白亜の神殿。
朝日。
聖騎士達。
そして。
救われた少女達の泣き声。
もう、自分の役目は終わった。
そう思った。
黒いドレスが風に揺れる。
長い黒髪が流れる。
クロエは、そのまま王都から去ろうと歩き出した。
「待て」
低い声。
次の瞬間。
「――っ!?」
後ろから、強く抱き締められた。
クロエの黄金色の瞳が見開かれる。
「な、何をするのよ!?」
第一王子だった。
金髪。
紫色の瞳。
強い力。
クロエは咄嗟に振りほどこうとする。
義手へ力を込める。
だが。
「っ……!?」
びくともしない。
第一王子の腕は、まるで鋼のようだった。
王家に流れる竜の血。
超人的な身体能力。
今のクロエですら、振りほどけない。
「離しなさい!!」
クロエが怒鳴る。
だが。
第一王子は離さなかった。
「……何があった」
低い声だった。
怒っている訳ではない。
苦しそうな声。
「はっ……」
クロエは吐き捨てるように笑う。
「貴方に関係無いでしょ?」
その言葉に。
第一王子の表情が僅かに歪む。
「クロエ」
「離して!!」
クロエは語気を強める。
「今更……今更、何なのよ!!」
義手が軋む。
金属音。
だが。
第一王子は離さない。
「答えろ」
「嫌よ!!」
クロエは振り返らない。
「私はもう……」
その時だった。
第一王子の瞳が、淡く紫色に輝く。
竜の魔力。
王家特有の力。
空気が震えた。
「……眠れ」
「っ!?」
クロエの身体が強張る。
「な……に、これ……」
視界が揺れる。
力が抜ける。
「何よ、コイツ……変な……力……」
足元が崩れる。
クロエの意識は急速に沈んでいく。
「離……し……」
言葉は最後まで続かなかった。
クロエの身体から力が抜ける。
第一王子は、その細い身体を静かに抱き止めた。
「……クロエ」
眠ってしまったクロエの表情は。
酷く疲れていた。
⸻
場所は変わる。
王城の一室。
豪華な寝室だった。
ベッドの上で、クロエが静かに眠っている。
黒いドレス。
長い黒髪。
そして。
僅かな繋ぎ目のある義手義足。
第一王子は、ベッドの傍らへ立っていた。
重い沈黙。
その後ろにはユナが居る。
銀灰色の髪。
獣耳。
尻尾。
ユナは不安そうにクロエを見ていた。
「……ロレントまでは把握していた」
第一王子が低く呟く。
ロレント。
あの事件。
クロエが危険へ首を突っ込み始めた切っ掛け。
「でも……その後の事は知らなかった」
ユナは静かに俯く。
第一王子は、保護した少女達やユナから話を聞いていた。
地下娼館。
人形。
ジェラ。
マフィア。
死霊軍団。
そして。
クロエの義手義足。
「……何で」
第一王子の声が震える。
「何で、こんな事に……」
ベッドで眠るクロエは、静かだった。
まるで人形のように。
第一王子は拳を握り締める。
悔しそうに。
苦しそうに。
「危険な事をしているのは分かってた」
ロレントの時から。
クロエは明らかに変わっていた。
以前とは別人のようだった。
「……服毒自殺を図ったあの日から」
第一王子は目を伏せる。
思い出す。
以前のクロエ。
自分へ付き纏ってきた少女。
生意気で。
我儘で。
鬱陶しかった。
いつも自信満々で。
太陽みたいに眩しかった。
だが。
今は違う。
クロエは離れていく。
関わろうとしない。
逃げていく。
気付けば。
追っていたのは、自分の方だった。
「……馬鹿だな」
第一王子が苦笑する。
自嘲だった。
「今更、お前の美しさに気付くなんて」
視線がクロエへ向く。
傷だらけの少女。
闇属性。
死霊術師。
義手義足。
それでも。
誰より美しかった。
「……俺の目は、節穴だったらしい」
部屋へ静寂が落ちる。
ユナは黙ったまま、クロエを見る。
第一王子は、眠るクロエの手へそっと触れた。
冷たい。
人工皮膚。
その感触が。
彼の胸を締め付けた。
重い沈黙が、部屋を支配していた。
王城の寝室。
白いカーテンが風に揺れ、朝日が静かに差し込んでいる。
ベッドの上では、クロエが眠っていた。
黒髪。
黄金色の瞳は閉ざされ。
細い身体は、まるで壊れた人形のように静かだった。
第一王子は、その姿を見つめたまま動けない。
その時だった。
コンコン。
静かなノック音。
「……入ります」
扉が開く。
純白の聖女服。
黄金色の髪。
蒼い瞳。
聖女アリシアだった。
部屋へ入った瞬間。
アリシアの視線がクロエへ向く。
そして。
ベッドの傍らまで歩み寄った。
「……眠っているのですか?」
「ああ」
第一王子は短く答える。
「無理矢理、眠らせた」
アリシアは少しだけ眉を顰めた。
だが、何も言わない。
代わりに。
クロエの義手へ静かに触れる。
人工皮膚。
自然すぎる質感。
だが。
関節部分の僅かな繋ぎ目だけが、現実を突き付けていた。
「……酷い」
アリシアが小さく呟く。
第一王子は拳を握り締める。
「治せるんだろ……?」
縋るような声だった。
「お前なら」
聖女。
奇跡を起こす存在。
少女達の失われた四肢ですら再生させた。
ならば。
クロエも。
そう思っていた。
アリシアは静かに目を閉じる。
「……やってみます」
白い光が、部屋へ広がった。
神聖魔法。
柔らかな聖光。
暖かい光が、クロエの身体を包み込む。
まるで祝福のような光景だった。
だが。
次の瞬間。
ジジジジジッ――!!
「っ!?」
空気が軋む。
白い光へ、黒紫の魔力が混ざった。
いや。
違う。
拒絶している。
クロエの身体から、禍々しい闇が滲み出す。
ベッドの周囲へ黒い紋様が浮かび上がった。
冥界の気配。
死の魔力。
部屋の温度が一気に下がる。
「なっ……!?」
第一王子が目を見開く。
アリシアも驚愕していた。
「これは……!」
聖光が、闇へ喰われていく。
クロエの身体が小さく震えた。
「……っ、ぁ……」
眠っているはずなのに。
苦しそうに顔を歪める。
呼吸が乱れる。
黒髪がベッドへ広がる。
「クロエ!?」
第一王子が駆け寄る。
だが。
クロエの苦悶は強くなる。
まるで。
聖なる光そのものを拒絶しているようだった。
「やめてください!!」
アリシアが慌てて魔法を止める。
白い光が消える。
すると。
クロエの苦しみも少しずつ収まっていった。
部屋へ静寂が戻る。
だが。
空気は凍ったままだった。
「……そんな」
第一王子の声が掠れる。
アリシアは、ゆっくりクロエを見る。
蒼い瞳が揺れていた。
「……聖女の力が、効きません」
「何を言ってる」
第一王子が即座に否定する。
「さっき少女達は治しただろ!!」
「……違うんです」
アリシアは苦しそうに俯く。
「クロエさんの中にある闇が……私の光を打ち消しています」
第一王子の顔から血の気が引いた。
それはつまり。
聖女ですら。
治せない。
「そんな……」
第一王子が後退る。
「じゃあ……クロエの手足は……」
戻らない。
その事実を。
ようやく理解した。
アリシアも唇を噛む。
少女達は救えた。
だが。
クロエだけは違う。
まるで。
救済そのものから拒絶されているようだった。
「……魔女」
アリシアが小さく呟く。
「この闇は、普通ではありません……」
第一王子は、眠るクロエを見る。
細い身体。
黒いドレス。
人工皮膚の義手。
義足。
そして。
苦しそうな寝顔。
「……何でだよ」
声が震える。
「何で、お前ばっかり……」
第一王子は、クロエの冷たい手を握る。
その感触が。
現実だった。
どれだけ願っても。
もう。
元には戻れない。




