第4話 契約
「……っ」
ジョンは、目の前に座る少年の姿に思わず身を固くした。
8歳の子供とは思えない、底知れない復讐の意志を宿したその双眸。本来ならば親の愛情を受けて無邪気に笑っているはずの年齢の子供が、まるで地獄の底から這い上がってきた亡者のような目をしているのだ。
だが同時に、彼が口にした「光」という言葉は、ジョンの中に眠る『歴史に対する責任感』を激しく揺さぶっていた。
「グレン。……なぜ、あれが火山の噴火ではないと断言できるのかな。君があの日、故郷カノンから何を見て、そしてどうやってこのザイバス共和国まで流れ着いたのか……その詳細を教えてくれないか」
ジョンは馬車の背もたれから身を起こし、居住まいを正して少年に深く問いかけた。
「俺は────」
グレンは、堰を切ったようにすべてを話し始めた。
あの日の夕刻。母への誕生日プレゼントとして手作りした魔石を持って、秘密の丘へ登ったこと。山の向こう側から、太陽と見紛うような強烈な純白の『光』が現れ、愛する街も、家族も、友人も、すべてを音もなく飲み込んで溶かしていったこと。 気づけば見知らぬ川に流され、奴隷商人に拾われたこと。 そして、ログザ魔脈坑という暗く息詰まる地獄で『ジャズ』という軍人に魔法の戦い方を叩き込まれたこと。圧倒的な絶望を伴う魔獣災害に巻き込まれ、結果としてあの不潔な奴隷市に辿り着いたこと。
その凄惨な体験を語るグレンの声は微かに震えていたが、ジョンを見据えるその瞳から視線が外れることは1度もなかった。
「ジョンさん。あれは……あれは噴火なんかじゃなかった! 信じられないかもしれないですが、俺には他の人と比べて、魔素を感じ取る能力が高いんです。あの時、光を見た瞬間に肌を焼いた、あの途方もない圧迫感。俺は最初、爆風か何かだと思っていました。でも、魔脈坑で戦い方を学んだ今ならはっきりと分かります……あれは間違いなく、途方もない質量の『魔素』でした」
ジョンはグレンの告白を黙って聞き終えると、目を閉じ、脳内にあるカノン周辺の詳細な地図を広げた。
(中立都市国家『カノン』。反十字連合に属する『ザイバス共和国』と、十字同盟の南の雄である『ファルサス王国』。その国境を分かつ峻険な山脈の隙間に位置する、あまりに歴史の古い街……)
ジョンが研究のために収集した古今東西の歴史資料が、知識の海から次々と浮かび上がる。 300年前から現代まで続く『十字の平和』の時代。神聖ガルデア帝国が建国される500年前。さらに歴史を遡り、大陸中がまとまりなく戦火に包まれていた500年前から1000年前の『暗黒時代』の記録にさえ、カノンの名は記されていた。
「ふむ……グレン。君の言う通り、それが噴火でないのだとしたら」
「間違いなく噴火じゃないです。あの恐ろしい光は……間違いなく、誰かが放った魔法です」
「……光、か」
ジョンはしばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがてゆっくりと視線を上げ、静かに口を開いた。
「グレン。これはあくまで仮定の話だ。私がこれから話すことは、歴史と状況から推測した、いち学者の妄想の類だと考えて聞いてほしい」
「……はい」
「仮にだ、仮にその光が人為的な攻撃だったとしよう。私は歴史学者として、数多の戦争の歴史を知っている。そして、戦争という国家同士の争いは、常に『地政学』という考え方と切り離せないものなんだ」
「ち、ちせいがく……ですか?」
グレンの頭の上に、小さく疑問符が浮かぶ。
「地形、資源、国家間のパワーバランス……。要するに、国としての『強さ』と『弱さ』を客観的に洗い出す学問のことだよ」
「国としての強さ……それは、魔脈坑みたいに、魔素がたくさん採れる国とかのことですか?」
「それも要素の1つに過ぎない」
ジョンは馬車の窓から、流れる外の景色に指を向けた。そこには、奴隷として連れられてきた荒野とは全く違う、黄金色に輝く広大な小麦畑が地平線の彼方まで続いていた。
「うわ……綺麗……」
「美しいだろう? これも強さを決める要素の1つだ。食糧生産能力が高い国は、それだけで多くの人口を養い、軍隊を維持し、国を豊かにできる。……ではグレン。今、この世界で『最強』の国はどこだと思う?」
「学校で習いました。白魔素を世界で唯一独占し、農業に役立てている『神聖ガルデア帝国』。……なら、帝国が世界で一番強い国なんでしょうか?」
しかし、ジョンは小さく首を横に振った。
「国家の持つ単体のポテンシャルは、確かに帝国が最強だ。だが、帝国は地理的に非常に『脆弱』なんだよ。グレン、君は世界地図を見たことはあるかい?」
「いえ……ないです。カノンの街には、外の世界の詳しい地図はありませんでしたから」
「そうか。ガレア連邦の私の家に着いたら、ぜひじっくり見るといい。世界がいかに広く、そして危ういバランスで成り立っているかが分かるはずだ」
ジョンは羽織っていたガウンのポケットから手元のメモ帳を取り出し、白紙のページに大きな二重丸を描き、その中心をペン先で指差した。
「簡単に言えば、神聖ガルデア帝国とその同盟諸国は、すべて大陸の中央……内側に位置している。そして、反帝国の勢力──我々『連合』は、それを取り囲むように外側にぐるりと存在している」
「それが、どうして『弱い』ことになるんですか?」
「四方八方を敵に囲まれているということだからだよ」
ジョンは内側の円に『十字同盟』、外側の円に『反十字連合』と書き込むと、外から内へと向かう複数の矢印を四方から引いた。
「帝国がいかに白魔素を独占し、強大な軍隊を持っていようと、『連合』が東西南北から一斉に進軍を開始すれば、彼らは兵力を分散させざるを得ず、すべての戦線に対応しきれない。国家そのものは強くても、立地としては致命的に不利。これが地政学的な視点だ」
「なるほど……」
狭いカノンの街しか知らなかったグレンにとって、世界という巨大な盤面が開けていく感覚は、恐怖と同時に奇妙な感嘆を抱かせた。 ジョンはメモのページをめくり、今度は真ん中に1つの「点」を描いた。その左右には『ザイバス共和国』と『ファルサス王国』と書かれた丸を配置する。
「カノンは、連合側の『ザイバス共和国』と、同盟側の『ファルサス王国』を隔てる巨大で険しい山脈……その唯一の隙間に位置していた都市国家だ。大軍が山脈を迂回せずに両国を直接行き来しようとすれば、必ずカノンを通る必要がある」
「つまり……そのどっちかの国が、カノンを攻撃したってことですか?」
「いや、グレン。話はそう単純ではないんだ」
ジョンはメモ帳に書き込んだ図形を、鋭いペン先でトントンと叩いた。
「地政学的に見れば、カノンが消滅することで最も利益を得るのは、相手国への『最短進軍ルート』を欲しがっている国……つまり、今まさに『戦争の準備』を進めている国だ。……もし、ザイバス共和国(連合)がファルサス王国(同盟)へ大軍で奇襲を仕掛けようとしているなら、中立を保つカノンは進軍の速度を落とす邪魔な障害物でしかない。その逆も然りだ。どちらかが、攻撃の準備を整えるためにカノンを事前排除した……。いち学者の仮説としては、これが最も可能性が高いだろう」
「……っ」
グレンの体から、再び陽炎のようなプレッシャーが立ち昇る。馬車内の空気が急激に重くなり、ジョンの肌が粟立った。
しかし、ジョンは大人としての冷静さを保ち、それを宥めるように優しくも冷徹な声を重ねた。
「だが、グレン。その可能性も、実は限りなく低い」
「……どうしてですか! カノンが邪魔だったから、あの光で消したんじゃないんですか!」
「300年前から続く『十字の平和』、これは帝国と連合国との均衡により成り立っている。……今、帝国を中心とした同盟と、我々連合が正面から衝突すれば、世界そのものが火の海になり、勝者などどこにも残らない。互いが互いを滅ぼし合うことになる。その絶対的な崩壊のリスクを冒してまで、カノンを滅ぼし、長きにわたる平和の均衡を捨てるメリットが、どこの国にもないんだよ。……だから、君が言った『光』の正体は、既存の政治や戦争の常識では説明がつかない、あまりにも異常な事象なんだ」
ジョンは再び、怒りと混乱に揺れるグレンを真っ直ぐに見据えた。
「グレン。ガレア連邦へ着いたら、私が知っている知識のすべてを君に教えてあげよう。地政学も、歴史も、魔素のこともだ。君が知りたい『真実』へ辿り着くための武器としてね」
「……教えてくれるんですか?」
「ああ。……その代わり、私にも協力してほしい。私は、君の故郷『カノン』での生活や文化、そして君があの日見た異常な光の記憶を、詳細な記録として歴史に残したい。カノンに伝わる古代語を話せる唯一の生き残りとして、私の研究を助けてくれないか」
それは、大人が子供に向けるただの同情や情けではない。
ジョン・ハイルマンという学者が、グレンという少年の稀有な価値を正当に評価し、提示した「対等な契約」だった。
グレンは、ポケットに手を入れ、母へのプレゼントだった『翠色の魔石』を握りしめる。 平和だった日々の象徴であり、カノンを滅ぼされたあの日から手放さなかった命綱。
「……分かりました。協力します」
「よし。契約成立だ。……ようこそ、ガレア連邦へ。君の新しい生活が始まるよ」
馬車は揺れ続け、いよいよザイバス共和国の国境の検問を越えようとしていた。
8歳の少年の瞳からは、かつてのような子供らしい無邪気な光は完全に消え去り、そこには遥か彼方の仇の正体を暴き、捉えようとする、研ぎ澄まされた刃のような意志だけが宿っていた。




