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白夜戦記──世界に光を降らせる日  作者: ルシア
第2章 士官学校

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第5話 奴隷からの解放

 アルザルを出発してから、およそ3週間が経過していた。

 豪奢な馬車は、ザイバス共和国の荒涼とした大地を抜け、徐々に緑の増えていく街道を北へと進み続けていた。

 グレンの体は、ジョンの手配した医師たちの治療と、馬車での安静な生活のおかげで、見違えるように回復していた。全身の裂傷はふさがり、火傷の跡も赤みは引いている。だが、その首には未だに、奴隷市で嵌められた分厚く重い鉄の首輪(チョーカー)が、忌まわしい冷たさを伴って巻き付いたままであった。


 やがて、馬車の窓の外に、巨大な建造物が見えてきた。

 天高くそびえ立つ堅牢な石造りの防壁と、そこにはためく、ザイバス共和国とは意匠の異なる青を基調とした鮮やかな国旗。


「グレン、見えてきたよ。あれがザイバス共和国と我々ガレア連邦を隔てる、国境検問所だ」


 ジョンの言葉通り、馬車は厳重な警備が敷かれたゲートの前でゆっくりと停車した。

 荷物や入出国希望者の厳密な審査が行われる場所だ。ザイバス共和国からガレア連邦へ入国するための審査は、ザイバス側の人間ではなく、青い制服に身を包んだガレア連邦の入国審査官たちによって行われる。

 間もなく、馬車の扉が開かれ、毅然とした態度をした4人の審査官が乗り込んできて検査を始めた。


「身分証の提示をお願いします。あなたのお名前とご職業は?」


「私はガレア連邦・首都コンコルディアにある『ヴェリタス学院』で教員をしております、ジョン・ハイルマンと申します。こちらが身分証です」


 ジョンが懐から銀色の紋章が刻まれた手帳を渡すと、代表の審査官はそれを手元の魔導具にかざし、真偽を確認して頷いた。


「なるほど、ハイルマン教授ですね。確認いたしました。……この度の出国は個人的なご旅行ですか? それともお仕事で?」


「仕事です。ザイバスのアルザル学院で開催された、歴史学の学会に参加しておりました」


「なるほど、ご苦労様です」


 そう言って、馬車に積まれた荷物を手際よく点検する3人の審査官を尻目に、代表の男はジョンの隣に座っている、鉄の首輪をした小さな少年に鋭い目を向けた。その表情には、明確な嫌悪感が混じっている。

 それはグレンに対するものではなく、少年を縛り付ける『奴隷制度』そのものに対する嫌悪だった。


「ハイルマン教授。高名な学院の先生が、野蛮な国で奴隷を購入されるというのは……少々、いかがなものですかな。我が国の理念に反する行為かと思われますが」


 チクリと刺すような審査官の言葉にも、ジョンは全く悪びれることなく穏やかに微笑んだ。


「おっしゃる通りです。ですが、誤解しないでいただきたい。私は彼を労働力として買ったわけではありません。私は歴史学者であり……彼は、あの『カノン』の生き残りなのです」


「カノン……?」


 審査官は首を傾げ、記憶を探るように少し考え込む。そして、数秒後に思い出したようにハッとした顔を見せた。


「カノン……ああ、数ヶ月前に火山の噴火で滅びたと報道された、あの中立都市国家ですか。住民は全員死亡と聞いておりましたが、生き残った者がいたのですね」


「ええ。奇跡的にね。私は歴史に責任ある学者として、失われたカノンの伝承や生活様式、を正しく記録に残す必要があるのです。彼を保護するためには、あの非文明的な市場で買い上げるしか方法がありませんでした」


「なるほど……事情は理解しました。ですが、教授」


 審査官は、ぎろりとジョンの目を睨みつけた。


「世界で『奴隷』という非人道的な身分が合法とされているのは、今やザイバス共和国のみです。我がガレア連邦の国境を越え、領土に足を踏み入れた途端に、彼は法的に『奴隷』ではなくなります。……当然、その痛々しい首輪は今ここで外していただきますが、自由の身となった彼が、それでも大人しくあなたに従いますかね?」


「そう信じていますよ。彼とは、対等な契約を結びましたから」


「……そうですか」


 ジョンが自信ありげに頷くのを見ると、審査官は深いため息をつき、グレンと目線を合わせるようにゆっくりとしゃがみ込んだ。その瞳には、子供に対する深い同情と優しさが宿っていた。


「少年。名前は言えるかい?」


「グレン。グレン・ウォーカーです」


 審査官は、はっきりとした発音で名乗ったグレンを見て優しく頷くと、その小さな肩にそっと手を置いた。


「よく聞いて、グレン君。このガレア連邦では、養育者……つまり親がいない子どもを、国が責任を持って保護する施設と制度が整っている。誰も君を鞭打たないし、無理やり働かせたりもしない」


 審査官は、ジョンを一瞥してから再びグレンを見つめた。


「もし、この大人について行くのが本当は嫌なのであれば、恐れずに言いなさい。我々が君を保護し、安全な生活を保証して助けることができる。……さあ、どうする?」


 グレンは、目の前で真剣に語りかける審査官の顔をじっと見つめた。


(この人は、本当にいい人だ。俺が無理やり連れてこられたんじゃないかって心配して、心の底から俺のためを思って言ってくれているんだ)


 カノンが滅びてから、ジャズ以外で初めて向けられた、大人からの無償の優しさ。普通の8歳の子供であれば、泣きついて保護を求めていたかもしれない。

 だが、グレンは静かに両手を強く握りしめ、顔を伏せてギュッと目をつむった。

 瞼の裏に浮かぶのは、カノンの美しい街並みと、自分を愛してくれた両親の顔。そして……すべてを奪い去った、あの純白の光。


(俺の目標は、温かいベッドで安全に生きることじゃない。俺の目標は……あの『()』の正体を暴き、一体『誰』が、何の目的でカノンにあの『()』をもたらしたのかを知ることだ。そして、その相手を────)


 次にグレンがバッと顔を上げた時。

 審査官は、思わず息を呑み、グレンの肩から手を離して後ずさってしまった。


 無理もない。目の前にいる少年の目は、常軌を逸していた。

 それは保護を求める庇護対象の子供の目などではない。凄絶な地獄を這いずり回り、自らの命を燃やしてでも獲物の喉首に喰らいつこうとする、極限まで飢えた『復讐鬼』の双眸だったのだ。


「俺は……ジョンさんについて行きます。俺には、絶対に成し遂げなきゃいけない『目標』があるんです」


 低く、地を這うようなグレンの確固たる宣言に、グレンの周囲は冷たい静寂が降りた。

 審査官は額に冷や汗をにじませながら、数秒間グレンを見つめ返し、やがて諦めたように立ち上がった。


「……分かりました。本人の明確な意思を確認しました。それでは、我がガレア連邦の法に則り、これより君を不当な縛めから解放します」


 審査官は腰のベルトから、特殊な魔力が込められたペンチのような魔導具を取り出した。そして、グレンの首に巻かれた分厚い鉄の首輪の鍵穴にそれを差し込み、緑魔素を流し込む。すると風魔法が発動され────


 カチャリ、と重々しい金属音が響き、グレンの首を締め付けていた鉄の輪が、真っ二つに割れて床へ転がり落ちた。


「これで、君は自由だ。……ようこそ、ガレア連邦へ」


「……ありがとうございます」


 グレンは、首輪が外れて軽くなった首筋を右手でそっとさすった。

 確かに、物理的な重みは消え去り、奴隷という忌まわしい身分からは解放された。


「審査は以上です。ハイルマン教授、通行許可証を発行いたします。道中、お気をつけて」


「ご丁寧にありがとう、審査官殿」


 審査官たちが馬車から降り、重厚な国境のゲートがギギギと重い音を立ててゆっくりと開かれていく。

 御者の掛け声と共に、馬車は再び前へと進み始めた。


 国境の暗いトンネルを抜けると、そこには、赤茶けたザイバスの荒野とは全く違う、青々とした木々と豊かな水源に恵まれたガレア連邦の美しい大パノラマが広がっていた。

 澄み切った青空の下、馬車は連邦の心臓部であり、あらゆる知識と情報が集まる巨大都市──『首都コンコルディア』へ向けて、その歩みを進めていく。


 8歳の少年・グレンの、長きにわたる復讐と真実探求の旅が、今、新たな世界で幕を開けようとしていた。


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