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白夜戦記──世界に光を降らせる日  作者: ルシア
第2章 士官学校

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第2話 奴隷市

 ────ザイバス共和国・首都アルザル


 15日間にも及ぶ地獄のような輸送を経て、グレンはついに首都アルザルの巨大な奴隷市へと運び込まれていた。

 道中、医務室から放り出されたままのグレンは、当然ながら適切な治療など一切受けることができなかった。焼かれた足首や腕の火傷は赤黒く腫れ上がり、全身の裂傷は化膿してひどい熱を持ち、どこか骨折しているのか、ただ馬車が揺れるだけでも脳天を貫くような激痛が走った。


「おい、あれならうちの庭仕事に役立ちそうか?」


「お前、骨組みは悪くないな。農園の重労働に耐えられそうだ」


 大通りの左右には巨大な鉄の檻がずらりと並び、着飾った貴族や商人たちが、まるで品評会の家畜でも見るかのように、檻の中の奴隷たちを値踏みして回っている。

 グレンらログザ魔脈坑の生き残りたちは奴隷市の裏口から次々と運び込まれ、大通りの片隅にある空き檻へと手荒に詰め込まれていった。


「歩け! さっさと入れ!」


「──っは……ぐっ……」


 高熱で動きが鈍く、よたよたと歩いていたグレンは、イラついた奴隷商人に襟首を掴まれ、冷たい石畳の檻の中へと乱暴に放り投げられた。

 壁際で咳き込みながら朦朧とした意識で外を眺めると、鉄格子の向こうには、品定めをする無数の無機質な視線がひしめいていた。


(これが、話に聞いたアルザルの『奴隷市』……。ここにいる人だけで、カノンの街の全員よりも多そうだな)


 自らの命の灯火が消えかけている危機的状況であるにも関わらず、グレンの脳はどこか麻痺し、ただ呆然と愛する故郷と比較することしかできなかった。

 魔脈坑を生き延びた奴隷の中でも、比較的若く体力のある働き盛りの男たちは、次々と値がつき買われていく。グレンと同年代の健康な子どもたちも、身なりの良い裕福そうな市民に買われ、檻から去っていった。


(はあ……ここで買われなければ……俺は、死ぬ……)


 ボロ布のようにうずくまり、荒い息を吐く死に損ないの少年など、誰も見向きもしない。

 逃れようのない死の足音が、一歩、また一歩とグレンへと近づいていた。


 ────奴隷市に着いて、3日目。


(ああ……)


 グレンの視界は、ついに真っ白に濁り始めていた。

 喧騒に包まれていたはずの奴隷市の大通りが、濃い霧に包まれたように見えなくなる。鉄格子の向こうでうっすらとこちらを見下ろしている人影がぽつぽつと見えたが、やがてそれすらも、圧倒的な白色に塗りつぶされていった。

 痛みも、寒さも、飢えも消え去り、ただ奇妙な浮遊感だけが残る。


 ────────



 ────



 ──



(あれ……?)


 ふと、突然視界が開けたように明るくなった。

 目の前にあったはずの冷たい鉄格子が消滅し、人通りがまばらな、見慣れた石畳の通りが広がっている。

 澄んだ空気。奥には見覚えのある小さな噴水広場があり、バドさんの店から漂ってくる、焼きたてのパンの甘い匂いが鼻をくすぐった。


「ここは……?」


「おーい、グレン! 祈りの時間だぞ、さっさと教会に行こうぜ!」


「え?」


 気づけば、グレンは通りの真ん中に立っていた。振り返ると、そこには無傷で泥ひとつついていない、笑顔の幼馴染・アルスが立っていた。

 アルスが当たり前のように教会の方向へ歩き始めるので、グレンは訳も分からぬまま、慌ててその後を追いかける。


 教会の入り口に着くと、そこにはミーシャとカレンが待っていた。


「ミーシャ? カレン?」


「なあに~グレン。昼寝しすぎて、私のこと忘れちゃったの?」


「もう、またお祈りの時間をサボろうとしたでしょ! 早くしなさい!」


 そう言って笑い合うアルスたち3人が、光の差し込む教会の中へと入っていく。グレンも吸い込まれるように、その後を追って重い扉をくぐった。


 中に入ると、そこには見慣れた街の人々が穏やかな顔で集まっており、最前列の祭壇の前には、グレンの父・ロイドと母・クレアが並んで待っていた。


「おやグレン、なんて顔をしているんだい?」


「グレン、どうしたの? 泣きそうな顔をして……大丈夫?」


「父さん…? 母さん…?」


「おいおい、私たちを忘れてしまったのか?」


 その優しく愛おしい声を聞いた瞬間、グレンの心の中にせき止められていた感情が決壊した。

 グレンは幼馴染たちを追い越し、両親の元へ向かって無我夢中で走り出した。


「父さん……母さん……っ!」


 すべてが夢でも幻でもいい。ただその温もりに触れたくて、グレンは思わずロイドの胸に力いっぱい抱き着こうとした。


 だが────。


「こら! グレン、まずはお祈りを捧げるんだ」


 いつも温厚で決して怒ることのないロイドが、珍しくグレンの肩を掴み、強く叱りつけたのだ。

 グレンはロイドが怒ったことに驚き固まり、となりのクレアへ視線を向ける。

 だが、クレアも厳かに頷き、2人はくるりとグレンへ背を向けると、祭壇の前で深く膝をつき、祈りを捧げ始めた。


「父さん、母さん……俺、俺っ……!」


 それでも、グレンは話したいことがいっぱいあったため、グレンは堪えられなかった。目からは大粒の涙がとめどなく溢れ返り、激しく咽び泣いた。

 どうしても聞いてほしかった。


「俺、すっごく色んなことがあったんだ! 誰も知らない隣国に行って、ひどい目に遭って、でもバケモノだって倒したんだ! だから────!」


「グレン」


 ロイドから、グレンが今まで聞いたことがないような、低く、威厳に満ちた強い声が響いた。

 グレンはビクッと肩を震わせ、言葉を飲み込む。


「言っただろう。話は『祈りの言葉』の後に聞く。……今はまず、祈りなさい」


 教会の堂内に、神聖な静寂が流れる。


(なんで……こんな厳しい父さん、初めて見た)


 横で膝をついているクレアは、心配そうにグレンとロイドの顔を交互に見つめていた。だが、ロイドはクレアに向かって、まるで「心配ない、この子は大丈夫だ」とでも言うかのように、力強く優しい笑顔を向けた。

 グレンは涙を拭うと、両親のすぐ後ろで静かに膝をつき、手を合わせた。


「♪ 遠き記憶の、呼び声に(メモリア・ヴォカ)


「♪ 聖なる道を示せ(アリア・ルタ)


「♪ 救いよ、其処に在れ(ルクス・フィア)


 3人の声が重なり、カノンに伝わる古い祈りの歌が、光に満ちた教会に響き渡る。

 歌い終わり、再び静寂が訪れた。

 やがて、ロイドとクレアはゆっくりと立ち上がると、振り返ってグレンを愛おしそうに見つめた。


「グレン。お前のその凄い冒険譚は……そうだな。100年後にでも、ゆっくり聞こうか」


「ふふっ、そうね。それまでは、絶対に聞かないわよ」


「な、なんで、まって、話を聞いて!」


 だが、両親が微笑んだ直後、教会の祭壇に飾られていた黒ずんだ巨大な石が、太陽のように強烈な光を放った。

 その眩い光が、両親を、幼馴染を、そしてグレンの視界のすべてを真っ白に塗り潰していく。


「ま、待って! 父さん、母さんッ──────!」


 手を伸ばしたグレンの意識は、その光の渦の中へと深く沈み込み、やがて完全に途切れたのであった。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




(???視点)


 真っ赤なガウンを羽織った男は、とある目的のため、喧騒に包まれたアルザルの奴隷市を歩いていた。その特徴的な服装は、いわゆるアカデミックドレスであり、見るからにどこかの高位な学院に所属する学者であることは明らかだった。


「おや、そこの旦那! アルザル学院の先生ですかな? 雑用係や使用人をお探しなら、うちの奴隷がよく働きますよ!」


「いやいや、実験の手伝いがご希望なら、うちに文字の読み書きができる賢い奴隷がいますよ!」


 檻の前に立つ奴隷商人たちが、すれ違う男に向けて次々と下品な客引きの声を浴びせる。


(まったく……学会のためにこのアルザルへ来たついでに、共和国の名物だと聞いて見学に来てみたが。吐き気がするほど非文明的で、ろくでもない場所だ)


 男はしかめ面で奴隷市を足早に通り抜け、ついに大通りの外れ、市場の終わり際へと辿り着いた。

 まとわりつく人混みを避けるため、客の寄り付かないであろう寂れた檻のそばを通ろうと視線を向ける。そこは「不良在庫」の掃き溜めであり、病で死にかけの奴隷や、痩せ細った老人しか残っていない悲惨な檻だった。


(むごいものだ。売れ残った彼らは、ここで誰の目にも留まらずに死を迎えるのだろうな)


 男が目を伏せ、そのまま通り過ぎようとした、その時である。

 微かな、虫の息のような呟きが、不意に男の耳に飛び込んできた。


「……メモ……ア……カ……、……アリ……タ……、……ルクス……フィ……ア……」


 ピタリ、と男の足が止まった。

 弾かれたように振り返り、鉄格子の隙間から薄暗い檻の中を覗き込む。そこには、壁際で倒れ伏し、全身を汚れた包帯と赤黒い火傷で覆われた、今にも息絶えそうな小さな少年奴隷がいた。

 少年は、ぶつぶつと『古代言語』を無意識に紡いでいたのだ。


(まさか……こんなところに、古代の祈祷語を口にする者がいるとは……! とんだ拾い物だ)


 男は血相を変え、檻の前で退屈そうに欠伸をしていた、やる気のない奴隷商人に声をかけた。


「おい。そこの隅で倒れている少年は、いくらだ?」


「んあ? おいおい、あんた学院の先生だろ? こんな今にもくたばりそうなガラクタより、向こう側にもっと見栄えのいいのがいるぞ」


「他はどうでもいい。その少年について教えてくれ。一体、どこの出身だ?」


 男のただならぬ気迫に気圧され、商人は頭を掻きながら答えた。


「ん〜、俺にも分からん。ただ、あの『ログザ魔脈坑』が未曾有の魔獣災害で閉鎖になったってニュースは知ってるだろ? あいつは、その関係でここまで運ばれてきた奴隷らしい。その全身の酷い怪我も、恐らくそこで魔獣にやられたんだろうな」


「ログザ魔脈坑……?」


「ああ。あそこは共和国の国家プロジェクトで、国中や他国から手当たり次第に奴隷をかき集めてたからな。こいつが元々どこから連れてこられたかなんて、今となっては知ってる奴は1人もいないだろうよ」


 男は、自身の研究テーマの『手がかり』になりえる情報を、この少年自身から直接聞き出すしかないと判断した。

 彼は懐のポケットから迷いなく複数枚の金貨を取り出し、商人の目の前へ差し出した。


「これは『ガレア連邦』の金貨だが、使えるか?」


「……っ! も、もちろん! むしろ多すぎるぐらいだ。だが、そのガキが今夜死んでも、絶対に文句は言わないでくれよ?」


「ああ、構わん」


 奴隷商人が慌てて南京錠を開け、檻の中からぐったりとしたグレンの体を乱暴に引っ張り出す。

 学者の男はその小さな体を大切に抱え上げると、周囲の好奇の目を気にも留めず、自身が滞在しているアルザル市内の宿屋へと急ぎ足で連れて帰るのであった。


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