第16話 面倒事は王家へ
第16話 面倒事は王家へ
パンケーキを食べ終えた後。
クロエは宿屋へ戻ると、部屋の扉に鍵を掛けた。
そして、闇収納から分厚い帳簿と契約書の束を取り出す。
奴隷売買記録。
港湾倉庫の使用許可証。
オーク母国の印章。
ロレント貴族の署名。
賄賂の記録。
これを冒険者ギルドへそのまま出すのは危険だった。
「……面倒臭いことは王家に任せましょう」
クロエは小さく呟く。
王家なら、地方貴族の不正を潰す権限がある。
それに、ロレントのギルドや衛兵がどこまで腐っているか分からない以上、証拠を地元に預ける気にはなれなかった。
「ちょうど良さそうな人間もいるし」
クロエは封書を作ると、スケルトン諜報部隊を呼び出した。
「王都へ。第一王子シオン・エスパーダの執務室へ届けなさい」
黒装束のスケルトンは音もなく頭を垂れる。
「ただし、私の名前は出さないこと」
次の瞬間、諜報部隊は影へ溶けるように消えた。
⸻
王都。
王宮。
第一王子シオン・エスパーダは、苛立ちを押し殺しながら報告を聞いていた。
「未だ、クロエ様の行方は掴めておりません」
「探せ」
低い声。
だが、部屋の空気が震えるほどの圧があった。
「王都周辺だけではない。街道、港町、魔導列車の中継都市まで調べろ」
「はっ」
側近達が頭を下げる。
その時だった。
執務室の影が僅かに揺れる。
護衛騎士が剣へ手を掛けるより早く、シオンが目を細めた。
「待て」
「殿下?」
影の中から、黒装束の骸骨が現れる。
異様な気配。
死霊の魔力。
だが、その奥に混じる魔力を、シオンは知っていた。
「……クロエ?」
それは昔、魔術訓練で何度も感じた魔力だった。
ただし、今は以前より遥かに濃い。
闇が深い。
まるで別人のように変質している。
それでも。
間違いなく、クロエの魔力だった。
「何があったんだ……」
スケルトン諜報兵は何も答えない。
ただ封書を机の上へ置くと、再び影の中へ消えた。
側近達が騒然とする。
シオンは封を切り、中身を確認した。
そして、表情が一気に険しくなる。
「ロレント貴族の奴隷売買……オーク国家との密約……港湾管理者の賄賂記録……」
読み進めるほど、怒りが込み上げる。
だが、それ以上に。
シオンは封書の最後に添えられた短い一文を見つめていた。
『後はよろしく』
「……あいつ」
安堵。
怒り。
呆れ。
心配。
全てが混ざったような表情で、シオンは小さく息を吐いた。
「生きているなら、直接連絡くらいしろ……」
その声音には、安堵と怒りが入り混じっていた。
行方不明になってから、どれだけ探したと思っているのか。
王宮中が大騒ぎだった。
それなのに。
本人は恐らく、どこかで自由気ままに動いている。
「……本当に、お前は」
だが、生きている。
それだけで十分だった。
しかし、クロエが戻る気など無いことも理解した。
これは助けを求める手紙ではない。
面倒事を王家へ投げただけだ。
シオンは静かに立ち上がる。
「ロレントへ監査官を送る。信用できる者だけで編成しろ」
「はっ」
「この件は内密に進める。王家の名に泥を塗った連中を、一人残らず洗い出せ」
紫の瞳に冷たい怒りが宿る。
「それと、クロエの捜索も続けろ」
⸻
一方、ロレント。
クロエは冒険者ギルドへ向かっていた。
こちらには、表向きの報告だけでいい。
余計な情報は出さない。
ギルドへ入ると、昨日より空気が重かった。
港の事件で、冒険者達もざわついている。
クロエが受付へ向かうと、受付嬢が目を見開いた。
「クロエさん……下水道調査の件ですね」
「ええ」
クロエは淡々と答える。
「下水道の奥に、オーク達の拠点があったわ。捕まっていた人達もいた」
「人達……?」
「女子供が中心。奴隷として異国へ運ばれる予定だったみたいね」
受付嬢の顔色が変わる。
周囲の冒険者達の会話も止まった。
「数は?」
「百人以上」
ギルド内が静まり返る。
酒場スペースに居た冒険者の一人が、ゴクリと喉を鳴らした。
「……オーク共、そんな事してやがったのか」
「しかも港まで使ってたってのか……?」
空気が重い。
誰も軽口を叩けなくなっていた。
「……百人以上?」
「ええ。港の奴隷船にも捕らえられていたわ。そちらはもう解放済み」
「か、解放済みって……まさか、昨日の港の爆発は……」
「戦闘中に火薬へ引火したの」
半分は本当だった。
受付嬢は呆然としている。
周囲の冒険者達も言葉を失っていた。
「おい……あの港の騒ぎ、こいつが……?」
「新人だろ……?」
「いや、新人が港を半壊させるかよ……」
クロエは聞こえないふりをした。
「依頼は達成で良いかしら?」
「あ、は、はい……確認が必要ですが、状況的には……」
受付嬢は慌てて記録を取る。
その奥。
一人の職員が、妙に青ざめた顔でクロエを見ていた。
クロエはそれを横目で確認する。
男が、汗を滲ませながら部屋の奥へ消えていく。
その表情は、明らかに怯えていた。
クロエは、その姿を黄金色の瞳で静かに見送る。
(やっぱり、怪しい人間はいるわね)
だからこそ、証拠をここへ出さなくて正解だった。
⸻
同じ頃。
ロレント貴族街。
豪奢な屋敷の一室で、一人の令嬢が報告書を眺めていた。
レオーネ・フォン・ロレント。
ロレント伯爵家の令嬢。
美しい金髪を優雅に巻き上げ、赤い瞳には退屈と嗜虐の色が浮かんでいる。
「港が潰された上に、奴隷まで解放された……ね」
そう呟きながら、ようやく報告書へ視線を落とした。
レオーネの足元には、一人の女が跪いていた。
首には豪奢な装飾の首輪。
そこから伸びる銀鎖は、レオーネの椅子へ繋がれている。
女は薄汚れた服を着せられていたが、その瞳には強い怯えが浮かんでいた。
口には革製の口枷。
声を出せないようにされている。
「んっ……!んぅ……!」
女が震えながら身体を引こうとする。
だが。
次の瞬間。
レオーネは退屈そうに脚を組み替え、そのまま女の頭を踏み付けた。
「静かにしなさい」
ヒールが髪を踏み潰す。
女の身体が小さく震える。
それでも使用人達は誰も視線を向けない。
既に見慣れた光景だった。
レオーネはつまらなそうに溜息を吐く。
「最近の子は我慢が足りないわね」
彼女は紅茶を口に含む。
そして、報告書に挟まれていた一枚の写真を手に取った。
そこには、黒髪に黄金色の瞳を持つ少女が写っていた。
黒いフード付きの服。
生意気そうな目。
けれど、ぞっとするほど美しい顔立ち。
レオーネの唇が、ゆっくり吊り上がる。
「……綺麗な子」
レオーネは指先で写真の頬をなぞる。
まるで、新しい玩具を見つけた子供のように。
「泣き顔も綺麗そうね」
赤い瞳が、愉悦に細められた。
「生意気そうだけれど、美しいわね」
楽しそうに目を細める。
「じっくり躾けて、私の犬にしたら……愉しそう」
側近の男が僅かに顔を強張らせる。
「お嬢様、相手は港を潰した冒険者です。迂闊に手を出すのは――」
「黙りなさい」
レオーネの声が冷える。
「私は欲しいものを手に入れるだけよ」
彼女はまだ知らない。
自分が興味を持った少女が、ただの冒険者ではないことを。
王都で行方不明となっている公爵令嬢であり。
魂と鋼を操る魔女であり。
死者の軍勢を従える存在であることを。
レオーネはまだ知らない。
手を出してはいけない相手に、手を出そうとしていることを。




