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13*Allude

Allude――ほのめかす


瑠璃光るりこう総合病院


「ねえ、リタリン。私は最近変な夢を見るんだ」

 リタリン――メチルフェニデートの参考服薬者レシピエント神宮寺じんぐうじ彼方かなたは、ナルコレプシーに罹患りかんしてからというもの、夢を見る回数が増えていた。

 ほとんどが悪夢で、現実とリアルな夢の境目が分からずにうなされることもしばしばあるが、メチルフェニデートを服用することになってから、その夢の内容が少しずつ変わっていった。

「昔の薬の現身が出てくるのか?」

「ううん、モダフィニルはあんな姿してなかった。君に似ている子が、夢に出てくるんだけど…何か知ってる?」

「…知るか」

 メチルフェニデートは、彼女自身に似ている『誰か』を知らなかった。

 ――いや、思い出せないのだ。

 メチルフェニデートは自分に関する記憶の一部が抜け落ちている。だからこそ、それを取り戻すことと引き換えに、ジアセチルモルヒネに協力しているのだ。

「『あいつ』はリタリンみたいに長い髪を伸ばしてて、もみあげ部分を三つ編みにしてたんだけど…『あいつ』は黒髪だったし、赤っぽい目をしてたんだよな…」

「そうか…本当に誰なんだそいつは…」

 彼女の記憶には、『あいつ』は存在していなかった。彼女の脳内のほんの一ミリも、『あいつ』は喰らっていなかった。

 それはまるで、その存在自体にロックが掛けられているようで――


同時刻 青葉あおば


 青葉クリスティーナはモデルだった。

 プロピオン酸系の消炎鎮痛剤『ロキソプロフェン』――商品名『ロキソニン』のコマーシャルにも出ていたが、不安障害と診断された結果、休業している。

 彼女は参考服薬者ではなく、それに準ずる存在『準参考服薬者ボロワー』である。

 医師にアルプラゾラムを処方されているが、事務所と相談した結果、参考服薬者には選定されなかったのだ。

「貴方が俺の患者さん、っすか?」

「そーだよ、青葉クリスティーナ。クリスでいい。…あんたは?」

「アルプラゾラム、まあ要するに貴方の薬っす。商品名はソラナックスとかコンスタンとかありますけど、大抵はソラナックスを略して『ソラ』って呼んでもらってるっすね」

「ソラか…あたしね、モデルやってて色々抱えちゃったみたいで…あんたがその不安、消してくれるんでしょ?」

「まあ、俺は抗不安薬っすからねー」

 彼――アルプラゾラムは、ベンゾジアゼピン系の短期間作用型抗不安薬および筋弛緩薬の一種だ。‬

 日本での適応は、心身症における身体症状と不安・緊張・抑うつ・睡眠障害である。‬

 「いいっすよ、俺は人間は割と好きっすから」‬

 「マジで?だから協力してくれるの?」‬

 「それが俺の仕事っすから。――破滅する様も、見届けたいしね」


同時刻 カナガワ県総合薬事保健センター


「薬が人間の姿を取ることが判明して、そろそろ30年も経つなんて…」

 寺師てらしぎん

 彼女は一般財団法人・ヨコハマ市薬剤師会の会長で、薬師くすりしである。


 薬に現身と分身があるとわかったのは歴史的に見るとごく最近で、日本の元号がショウワからヘイセイに変わる頃だった。

 現身には人格にこそ性別があるものの身体には性別がなかったり、顕現けんげんするのはただ一体だけだったり、闘衣とういと呼ばれる戦闘服を纏って治療に当たったり――詳しいことは後々になってから人間が解き明かしていった。

「…確かに。けれど薬は時に人智を超えるな」

 川田かわだ氷雨ひさめ

 ヨコハマ市薬剤師会副会長であり、ヨコハマの薬剤師連盟幹事長も兼任している。氷雨という名は襲名したもののため、戸籍上の本名は不明。

 彼女は何回か、ヨコハマ薬科大学の講師・田口たぐちみぞれと共にラジオに出演したことがある。

「けれど、その中でも人間に関わる大部分は田口が在学中に発見したのだからな…」

「あの子は凄いもん。薬が関わればタガが外れるっていうか、もう薬学者ってこういう人だ!って感じの子じゃない?」

 川田は一瞬マッドサイエンティストを思い浮かべたが、すぐに取り消した。

「もう講師じゃなくて教授でもよかったのにな…」

「だろうな。…さて、そういやあいつはどうしたものか…」

「えっと…あいつって、ユキのこと?」

 鈴木すずき雪菜ゆきな

 松本まつもとと同じ大学の薬学部だった女性で、麻薬取締官マトリである。

 麻薬取締官とは、麻薬取締や薬物の不正ルートの解明などの薬物犯罪の捜査、及び正規麻薬の不正使用・横流し・盗難等の監視・捜査を行う厚生労働省の職員である。俗に麻薬Gメン、マトリと呼ばれ、彼女は‬父親を覚醒剤関連の事件で失ったのがきっかけで、この職業を志望した。

 即ちメチルフェニデートら薬にとっての、敵対者となりうる者だ。

「あいつは多分東京にいるよ。マトリだからね」

「違う。松本のことだ」

「松本は――そういえば、聞いてないな…」

「そうか。まああいつのことだから、おそらく薬関連なのだろうな」


「寺師さんも川田さんも、松本さんを心配しすぎだってば」

 高堂たかどうゆい

 川田と同じくヨコハマ市薬剤師会の副会長である。

 22歳で麻薬取扱者の資格を取った天才で、彼女と同じ薬局で働く妹のあきらと合わせて『結晶姉妹』とあだ名されている。ちなみに学生時代から相当の資格マニアでもある。


 寺師達は、特進科担任・松本白華(はっか)と同じ薬科大学の卒業生でもあった。寺師と川田は松本の3年先輩、田口と鈴木は松本の元同級生、高堂結は松本の2年後輩、晶は3年後輩だ。

「あんた達ってば、ほんとそういう方向に持ってくことが好きですねー?」

「いやまあ、松本の動向が気になるってだけで…」

「ちなみに松本さんの居場所、私は知ってますよ。松本さんってば、今は『ヒュギエイア機関』の日本支部にいるそうなんですよー」


『ヒュギエイア機関』。

 正式名称、『ヒュギエイア総合薬物研究機関』。


 ギリシア神話の名医アスクレピオスの娘『ヒュギエイア』の名を冠し、彼女が持つ薬学のシンボル『ヒュギエイアのさかずき』を掲げた国際的な薬物研究機関で、日本支部の場合は同時に『私立薬師寺学院』の人間側からの呼称として、建物の名としても使われている。

『私立薬師寺学院』というのはあくまでも薬側からの呼称であり、松本がその施設内を改造して、薬にとっての学校のような形にしたというだけのものなので、人間がその場所を呼ぶ時は大抵『ヒュギエイア機関』と呼ばれる。


「ヒュギエイア機関に掛けましょうかー?」

「いいよ。…私が掛ける」


 RRRRRR…RRRRRR…


『はい、ヒュギエイア機関の松本ですが』

「ヨコハマ市薬剤師会会長の寺師です。…松本、元気してる?」

『それが何か』

「川田達がね、動向が気になるっていうもんだから」

『私は別に普通です、いや…普通というには無理がありますが』

「どうしたの?」

『私達の参考服薬者が――夢の中に、彼女が飲んでいる薬の現身に似た人が出てくるって言うんです。ヨコハマではそう言った事例はありますか?」

「あまりないなあ、そういうの。川田と高堂…あ、姉の方ね。その2人をそっちに向かわせるから」

『はい。お待ちしています』

 寺師はそれだけ聞くと、電話を切った。


数分後 私立薬師寺学院特進科校舎 職員室


「…松本先生」

 フルニトラゼパムは、松本に問いただそうとする。彼はその性格故か、松本に多大な信頼を置かれている。

「さっき、ヒュ…何とかって言ってたけど、ここは薬師寺学院じゃねえのかよ」

「ええ――確かにここは紛れもなく、私立薬師寺学院の特進科校舎よ。でもそれは、貴方達の側から見た呼び名――私達人間は『ヒュギエイア機関』と呼ぶわ」

「ヒュギエイア、機関…」

「ここはね、人間側から見たら、貴方達、薬を研究する施設なの。だから私達、薬師は貴方達の身柄を預かること――つまり、麻薬・向精神薬を所持することを許されている」

 日本では、麻薬及び向精神薬取締法により、研究者や医療関係者等――つまり『薬師』以外の者による、麻薬及び向精神薬の輸出入、製造、譲渡、譲受、使用、所持などを禁止している。

 彼――フルニトラゼパムもまた、規制対象となっている向精神薬だった。

「研究するのなら、分身だけをどこかに保管して、それを使えばいいかもしれない。でも、あえて泳がせることで見えてくるものもあるわ。――だから、私達は薬が現身のままで行動できる場所を作ろうと思ったの」

 だから、この建物の中にはカメラがあるのか――彼は、まるでこの世界の理に気づいたかのように、納得してみせた。

「ジアセチルモルヒネのことは、泳がせておくことにしたわ。神宮寺さんの夢に出てくる『あいつ』のことは、まだ研究する必要がありそうね」

「その正体がもしかしたら――デキストロメチルフェニデート、ってこともあり得るかもな」


 デキストロメチルフェニデート。

 ラセミ体であるメチルフェニデートの中で、薬理活性を持っている成分である。‬

否定する9人(ナインズナイン)』は人間への反逆のために、メチルフェニデートの中に眠る『彼女』を狙っている。‬


「デキストロ、メチルフェニデート…?が、どうかしたのかしら」

「ジアセチルモルヒネが、そいつのことをリタリンに思い出させようとしてるんだ。――なあ、リタリンからそいつの記憶を消したの、松本先生なんだろ?」

 特進科の薬のことは、松本に一任されている。なのでメチルフェニデートの記憶を消すことは、彼女にかかれば不可能ではない。

「さあね。知らないわ」

「何なんだよ…なあ!知らないってことはないんだろ!」


「フルニトラゼパム。いくら貴方と言えども、これ以上は教えられないわ」


 松本は、それ以上の解答を拒んだ。

 フルニトラゼパムが読み取る限りでは、彼女に悩みも迷いもなかった。――それは、微塵みじんの迷いもなく拒絶したということだ。

「忘れなさい。この建物の、学校の――貴方達の真実なんて」

 松本はまだ何かを隠している。

 フルニトラゼパムは、そう感じ取ってしまった。理屈ではない、現身としての作り物の肌の感覚で。

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