第23話 髑髏の騎士
第23話 髑髏の騎士
地下牢の鉄格子が、静かに開いた。
ユナは周囲を警戒しながら、小声で囁く。
「急ぐニャ。見張りが戻ってくる前に――」
「その前に」
クロエは首元の封魔の首輪へ指を掛けた。
黒い金属。
魔力を流すたび、嫌な熱を帯びる呪具。
「これ、外せる?」
ユナは顔を顰める。
「……無理ニャ。族長が鍵を持ってるニャ」
「そう」
クロエは不機嫌そうに目を細めた。
「なら、先に族長を殺すわ」
その声音は静かだった。
だが、地下牢の空気が一瞬で冷えた。
ユナは思わず息を呑む。
(……首輪付きでそれ言うの、正気じゃないニャ)
だが、不思議と、ただの強がりには聞こえなかった。
クロエの黄金色の瞳には、怯えも焦りも無い。
あるのは、冷たい怒りだけ。
⸻
地下牢を出ると、村は異様な静けさに包まれていた。
夜空には、雲に隠れかけた月。
木々の隙間から吹き抜ける風が、獣臭を運んでくる。
家々の窓の奥で、赤い瞳が揺れていた。
既に気付かれている。
逃げ出した獲物。
裏切り者のハーフ。
そして――怒らせてはいけない少女。
「いたぞ!」
「逃がすな!」
怒号と同時に、村人達の身体が膨れ上がる。
骨が軋む。
皮膚が裂ける。
灰色の毛皮が全身を覆い、顔が狼へ変わっていく。
赤い瞳。
鋭い牙。
長い爪。
ウェアウルフ。
しかも、一体や二体ではない。
村中から群れが集まり始めていた。
「……数が多いニャ」
ユナの耳が緊張で立つ。
クロエは薄く笑った。
「問題ないわ」
「首輪付いてるニャ!?」
「少しは使える」
クロエは指先を闇へ沈める。
その瞬間。
封魔の首輪が紫色に発光した。
「ッ――!!」
激痛。
まるで焼けた鉄を魔力回路へ突き込まれたような痛みが全身を駆け抜ける。
血管の内側を炎が走る。
魔力を流そうとする度に、首輪が強制的に魔力回路を焼いていた。
「クロエ!?」
ユナが目を見開く。
クロエの口元から、血が零れ落ちた。
「……ゲホッ」
赤黒い血が石畳へ落ちる。
だが。
クロエは止まらない。
黄金色の瞳は、冷たいままだった。
「本当に……面倒な首輪ね」
無理矢理、闇収納をこじ開ける。
空間が歪み、黒い棺が現れた。
第101の櫃。
蓋が開く。
黒い霧の中から、巨大な影が踏み出した。
処刑人ジャック。
黒衣の処刑人が、首切り刀を引き摺りながらクロエの前へ立つ。
「ジャック」
クロエは短く命じる。
「首を刈りなさい」
ジャックは無言で前へ出た。
⸻
ウェアウルフが跳ぶ。
その速度は、人間の目には残像にしか見えない。
だが。
ジャックの刃は、それより速かった。
ザンッ!!
一閃。
ウェアウルフの首が宙を舞う。
胴体が崩れ落ち、血飛沫が石畳を濡らした。
「なっ……!?」
「首を落とされた……!?」
ウェアウルフ達が動揺する。
だが次の瞬間。
別方向から三体が同時に飛び掛かる。
ジャックが一体の首を刎ねる。
しかし、残る二体が横を抜けた。
クロエへ迫る牙。
その瞬間。
雷光が弾けた。
「させないニャ!」
ユナが手を突き出す。
青白い雷撃がウェアウルフの顔面へ炸裂した。
「ガァッ!?」
怯んだ。
その隙へ、さらに風刃が走る。
「風よ!」
風の刃が目元を裂き、ウェアウルフ達の動きが乱れる。
ジャックの刃が戻ってきた。
ザシュッ。
二つの首が同時に飛ぶ。
クロエはユナを横目で見る。
「へぇ。本当に魔術が使えるのね」
「だから言ったニャ!」
ユナは強気に言い返した。
だが、その手は震えていた。
怖いのだ。
村を裏切ったことも。
これから何が起きるのかも。
全部。
それでも、ユナはクロエの前へ立っていた。
⸻
だが、群れは止まらない。
屋根の上。
井戸の陰。
森の闇。
次々とウェアウルフ達が現れる。
クロエは再び闇へ手を沈めた。
「第二の棺」
空間が歪む。
スケルトン歩兵隊が展開された。
魔銃が一斉に火を吹く。
銃声が夜の村へ響き渡った。
弾丸が肉を裂き、骨を砕く。
だが。
ウェアウルフ達は止まらない。
裂けた肉が蠢き、傷が泡立つように塞がっていく。
「……再生が早いわね」
クロエが眉を顰める。
ウェアウルフ達は銃弾を浴びながら突進し、スケルトン兵へ襲い掛かった。
爪が骨を砕く。
牙が頭蓋を噛み潰す。
スケルトン歩兵隊が次々と破壊されていく。
ジャックも奮戦する。
首を落とせば殺せる。
だが数が多すぎた。
一体を斬るたび、別の三体が襲い掛かる。
ジャックの黒衣が裂け、骨の腕に爪痕が刻まれる。
「……ジャックだけじゃ足りない」
クロエは静かに呟く。
その瞬間。
封魔の首輪が再び発光した。
「ッ……!」
激痛。
今度は肺が焼けるようだった。
魔力回路が軋む。
焼き切れる。
喉の奥から熱い液体が込み上げる。
「ゲホッ……!」
大量の血が口から溢れ落ちた。
ユナの顔が青ざめる。
「クロエ!?」
「そこまでして使うニャ!?」
「今止めたら……死ぬだけよ」
クロエは血を拭う。
そして。
黄金色の瞳を、ウェアウルフの群れへ向けた。
「第102の櫃」
空間が震える。
「解放」
⸻
村の中央へ、巨大な黒い棺が落下した。
轟音。
地面が砕ける。
紫色の魔法陣が広がった。
棺の表面には、王冠と剣の紋章。
その瞬間。
ウェアウルフ達が、本能的恐怖で動きを止めた。
空気が変わる。
冷たい。
死の気配。
棺の扉が、ゆっくりと開いた。
ガン。
重い足音。
ガン。
漆黒の甲冑。
ガン。
破れた黒マント。
兜の奥で、紫の鬼火が揺れる。
髑髏の騎士アーサー。
その手には、黒炎を纏う呪剣グラム。
黒炎が周囲を照らし、村全体が冥界の色へ染まる。
ユナは息を呑んだ。
「……な、何ニャ……あれ……」
クロエは冷たい声で命じる。
「アーサー」
黄金色の瞳が、ウェアウルフ達を見据える。
「蹂躙しなさい」
髑髏の騎士は、無言で剣を構えた。
次の瞬間。
黒炎が爆ぜた。
ウェアウルフの身体が斜めに裂ける。
「グアアアアアッ!?」
絶叫。
だが、傷が塞がらない。
肉が焼けているのではない。
魂そのものが燃えていた。
黒炎は冥界の炎。
呪剣グラムに斬られた傷は、再生を許さない。
「なっ……!?」
「傷が戻らない!?」
ウェアウルフ達の赤い瞳に、初めて恐怖が宿った。
ジャックが首を刈る。
アーサーが魂を焼く。
スケルトン歩兵隊が足止めする。
ユナが雷と風で動きを縫い止める。
戦況は、一気に逆転した。
⸻
やがて。
族長が現れる。
銀混じりの灰毛。
他の個体より遥かに巨大な体躯。
赤い瞳には怒りと恐怖が混じっていた。
「貴様……何者だ」
クロエは首輪へ手を掛けながら、冷たく笑う。
「ただの旅人よ」
「旅人が、冥界の騎士を従えるものか!」
「そうね」
クロエは少しだけ首を傾げた。
「なら、運が悪かったのよ」
族長が咆哮する。
凄まじい衝撃が村を揺らした。
巨大な身体がアーサーへ突撃する。
爪と呪剣が激突した。
火花。
黒炎。
衝撃。
一瞬、アーサーの身体が押される。
「強いニャ……!」
ユナが息を呑む。
族長の再生速度は、他個体とは比べ物にならない。
グラムの黒炎を受けても、なお動く。
だが。
アーサーは止まらない。
無言のまま剣を振るう。
斬る。
焼く。
また斬る。
黒炎が族長の肉を蝕み、魂を削っていく。
「なぜだ……!」
族長が呻く。
「なぜ、我らの血が……!」
「血?」
クロエは冷たく吐き捨てた。
「そんなもの、魂が焼ければ意味ないでしょう」
次の瞬間。
ジャックが背後へ回り込む。
首切り刀が弧を描いた。
アーサーの呪剣が正面から族長の胸を貫く。
黒炎が爆ぜる。
そして。
ザンッ。
族長の首が落ちた。
重い頭部が地面を転がる。
赤い瞳から光が消えていく。
深森の人喰い村は、その瞬間に終わった。
⸻
夜明け前。
村には、もう獣の声は無かった。
焼け焦げた家々。
血塗れの広場。
倒れ伏すウェアウルフ達。
クロエは族長の死体から鍵を奪い、首輪を外した。
カチャン。
封魔の首輪が地面へ落ちる。
その瞬間。
クロエの身体が大きくふらついた。
「クロエ!?」
ユナが慌てて支える。
クロエの呼吸は荒い。
焼けた魔力回路の痛みが全身を蝕んでいた。
無理矢理、102番を解放した代償は重い。
「……平気よ」
そう言う声すら掠れていた。
だが。
クロエはゆっくりと、族長の死体へ手を伸ばす。
「魂喰らい」
次の瞬間。
族長の死体から、青白い光が吸い上げられた。
魂。
ウェアウルフ族長の生命力と魔力。
それらが、黒い霧となってクロエへ流れ込む。
「っ……!」
焼け付いていた魔力回路へ、冷たい力が流れ込む。
軋んでいた回路が修復されていく。
裂けた傷が塞がる。
失われた魔力が満ちていく。
ユナが目を見開いた。
「な、何してるニャ……!?」
クロエはゆっくり息を吐く。
口元に残る血を拭いながら、小さく笑った。
「便利なのよ。この力」
族長の死体は、急速に干からびていく。
魂を喰われた肉体は、ただの抜け殻だった。
ユナは思わず一歩後退る。
(……やっぱり、この人怖いニャ)
しばらくして。
ユナは少し離れた場所で、黙って村を見ていた。
怒り。
安堵。
寂しさ。
複雑な感情が、その横顔に浮かんでいる。
「……後悔してる?」
クロエが尋ねる。
ユナは鼻を鳴らした。
「してないニャ」
少しだけ間を置いて。
「でも……何も思わない訳じゃないニャ」
「そう」
クロエはそれ以上聞かなかった。
代わりに、村に転がるウェアウルフ達の死体を見下ろす。
「回収しなさい」
スケルトン工作兵団が動き始めた。
死体を広場へ集めていく。
クロエが指を鳴らす。
「第10,001の櫃」
空間が歪み、巨大な黒い棺が現れる。
本来存在しない、空白の棺。
内部には、黒い霧に包まれた冥界の森のような空間が広がっていた。
ウェアウルフ達の死体が、一体ずつ闇へ沈んでいく。
やがてそれらは、冥狼兵として再構成されるだろう。
ユナが顔を引き攣らせた。
「……死体まで使うのかニャ」
「使えるものを使うだけよ」
クロエは淡々と答える。
ユナは小さく身震いした。
「やっぱりアンタ、怖いニャ……」
「ついてくるんでしょ?」
「行くニャ」
ユナは即答した。
「ここに残るより、ずっとマシニャ」
クロエは小さく笑う。
「好きにしなさい」
こうして。
地図に存在しない人喰い村は、一夜にして消滅した。
そしてクロエの旅には、少し騒がしいハーフウェアウルフの少女が加わることになった。




