第28話 剛拳
第28話 剛拳
クロエが消えた夜から、10日が過ぎていた。
ユナは、夜のグランヴェイルを走っていた。
屋根の上。
路地裏。
娼館街の裏手。
雨に濡れた石畳。
鼻を利かせる。
クロエの匂いを探す。
けれど、街は汚過ぎた。
酒。
煙草。
血。
香水。
汗。
腐った金の臭い。
その全てが混ざり合い、クロエの匂いを掻き消している。
「……どこニャ」
ユナは歯を食い縛った。
「どこにいるニャ、クロエ……!」
地下に潜っている。
それだけは分かる。
だが、入口が分からない。
街の裏側に隠されたジェラのアトリエは、マフィアの中でも限られた者しか知らない場所だった。
だからユナは、片っ端から襲った。
娼館の用心棒。
密輸商人。
奴隷商人。
マフィアの下っ端。
捕まえて、脅して、聞き出す。
「糸使いはどこニャ」
「し、知らねぇ!」
「じゃあ次」
電撃が走る。
男が悲鳴を上げて崩れ落ちる。
だが、誰も場所を知らない。
知っていても、怯えて口を閉ざす。
そのたびに、ユナの焦りは強くなっていった。
(クロエ……待っててニャ)
あの日。
クロエは言った。
逃げなさい、と。
ユナを庇って、自分が捕まった。
あの時の黒髪。
黄金色の瞳。
そして、糸に操られながらも、ユナだけは逃がそうとした声。
忘れられない。
「絶対、助けるニャ」
ユナは雨の中で呟いた。
その時だった。
「随分派手に暴れてるな」
低い声が響いた。
路地の奥。
巨大な男が立っていた。
背は高く、分厚い筋肉を纏っている。
上着の袖は破れ、露出した腕は鋼のように硬そうだった。
額には古傷。
拳には鉄甲。
マフィア幹部。
剛拳のグラン。
「糸使いの場所を探してるのは、お前か」
ユナの耳がピクリと動く。
「知ってるニャ?」
「知ってたら?」
「教えるニャ」
グランは鼻で笑った。
「随分と偉そうなガキだ」
「急いでるニャ」
「なら、俺に勝て」
グランは拳を鳴らした。
ゴキリ、と鈍い音が路地に響く。
「俺に勝ったら、知ってることは教えてやる」
ユナは目を細める。
「約束ニャ?」
「ああ」
グランは真っ直ぐに言った。
「俺は嘘は嫌いだ」
次の瞬間。
地面が砕けた。
グランが踏み込んだのだ。
「ッ!?」
速い。
巨体に似合わぬ速度。
ユナは咄嗟に横へ跳ぶ。
直後、グランの拳が路地の壁を砕いた。
石壁が粉々に崩れる。
「当たったら死ぬニャ……!」
「避けるのは上手いな」
グランは笑う。
「だが、いつまで避けられる?」
拳が来る。
蹴りが来る。
踏み込みだけで空気が震える。
ユナはウェアウルフの動体視力で攻撃を見切り、紙一重で躱し続けた。
「風よ!」
ユナが腕を振る。
風の刃がグランの胸へ走った。
だが。
ギィンッ!!
金属を叩いたような音が響いただけだった。
グランの肌には、浅い傷一つ付いていない。
「なっ……!?」
「効かねぇよ」
グランが踏み込む。
ユナは反応した。
だが、遅い。
足首を掴まれた。
「捕まえたぞ」
「しまっ――」
次の瞬間。
ユナの身体が振り回された。
視界が反転する。
壁。
地面。
空。
そして。
ドゴォッ!!
石畳へ叩き付けられた。
「がっ……!」
肺から空気が抜ける。
痛みで視界が白く染まった。
さらにもう一度。
振り上げられ、地面へ叩き付けられる。
「ぐ、ぅ……っ」
意識が遠のく。
身体が動かない。
だが。
クロエの声が、頭の奥で響いた気がした。
――逃げなさい。
「……嫌ニャ」
ユナは、自分の舌を噛みそうになりながら呟く。
「今度は……逃げないニャ……!」
バチィッ!!
自分の身体へ電撃を流す。
意識が無理矢理引き戻された。
焦げるような痛み。
だが、それでいい。
ユナは地面に手を突き、跳ね起きた。
「雷よ!」
青白い電撃がグランを撃つ。
グランの巨体が一瞬止まる。
だが、倒れない。
「効いたぞ」
グランは笑った。
「少しだけな」
「化け物ニャ……」
「お前に言われたくねぇな、ウェアウルフ」
雨が強くなっていた。
空には黒い雲。
遠くで雷鳴が響く。
ユナの耳が動く。
そして、ニヤリと笑った。
「……捕まえたニャ」
「あ?」
ユナの全身に雷が纏わりつく。
青白い火花が毛先を逆立て、尻尾を膨らませる。
グランが目を細める。
「まだ来るか」
「勝ったら教えるって言ったニャ」
「ああ」
「なら、倒すニャ」
ユナが低く構える。
次の瞬間。
風が弾けた。
ユナの身体が一気に加速する。
グランの懐へ飛び込む。
「近付いたのは悪手だ!」
グランの拳が振り下ろされる。
だが、ユナはさらに低く潜った。
拳が髪を掠める。
ユナはグランの足元へ滑り込み、片手を彼の胸へ当てた。
もう片方の指を、空へ向ける。
「雷よ」
空が光った。
グランの表情が変わる。
「まさか――」
「落ちろニャ」
轟音。
天から雷が落ちた。
白い閃光が夜の路地を塗り潰す。
雷はユナの指先へ吸い込まれ、ユナの身体を通り、グランへ叩き込まれた。
さらに、濡れた石畳を伝って地面へ流れ込む。
「ぐ、おおおおおおおッ!!」
グランの巨体が痙攣する。
鋼のような肉体でも、天雷までは受け止め切れない。
焦げた匂い。
煙。
雨。
ユナも膝をついた。
全身が痺れている。
手足が震える。
それでも。
立った。
「……クロエを」
ユナは息を荒げながら、グランを見下ろす。
「返せニャ」
グランは、仰向けに倒れたまま笑った。
「……はっ」
血混じりの息。
それでも、その目は澄んでいた。
「俺の負けだ」
ユナは黙って見下ろす。
グランはゆっくり口を開いた。
「約束は守る」
雨が、二人の間へ降り続ける。
「地下水路だ」
「地下……?」
「ああ。旧排水路の奥に、紫灯の扉がある」
グランは咳き込む。
「そこがジェラの隠しアトリエだ」
ユナの瞳が揺れる。
「本当にそこにクロエがいるニャ?」
「たぶんな」
グランは苦々しく笑った。
「俺も中までは知らねぇ。あいつは幹部の中でも別枠だ」
「別枠?」
「イカれてるって意味だ」
グランは空を見上げた。
「俺は腕力で人を潰す。悪党だ。それは否定しねぇ」
だが。
声が少し低くなる。
「あいつは違う。人を人形にする」
ユナの爪が石畳へ食い込む。
「ジェラ……!」
「急げ」
グランは目を閉じかけながら言った。
「長く捕まってるなら、もうかなり遊ばれてるはずだ」
「……殺すニャ」
ユナの声が低くなる。
「糸使いを、絶対に殺すニャ」
グランは小さく笑った。
「いい目だ」
ユナは背を向ける。
だが、数歩進んで足を止めた。
「……グラン」
「あ?」
「約束守ったのは、覚えておくニャ」
「そうかよ」
グランは雨に打たれながら、少しだけ笑った。
「行け。女を助けに行くんだろ」
ユナは頷かなかった。
ただ、雷を纏い、夜の街へ駆け出した。
目指す先は、地下水路。
紫灯の扉。
ジェラのアトリエ。
「待ってろニャ、クロエ」
雨の中、ユナは牙を剥く。
「今度は、私が助ける番ニャ」




