第3話 ジョン・ハイルマン
「────ん」
グレンが重い瞼を開けると、見知らぬ白い天井が視界に映った。どうやら、どこかの清潔で柔らかいベッドの上に寝かされているようだった。
霞がかかったように思考が纏まらない。なんとなく首だけを動かして左右を見ると、右側には点滴のスタンドが置かれている。そして左側を見ると、椅子に深く腰掛け、静かにこちらを見つめる40代ほどの男の姿があった。
「……目が覚めたかい?」
「……」
グレンは警戒するように男の顔を見つめる。赤いガウンを着たその男に見覚えはなく、なぜ自分を見守っているのかも分からない。
やがてグレンは視線を外し、再び天井を見つめた。
そして、自分が気を失う直前、死を待つしかなかった奴隷市の冷たい檻の中にいたことを思い出す。
「……あなたが、俺を買ったのですか?」
「ああ、そうだ。どうやら思い出したようだな」
男はすっと立ち上がると、グレンに背を向けて部屋の外へ歩き出そうとする。
「ま、待ってください! ……痛っ」
グレンは男に尋ねたいことがあり、慌てて上体を起こそうとするが、火傷した右腕や全身の筋肉が悲鳴を上げた。
顔をしかめるグレンの様子に、男は振り返り、くすりと柔らかく笑う。
「あれだけボロボロだったんだ、無理もない。君はまだ絶対安静だ。今は何も考えず、ゆっくり体を休めなさい」
そうして再び扉へ向かって歩き出す男の背中に、グレンは声を絞り出した。
「俺はグレン。グレン・ウォーカーです! ……あ、あなたの名前は!?」
男は足を止める。
「ジョン。ジョン・ハイルマン。……ただの歴史学者さ」
それだけ言い残すと、男は静かに部屋の外へと出ていった。
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グレンが目を覚ましてから、1か月ほどが経過していた。
宿屋にはジョンが手配した医者や看護師が日替わりで訪れ、次々と高価な薬や医療器具が持ち込まれた。その甲斐あって、死にかけていたグレンの肉体は急速に回復していった。
その療養期間中も、グレンはジョンに何度も「なぜ自分を助けたのか」を聞き出そうとしたが、彼は「体が治るのが先だ」と優しくはぐらかし続けていた。
そして、ついにグレンが自力でしっかりと歩行可能な程度にまで回復すると、ジョンは宿屋を引き払うこととなった。
その支払いの際、金貨の入った革袋から莫大な額が支払われるのを見て、グレンは思わず顔を青褪めさせた。
宿屋の前で待っていた豪奢な馬車に2人は乗り込み、やがて馬車はアルザルの街並みを抜けて走り出す。
向かい合わせの座席で、グレンはついにジョンへ尋ねた。
「ジョンさん。あの、これからどこへ向かうのですか?」
「────ガレア連邦だ」
「ガレア連邦?」
外界の地理や世界情勢について何も知らないグレンは、不思議そうに首を傾げる。
「そうさ。グレン、この世界が大きく二分されていることは知っているかい?」
「はい。神聖ガルデア帝国と、それ以外の国……ですよね?」
「その通り。その帝国に対抗するための勢力が『連合』と呼ばれ、その盟主国がガレア連邦さ。私の故郷でもある」
そういうと、ジョンは姿勢を正し、グレンの瞳をじっと見つめ返した。
「さて。話は変わるが、なぜ私が奴隷市で死にかけていた君を助けたか……だね?」
「は、はい」
ジョンは深く馬車の背もたれに寄りかかる。
「私は歴史学者でね。この世界の成り立ち、その全貌を解き明かしたいと考えているんだ。その手がかりになるのは、この世界の各地に口伝として残る『民謡』や『古代語』にあると考えている」
「古代語……」
ふと、グレンの脳裏に、両親の姿とカノンに伝わる祈りの言葉がフラッシュバックする。
「カノンの、祈り……」
「そうさ。君が奴隷市の檻の中でうなされながら歌っていた祈りの言葉。あれは失われた古代語じゃないか」
「お、俺、歌っていたんですか?」
「ああ。意識がなかったから記憶にないかもしれないけどね」
そういうと、歴史学者は胸ポケットから使い込まれたメモ帳を取り出し、グレンへ見せた。
「『遠き記憶の、呼び声に』、『聖なる道を示せ』、『救いよ、其処に在れ』」
「は、はい! 間違いありません。俺の故郷の祈りです」
「やはり……! 中立都市国家『カノン』! 今はなき幻の都市国家の、君が唯一の生き残りというわけか」
ジョンの口から飛び出した言葉に、グレンは動揺を隠せなかった。
「ま、待ってください! ジョンさんは、カノンのことを知っているのですか!?」
「ん?」
ジョンは、必死に身を乗り出してくるグレンを見て、目を丸くする。
「カノンは……カノンの街はどうなったのですか!? 街のみんなは! 父さんと母さんは無事なんですか!」
「ちょ、ちょっと待って落ち着きなさい」
グレンは立ち上がり、ジョンの胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄るが、両肩を押さえられ、強制的に座らされる。
「……私が新聞に載っていた公式な情報や、同僚の学者から聞いた話では……カノンは突発的な『火山の噴火』により街全体が崩壊し、住人は全員死亡。……生き残りは、1人もいないそうだ」
「なっ……」
それは、グレンが一番聞きたくなかった言葉。
だが、あの日あの瞬間、奴隷商人に拾われた時から、心の奥底でうっすらと理解し、目を背け続けていた『事実』を、他人の口から無慈悲に突きつけられた瞬間だった。
「……っ」
「グレン。君、まさか……本当に知らなかったのか……」
ポロポロと、グレンの大きな瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。
子供のように声を押し殺そうと両手で口を覆うが、どうにもならないほどの悲しみと絶望が込み上げ、激しい嗚咽となって馬車内に響き渡る。
(なんとなくわかっていた。あの光のなかで、カノンのみんなが生きているわけがない。そんなことは…わかっていた…っ!)
残酷な真実を叩きつけてしまったジョンは、この凄惨な過去を持つ8歳の少年に何と声をかけていいか分からず、ただ申し訳なさそうに見つめることしかできなかった。
馬車の中には、グレンの泣き声と車輪の音だけが響き、ガレア連邦へ向けて進み続ける。
────嗚咽が止み、無言の空間となってから、2時間が経った。
すっかり泣き腫らした顔を袖で拭い、落ち着きを取り戻したグレンが、静かにジョンへ切り出した。
「ジョンさん。……教えてください」
「……なんだい?」
グレンが俯いていた顔を上げる。
先ほどまで泣きじゃくっていたはずのその瞳には、射抜くような鋭く冷たい光が宿っており、ジョンは思わず息を呑んだ。
「火山が噴火したと……新聞には、そう書いてあったんですか?」
グレンの異常な目力に、大人のジョンが気圧される。
「あ、ああ。大規模な自然災害だと……」
「『光』のことは、書いてありませんでしたか」
「『光』?」
ジョンは新聞を読んだ時の記憶や、学院の同僚から聞いた噂話を思い出し、首を傾げる。
「いや、『光』なんて不自然な言葉は、一切聞いたことがない」
「……そうですか」
その瞬間だった。
ジョンは、目の前に座る小さな少年の体から、空気が重くのしかかるような凄まじい波動が立ち昇るのを感じた。
(な、なんだこの少年は!? いったい何が起きている……ッ!)
本能的な恐怖で背筋が凍るような威圧感。
グレンは、ある『重要なこと』を思い出していた。
それは、もし彼がただの無力な奴隷として生き長らえているだけだったら、一生気がつかなかったであろう違和感。
ログザ魔脈坑でジャズと出会い、あの地獄のような特訓で『魔素探知』を死に物狂いで身につけた、今のグレンだからこそ導き出せた1つの『答え』。
──『形容しがたい圧迫感がグレンの全身を突き刺す』
あの時。カノンを見下ろす秘密の丘の上で、山の向こうから現れた純白の『光』を見た時に感じたもの。
それは自然現象の熱でも、火山の噴火による爆風の予兆でもなかった。
生来、魔素を感知する能力に長けていたグレンの肌をチリチリと焼いたあの圧迫感は────。
(あれは……途方もない質量の、『魔素』だったんだ)
もしあれが、自然災害などではなく。
莫大な魔素によって発動された、人為的な『魔法』の光であったとしたら。
いったい誰が、愛するカノンを、父や母を、あの光で消し飛ばしたのか。
「……ジョンさん」
「…何だい」
グレンは膝の上で、爪が食い込んで血が滲むほどに、両手を強く握りしめる。
「カノンが、もし火山の噴火で滅んだのではなかったとしたら。……もし、誰かの手によって、人為的に滅ぼされたとしたら……」
伏せていた顔を上げ、目をゆっくりと見開き、グレンは真っ直ぐにジョンを見据えた。
「『誰』がやったか、あなたには分かりますか」
ジョンの目に映るその姿は。
8歳の悲劇の少年の皮を被った、復讐に燃える『鬼』そのものであった。




