第20話 堕ちた伯爵令嬢
第20話 堕ちた伯爵令嬢
鉄格子の向こうから、怒号が飛び交っていた。
「次の商品を出せ!」
「その女はいくらだ!」
「人間の貴族女だぞ!」
獣臭。
酒の臭い。
汗と血と鉄の臭いが混ざった空気に、レオーネは小さく吐き気を堪える。
鎖が重かった。
首輪から伸びた鉄鎖は、両腕と腰を繋ぎ、自由を奪っている。
薄汚れた赤いドレス。
乱れた金髪。
泥に汚れた靴。
かつて、ロレント伯爵家の令嬢として誰より優雅に振る舞っていた少女は、今や檻の中の商品でしかなかった。
「歩け」
背後から、巨大な手が鎖を乱暴に引いた。
「っ……!」
レオーネの身体が前へ引き倒される。
周囲から下卑た笑い声が上がった。
そこは、オークの国最大級の奴隷市場だった。
木製の足場。
鉄檻。
怒鳴り声。
大量の奴隷達。
そして、それを値踏みするオーク達。
レオーネは震える脚で立ち上がる。
赤い瞳には、まだ怒りが残っていた。
「わ、私はロレント伯爵家の――」
その瞬間。
オークが鎖を強く引いた。
「まだ自分が貴族のつもりか?」
「っ!」
喉が締まる。
苦しい。
涙が滲む。
だが。
周囲の誰も助けない。
むしろ笑っていた。
「上玉じゃねぇか」
「顔も良い」
「人間の貴族女は高く売れるぞ」
値踏みされる。
視線が肌を舐める。
まるで家畜を見るように。
「……嫌」
レオーネは震えた。
初めてだった。
自分が、“選ぶ側”ではなく、“選ばれる側”になったのは。
⸻
数日後。
レオーネは、オークの国の歓楽街にある大きな酒場兼娼館で働かされていた。
薄暗い店内。
獣臭い空気。
乱暴な笑い声。
巨大なオーク達が酒を飲み交わし、怒鳴り合っている。
「酒が空だ!」
「さっさと持ってこい!」
「……はい」
レオーネは俯いたまま酒瓶を持つ。
鎖の音が鳴る。
手首には枷。
首輪も外されていない。
薄汚れた白い服は既に何度も洗われ、擦り切れていた。
酒を注ぐたびに、周囲の視線が突き刺さる。
昔のレオーネなら耐えられなかっただろう。
だが。
逆らえば殴られる。
逃げれば鎖を引かれる。
それを何度も繰り返し、少しずつ彼女の心は削られていた。
「ほら、もっと笑え」
オークの男が顎を掴む。
レオーネの肩が小さく震えた。
「……っ」
屈辱だった。
だが、反抗する気力ももう残っていない。
その夜。
酒場の中央では、乱暴な太鼓の音が響いていた。
オーク達の怒鳴り声と笑い声が混ざり、熱気と酒臭さで空気が重い。
「次は金髪の人間女だ!」
「踊らせろ!」
「もっと近くで見せろ!」
歓声が飛ぶ。
レオーネは小さく肩を震わせた。
薄布の踊り子衣装。
露出こそ多くないものの、以前の伯爵令嬢時代なら絶対に人前へ出ることなど有り得ない格好だった。
「早く行け」
背中を押される。
鎖が鳴った。
「……っ」
レオーネは俯いたまま、木製の舞台へ上がる。
無数の視線。
下卑た笑い声。
酒を片手に、自分を見上げるオーク達。
まるで家畜品評会だった。
太鼓の音が鳴る。
「踊れ」
短い命令。
レオーネは震える脚を動かした。
ぎこちない動き。
重い鎖。
晒される視線。
その度に、歓声と笑い声が上がる。
「ははっ! 元貴族様の踊りか!」
「もっと腰を動かせ!」
「泣きそうな顔してやがる!」
レオーネは唇を噛む。
悔しい。
惨めだった。
けれど。
逆らえば、また殴られる。
食事も減らされる。
逃げ場など無かった。
だから。
レオーネは俯いたまま踊り続ける。
汗が流れる。
視界が滲む。
昔の自分なら、こんな光景を見て笑っていたかもしれない。
けれど今、その舞台の上に立っているのは、自分だった。
⸻
数ヶ月後。
夜。
狭い石造りの部屋。
湿った空気。
雨音。
小さなランタンだけが、暗い室内を照らしていた。
レオーネは粗末なベッドへ腰を下ろす。
鎖が鳴る。
身体が重い。
酷い倦怠感。
食欲も無い。
それなのに。
腹だけが、不自然に膨らんでいた。
「……なんで」
震える指先が、自分の腹へ触れる。
丸く膨らんだ腹部。
明らかに異常だった。
「……嫌」
レオーネの瞳から、涙が零れ落ちる。
思い出す。
かつて、自分が奴隷達へ向けていた視線を。
怯える女達。
泣き叫ぶ子供。
鎖。
檻。
値札。
その全てを、自分は見下していた。
なのに。
今は、自分がその側へ落ちている。
「どうして……こんな……」
返事は無い。
助けてくれる者も居ない。
ロレント伯爵家は消えた。
父も。
使用人達も。
衛兵も。
誰も来ない。
鎖の音だけが、静かな部屋へ響いていた。
⸻
窓の外では、雨が降り続けている。
オーク達の怒鳴り声が遠くから聞こえた。
レオーネは膝を抱えるように身体を丸める。
そして。
小さく震えながら、ゆっくり目を閉じた。
もう。
誰も、自分を助けてはくれなかった。




