第26話 糸使いの街
第26話 糸使いの街
数日後。
クロエ達は、深森街道を抜けようとしていた。
巨大な黒い装甲車が、泥を巻き上げながら森の中を進んでいく。
運転席ではスケルトン工作兵団が無言で操縦を続けていた。
そして。
「ニャハハハハ! もっと飛ばすニャー!!」
ユナが窓から身を乗り出して騒いでいた。
「落ちるわよ」
クロエは呆れながら紅茶を飲む。
満月の夜から数日。
ユナは完全にいつもの調子へ戻っていた。
……いや。
正確には、戻ったフリをしていた。
クロエを見る度に、耳が赤くなる。
視線が泳ぐ。
昨日の件を思い出しているのが丸分かりだった。
「……何よ」
「べ、別に何でもないニャ!」
ユナは慌てて窓の外を向く。
クロエはジト目になった。
(本当に分かりやすいわね、この馬鹿猫)
そんな時だった。
森の出口が見える。
その先には、大きな街道と石造りの城壁都市があった。
煙。
喧騒。
人の気配。
かなり大きな街だ。
クロエは地図を確認する。
「グランヴェイル……」
深森街道の中継都市。
木材産業と魔物素材の取引で栄える街。
だが。
同時に。
盗賊、傭兵、冒険者崩れ、密輸商人が集まる治安最悪の街としても有名だった。
「装甲車はここで収納するわ」
「えー?」
ユナが不満そうな声を出す。
「目立ち過ぎるのよ」
クロエが指を鳴らす。
巨大な装甲車が黒霧へ包まれ、そのまま闇収納へ消えた。
「何回見ても意味分からないニャ……」
「慣れなさい」
⸻
グランヴェイルへ入った瞬間。
クロエは小さく眉を顰めた。
空気が悪い。
汗。
酒。
煙草。
血。
獣臭。
様々な臭いが混じり合い、街全体が淀んでいた。
昼間だというのに、酔っ払い同士が殴り合っている。
路地裏には血痕。
壁には刃物傷。
冒険者達は獣のような目付きで通行人を睨んでいた。
そして。
街のあちこちに、赤い灯りが見える。
娼館街だった。
露出の多い服を着た女達が、男達へ媚びるように笑いかけている。
「お兄さん遊んでかない?」
「今日は安いよー?」
だが。
クロエは、その笑顔の奥に怯えを見た。
首輪跡。
痣。
死んだ目。
(……気持ち悪い街ね)
ユナは慣れた様子だった。
「こういう街よくあるニャ」
「嫌な慣れ方ね」
「人間って大体こんな感じニャ」
クロエは少しだけ黙る。
そして。
「……人間の方が魔物より醜いじゃない」
小さく呟いた。
⸻
通りを歩いていると。
周囲の視線が、一斉にクロエへ集まり始める。
黒髪。
黄金の瞳。
整い過ぎた顔立ち。
上品な立ち振る舞い。
この街には明らかに不釣り合いな少女だった。
「おい、あの嬢ちゃん……」
「上玉だな」
「貴族か?」
男達の視線が粘つく。
獲物を見る目。
クロエは露骨に不機嫌そうな顔になった。
「……視線が気持ち悪い」
その時だった。
「お嬢ちゃん」
下卑た声。
三人組の男達が道を塞ぐ。
黒服。
刺青。
腰の剣。
ただのチンピラではない。
この街の裏社会の人間だった。
「うちで働かねぇか?」
男がニヤニヤ笑う。
「絶対人気出るぜ?」
「興味ないわ」
クロエは即答した。
男達はまだ笑っている。
「まぁまぁ、そう言うなって」
「給料も良いぜ?」
「安全に暮らせるしよ」
「嫌よ」
クロエは冷たく言い放つ。
「アンタ達みたいな下品な連中と関わる気はないわ」
一瞬。
男達の笑顔が消えた。
「……嬢ちゃん」
声色が変わる。
「この街じゃ、俺達に逆らうと困るんだよ」
男がクロエの腕を掴もうとした。
その瞬間。
バチィッ!!
「ギャアアアアアッ!?」
青白い雷撃が炸裂した。
男が吹き飛ぶ。
石畳を転がり、痙攣した。
ユナが前へ出る。
赤紫色の瞳が細まっていた。
「クロエに触るニャ」
残る二人が顔を引き攣らせる。
「て、てめぇ……!」
ユナは笑っていた。
牙が少し見えている。
「次は腕くらい吹き飛ぶニャ?」
男達は舌打ちすると、慌てて逃げていった。
クロエは溜息を吐く。
「……面倒ね」
「弱かったニャ」
「問題はそこじゃないわ」
クロエは街の奥を見る。
視線。
殺気。
あちこちから監視されていた。
「この街、裏で完全に繋がってる」
「ニャ?」
「今ので目を付けられたわ」
クロエは小さく溜息を吐いた。
「あんまり長居はしない方が良さそうね」
⸻
だが。
その夜。
裏路地の奥。
マフィアのアジトでは、別の話が進んでいた。
「黒髪に金眼……」
ソファへ座る男が、煙草を吐く。
「ありゃ金になるぞ」
周囲には武装した男達。
そして。
薄暗い部屋の奥。
一人の男が静かに笑っていた。
細い身体。
黒い手袋。
長い指。
病的に白い肌。
そして。
指先から伸びる、見えない糸。
傀儡師ジェラ。
「……美しい」
ジェラが小さく呟く。
机の上には、人形。
糸で吊られた女達。
無理矢理笑顔を作らされている娼婦達。
ジェラは、うっとりした顔で言った。
「商品には勿体ないですね」
男達が顔を顰める。
「おいジェラ。あの女は娼館行き――」
「駄目です」
空気が凍った。
ジェラの瞳だけが笑っていない。
「彼女は私が貰います」
細い指が、ゆっくり動く。
吊られていた人形達の首が、一斉にこちらを向いた。
男達の背筋へ冷たい汗が流れる。
この街で、ジェラに逆らう者はいない。
何故なら。
逆らった者は皆、“人形”になるからだ。
「……好きにしろ」
男が舌打ちした。
ジェラは嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます」
その笑顔は。
まるで新しい玩具を見つけた子供のようだった。
⸻
深夜。
宿へ戻る途中。
クロエが足を止めた。
「……来るわよ」
ユナの耳が立つ。
次の瞬間。
路地裏の闇から、無数の気配が現れた。
武装した男達。
屋根の上。
建物の陰。
完全な包囲。
「やっぱり来たニャ」
ユナが雷を纏う。
だが。
その時だった。
ヒュ――……
何かが空気を裂いた。
「ッ!?」
ユナの身体が、不自然に止まる。
腕が震える。
「な、何ニャ……これ……」
見えない。
だが。
何かが身体へ絡み付いていた。
指が勝手に動く。
足が止まらない。
「身体が……っ!」
路地裏の奥。
ジェラが微笑んでいた。
「初めまして」
指先が動く。
ユナの腕が、勝手にクロエへ向けられた。
「や、やめるニャ……!」
クロエの黄金の瞳が細まる。
(……糸?)
次の瞬間。
別方向から、さらに糸が飛ぶ。
標的はユナ。
クロエは咄嗟に前へ出た。
「クロエ!?」
見えない糸が、クロエの身体へ突き刺さる。
ビクリ。
全身が硬直した。
「っ……!?」
指先が勝手に動く。
脚が止まる。
ジェラが、うっとりとした笑みを浮かべた。
「素晴らしい……」
黄金の瞳。
黒髪。
反抗的な視線。
「やはり、美しい」
ユナが叫ぶ。
「クロエ!!」
クロエは歯を食い縛った。
身体が動かない。
まずい。
このままでは。
ユナまで捕まる。
その瞬間。
クロエの脳裏へ、一瞬だけ前世の記憶が過ぎった。
泣きそうな顔の美咲。
助けを求める声。
置いていかれる恐怖。
クロエは叫んだ。
「逃げなさい!!」
「嫌ニャ!!」
「来るな!!」
クロエの身体が、糸によって無理矢理持ち上がる。
「アンタまで捕まったら意味ないでしょ!!」
ユナの瞳が揺れる。
悔しさ。
怒り。
涙。
全部混ざっていた。
「……絶対戻るニャ!!」
雷が爆ぜる。
ユナは男達を吹き飛ばしながら、路地裏の闇へ逃げ込んだ。
「必ず助けるニャ!!」
クロエは小さく目を閉じる。
「……それでいいのよ」
ジェラが嬉しそうに微笑んだ。
「素晴らしい」
見えない糸が、クロエの腕をゆっくり持ち上げる。
「本当に、美しい人形だ」




