第3話 第一の棺
第3話 第一の棺
ハートフィリア公爵家の大書庫は、本館の最奥に存在していた。
長い石造りの廊下。
窓一つ無い静寂の空間。
その突き当たりに、巨大な黒檀の扉が鎮座している。
分厚い金属錠。
複雑な封印術式。
普通の人間では容易に立ち入れない構造だった。
クロエは、その扉を静かに見上げる。
「……なるほど」
視線を向けた瞬間、理解した。
金属の構造。
内部機構。
鍵の噛み合わせ。
全てが手に取るように分かる。
魂と鋼の魔女。
その権能は、今も魂へ刻まれていた。
前世では、魔女の血を媒介として魔術を行使していた。
だが今は違う。
この身体には、闇属性の魔力が存在している。
負のエネルギー。
死と冥界に近い魔力。
それが、魔女の権能を代替燃料として起動させていた。
クロエは静かに右手を翳す。
瞬間。
金属内部へ闇の魔力が浸透した。
そして。
――ガチャリ。
鍵が独りでに解錠される。
さらに巨大な扉が、ひとりでにゆっくりと開いていった。
重たい音が静寂へ響く。
クロエは、そのまま書庫へ足を踏み入れた。
⸻
そこは、知識の海だった。
天井まで届く巨大な本棚。
隙間なく並べられた書籍。
魔術書。
歴史書。
古代文献。
禁書。
地図。
王国史。
数万冊を超える蔵書が、静かに眠っている。
流石は三大公爵家。
国家規模の知識量だ。
クロエは静かに書庫を見渡す。
この世界で生き残るには、まず情報が必要だった。
国家。
神殿。
魔術体系。
地理。
経済。
宗教。
貴族社会。
そして、自分の立場。
知らなければ死ぬ。
それは前世で嫌というほど理解していた。
クロエは静かに目を閉じる。
意識を深く沈める。
魂の奥底。
死と闇の彼方。
そこには、今も繋がりが残っていた。
99999の棺。
魔女一族が受け継いできた死者の軍勢。
その一部が、魂を通じて今も自分と接続されている。
クロエは、その中から一つを選び取った。
「来なさい」
闇の魔力が空間へ広がる。
温度が下がる。
空気が軋む。
そして。
書庫の中央に、巨大な黒い棺が出現した。
漆黒の金属。
無数の魔術言語。
死を思わせる禍々しい存在感。
第一の棺。
その蓋が、ゆっくりと開いていく。
ギィィ……と重い音。
直後。
十体の影が現れた。
スケルトン。
だが、通常のアンデッドではない。
全身を黒装束で覆い、骨格は細身。
気配が極端に薄い。
眼窩には青白い光が灯っている。
諜報部隊。
魔女一族が情報収集と潜入任務に使用していた特殊アンデッドだった。
十体のスケルトンは、一斉に片膝をつく。
クロエは静かに命じた。
「情報を集めなさい」
スケルトン達の眼窩が淡く発光する。
「歴史」
「経済」
「地理」
「魔術」
「宗教」
「政治」
「農業」
「情勢」
「この世界について、可能な限り把握する」
命令を受けた瞬間。
スケルトン達が即座に散開した。
無駄な動きは一切無い。
各自が本棚へ向かい、凄まじい速度で書籍を読み始める。
ページが高速で捲られる。
カタカタと骨が鳴る。
そして。
知識が流れ込んできた。
魂共有。
諜報部隊が得た情報は、魂を通じてクロエへ送られる。
歴史。
国家構造。
貨幣経済。
農作物。
魔物。
魔術理論。
宗教勢力。
古代文明。
膨大な情報が並列で脳へ流れ込む。
だが、クロエの表情は変わらない。
前世で何度も経験した感覚だった。
魔女にとって、魂共有による並列情報処理は珍しい技術ではない。
むしろ。
十体程度なら少ないくらいだった。
クロエは静かにページを捲る。
流れ込む知識を整理し、接続し、理解していく。
神殿は光属性を絶対視している。
闇属性は忌避対象。
魔術体系は属性理論が主流。
魔導具技術は未発達。
国家間情勢は不安定。
東部では魔物被害が増加。
冒険者制度が存在。
王国軍と神殿騎士団は別組織。
知識が次々と積み上がっていく。
⸻
気付けば。
窓の外は白み始めていた。
朝方。
クロエは静かに本を閉じる。
「……大体は把握したわね」
世界の構造は理解した。
少なくとも、生き残る為に必要な基礎知識は得られた。
クロエは十体の諜報部隊へ視線を向ける。
「次は実地調査」
スケルトン達が静かに顔を上げる。
「屋敷内部」
「王都」
「貴族街」
「市場」
「神殿」
「周辺の森」
「各自、情報収集を継続しなさい」
命令と同時に。
スケルトン達の身体が、ゆっくりと影へ沈み始めた。
まるで闇へ溶け込むように。
一体。
また一体。
音も無く消えていく。
最後には、完全に気配が消失した。
既に動き始めている。
王都全域へ。
誰にも気付かれる事なく。
クロエは静かに窓の外を見た。
朝日が、王都を照らし始めている。
黄金色の瞳が細められた。
「……平穏に生きるのも、簡単じゃなさそうね」
だが。
それでも。
今度こそ、自分は自由に生きる。
クロエは静かにそう決意していた。




