第22話 人喰い村
第22話 人喰い村
深森街道を走る黒い装甲車が、ゆっくりと速度を落とした。
鬱蒼とした森。
昼だというのに薄暗い空。
湿った霧が木々の隙間を漂い、空気には冷たい獣臭が混じっている。
その奥に、小さな集落が見えた。
「……村?」
後部座席で地図を広げていたクロエは、小さく眉を顰める。
地図には存在しない。
だが、確かに人は住んでいる。
煙突から煙が上がり、木造の家々が並び、広場には人影も見えた。
しかし。
風に乗って流れてきた臭いに、クロエは静かに目を細める。
濃密な血の臭い。
乾いた血。
肉。
腐敗。
そして、獣。
「……ただの村じゃなさそうね」
クロエは小さく笑った。
「まぁ、宿くらいはあるでしょ」
⸻
装甲車が村へ入ると、村人達が一斉に視線を向けた。
鉄の怪物。
骸骨の御者。
黒髪の少女。
普通なら悲鳴を上げてもおかしくない光景。
だが。
村人達は笑っていた。
「旅人さんかい?」
中年の男が人懐っこい笑みを浮かべる。
「珍しいなぁ。この森を一人で越えるなんて」
「宿を探してるの」
「なら歓迎するよ。泊まっていくといい」
周囲の村人達も穏やかに笑っている。
だが。
クロエは、その視線に妙な粘つきを感じていた。
値踏みするような目。
獲物を見るような目。
特に男達の視線が妙だった。
(……気持ち悪いわね)
クロエは内心で小さく溜息を吐く。
⸻
宿へ案内されると、豪勢な料理が並べられた。
肉。
肉。
肉。
妙に肉料理ばかりだった。
「狩りが盛んなの?」
クロエが尋ねると、女将が笑う。
「ああ、この森は獲物が多いからねぇ」
「そう」
クロエは微笑む。
だが、料理には手を付けない。
その時だった。
奥の席に座る若い女が視界に入る。
虚ろな瞳。
首輪の跡。
腕に残る噛み傷。
そして、微かに漂う獣臭。
(……?)
クロエは少しだけ目を細める。
普通ではない。
何かがおかしい。
まるで、人間が“別の何か”へ変質し始めているような違和感があった。
「若い女の旅人なんて久しぶりだよ」
男の一人が笑った。
「村長も喜ぶ」
周囲からも笑い声が漏れる。
その瞬間。
クロエの背筋に、僅かな嫌悪感が走った。
⸻
深夜。
宿の部屋。
クロエはベッドへ横になっていた。
眠っているように見える。
だが、完全に起きていた。
廊下が軋む。
一人。
二人。
三人。
低い獣の息遣い。
「眠ったか?」
「薬は効いてる」
「上玉だな」
「次の満月が楽しみだ」
クロエは、薄く目を開けた。
(……薬?)
次の瞬間。
扉がゆっくり開く。
入ってきた村人達の姿を見て、クロエは初めて目を細めた。
筋肉が膨れ上がる。
皮膚が裂ける。
灰色の毛皮。
赤い瞳。
鋭い牙。
長い爪。
「……へぇ」
クロエは静かに呟く。
「人狼、ってやつ?」
ウェアウルフ。
それが、この怪物達の正体だった。
だが。
クロエが完全に起き上がるより早く、背後の窓が砕け散る。
ガァンッ!!
巨大なウェアウルフが飛び込んできた。
その爪には、紫色の液体が塗られていた。
「っ!?」
避けきれない。
爪がクロエの肩を掠める。
焼けるような痛み。
直後。
身体から力が抜けた。
「……毒……?」
視界が揺れる。
魔力が上手く練れない。
そこへ、別のウェアウルフ達が一斉に押し寄せた。
首輪。
鎖。
拘束具。
「捕まえろ!」
「傷付け過ぎるな!」
「女は貴重だ!」
クロエは舌打ちした。
(……油断したわね)
完全に初見殺しだった。
群れで狩る。
毒を使う。
拘束に慣れている。
ただの獣ではない。
狩人だ。
⸻
目を覚ますと、クロエは地下牢へ閉じ込められていた。
冷たい石壁。
鉄格子。
首には黒い首輪。
魔力を封じる封魔の首輪だった。
「……最悪」
クロエは小さく吐き捨てる。
周囲には、女達が居た。
だが、その姿は普通ではない。
獣耳。
伸びた牙。
赤い瞳。
半分だけ獣化している。
正気も薄い。
そして。
全員、怯えていた。
その時。
重い足音が地下牢へ響く。
現れたのは、巨大なウェアウルフだった。
銀混じりの灰毛。
異様に大きな体躯。
赤い瞳。
族長だった。
「美しい女だ」
族長はクロエを見下ろす。
「強い魔力を持っている」
クロエは冷たく睨み返した。
「アンタ達、女を攫って何してるの?」
族長が低く笑う。
「男は食糧」
「だが女は違う」
その瞳が獣のように細まる。
「我らの血を飲ませ、群れへ加える」
「次の満月には、お前もウェアウルフとなる」
クロエの眉がピクリと動いた。
「そして、番と結ばれ、子を産む」
沈黙。
そして。
「……気持ち悪いわね」
クロエは本気で嫌そうな顔をした。
自由を奪い。
別の存在へ変える。
それは、クロエが最も嫌う行為だった。
族長は笑う。
「お前ほどの女なら、強い仔を産むだろう」
「その前に殺してあげるわ」
クロエの黄金の瞳が冷たく細まる。
だが、族長は笑ったままだった。
「首輪を付けられた魔術師に何が出来る?」
そう言い残し、地下牢を後にする。
⸻
静寂。
地下牢には、水滴の落ちる音だけが響いていた。
冷たい石壁。
鉄格子。
湿った血の臭い。
そして、檻の奥で怯える女達。
クロエは首輪へ触れながら、小さく溜息を吐く。
「……厄介ね」
封魔の首輪。
魔力の流れを強制的に阻害されている。
完全に封じられている訳ではないが、まともに大規模魔術を使える状態ではなかった。
その時。
カチャ――
小さな音が響く。
クロエの黄金色の瞳が、静かに細められた。
鉄格子の向こう。
そこに、一人の少女が立っていた。
灰色の獣耳。
細い尻尾。
人間に近い姿だが、完全な人間ではない。
赤紫色の瞳が、警戒するようにクロエを見ていた。
「……アンタ」
少女は小声で呟く。
「さっき族長に喧嘩売ってた奴ニャ」
クロエは無言で少女を見る。
敵意は薄い。
だが、完全に信用している訳でもない。
少女は周囲を確認すると、素早く鉄格子の鍵を差し込んだ。
カチャリ。
「助けてくれるの?」
クロエが静かに尋ねると、少女は鼻を鳴らした。
「タダじゃないニャ」
鉄格子がゆっくり開く。
少女は腕を組み、クロエを睨むように見上げた。
「この村から私を連れ出すなら、助けてやるニャ」
クロエは少しだけ目を細める。
「……交渉のつもり?」
「そうニャ」
少女は即答した。
「あいつら、嫌いニャ」
その声音には、僅かな苛立ちと諦めが混じっていた。
「半分しかウェアウルフの血が入ってない私は、ずっと村八分だったニャ」
少女は吐き捨てるように言う。
「人間も嫌い。でも、あいつらはもっと嫌いニャ」
強気な口調。
だが、よく見れば、鍵を握る手が少しだけ震えていた。
怖いのだ。
村を裏切ることも。
この先どうなるのかも。
全部。
それでも、ここに残るよりマシだと思っている。
「名前は?」
「ユナ」
少女は短く答えた。
「アンタは?」
「クロエ」
ユナはクロエをじっと見つめる。
黒髪。
黄金色の瞳。
首輪を嵌められているのに、不思議なほど落ち着いている少女。
普通じゃない。
少なくとも、今までこの村へ迷い込んできた旅人達とは明らかに違った。
「……アンタなら、この村ぶっ壊せそうニャ」
クロエは小さく笑う。
「生意気な子ね」
その言い方が。
どこか前世の親友――美咲を思い出させた。
強気で。
負けん気が強くて。
でも、本当は寂しがり屋だった少女。
クロエは小さく息を吐く。
「いいわ」
ユナの耳がピクリと動いた。
「連れて行ってあげる」
「本当ニャ!?」
「ただし」
クロエの黄金色の瞳が冷たく細まる。
「先に、この気持ち悪い村を潰す」
一瞬。
地下牢の空気が震えた。
ユナは思わず息を呑む。
首輪を付けられている。
拘束されている。
それなのに。
この少女は、まるで自分が負けるなど微塵も思っていなかった。




