12*Aces
Aces――エース
私立薬師寺学院特進科校舎 会議室
「それで、わたし達をまとめて呼ぶとすればどういう名前になるんだろ?反逆者連合とかって呼ばれるのかな?」
メチレンジオキシメタンフェタミンは、とある可能性に悩んでいた。
「上位会みたいな決まった言い方はないもんね…」
「――『ナインズナイン』とか?」
最初に挙手したのはアルプラゾラム。
「nineは英語で『9』…ああ、僕らは9人だから…」
「9人の中の9人、って感じっすかね?」
ただ、彼はあまり深く考えていなかったようだ。
「ちなみに、ドイツ語でneinは『いいえ』という意味になります」
それを補足するのはフェンタニル。
「そうね。私達は人間を『否定』する者たち、人間に『ノー』を突きつける者たち」
「ナインズナイン――『否定する9人』か」
そんな彼らのシンボルは、周りの三角形をメチルフェニデート以外の各々のデバイスの色――頂点から時計回りに青緑、空色、アイスブルー、青、パステルピンク、茜色、黄色、緑――で塗った八芒星。白く塗られた中央部分には特進科を表す『三角形と三日月を組み合わせた黒いマーク』――世界最大の麻薬密造地帯『黄金の三角地帯』と『黄金の三日月地帯』に由来している――の左右を反転させたものが置かれているが、それは『特進科に反対する・反逆する』という意味である。
補足しておくが、上位会と『否定する9人』はあくまでも別の集団である。
上位会は『上位会議に参加している者』、つまり2014年のアメリカにおける薬物過剰摂取で死者が多かった10の薬のことで、『否定する9人』は人間への反逆を目論むジアセチルモルヒネを中心とした私的陣営である。
とはいえ『否定する9人』のメンバーの3分の2は上位会議にも参加しており、何より特進科校舎には会議室が1つしかないので、『否定する9人』は上位会議のメンバーが使うのと同じ会議室を使っている。
『C14H19NO2、メチルフェニデート。出動を要請します。すぐに参考服薬者の元へ顕現するように。繰り返します、C14H19NO2、メチルフェニデート――』
薬は分身が遠くにあっても、分身を通して現身を瞬間移動させることができる。現身が薬師寺学院の圏内にいる場合は、ある機械を使うことでそれをする。これを『顕現』と呼ぶ。
なお、現身は1つの薬につき1体までであり、2体以上の顕現――例えば現身が特進科校舎にいる際に、もう1体を参考服薬者の元に出すこと――はできない。
「邪魔が入ってしまったわ…」
「――行ってくる!」
「行ってらっしゃい、リタちゃん!」
メチルフェニデートが会議室を出て後も、議論は続いている。
「リタリンさんが席に座った時、一瞬だけ目が光ってたような気がするんすけど」
「確かにそうだね…」
「もしかしたら、デキストロメチルフェニデートが覚醒めかけたのかもしれません」
デキストロメチルフェニデート。
リタリンを含む大部分の製品はデキストロメチルフェニデートとレボメチルフェニデートが 半分ずつのラセミ体であるが、メチルフェニデートはデキストロ体のみが薬理活性を持つ。
「…そう。ならば貴方とソラが守り通さなければならないわね。人間どもに利用される前に」
「どうしてアルプラゾラムと…」
「貴方達は相性が良いからよ。本当は私とコークさんで当たっても良いのだけれど、最初から私達が派手に動くと目をつけられてしまうわ」
フェンタニルとアルプラゾラムは相性が良い。彼らに限らず、オピオイドとベンゾジアゼピン系を併用すると、極度の眠気・呼吸抑制・昏睡および死に繋がることがある。ちなみに、ジアセチルモルヒネとコーク――ベンゾイルメチルエクゴニンの組み合わせは『スピードボール』と呼ばれる。
「俺はいいっすよー、別に。でも正直言って、俺は自分が戦うのって好きじゃないっす」
「…何故ですか?自分の手で殺すことに意味があるのではないのですか?」
「フェンタニルさんってば、それで自分が傷ついたら何の意味もないじゃないっすか。俺、安全圏にいたいんで」
アルプラゾラムは戦うことをあまり好んでいない。だが、決して平和主義者なわけではない。況してやフルニトラゼパムのように正義の下にいるわけでもない。
彼の目的は『誰かが破滅する様を、自分は傷つかないところで見届けること』であった。
自ら手を下さず、表にも出ず、裏で糸を引く――それ故『自ら殺すことに意味がある』とするフェンタニルとは意見が合わないものの、それだけにバランスは取れている。
鎮痛剤のなかで最強とされる鎮痛効果をもって中毒者を殺していく『百発百中の殺戮兵器』フェンタニルと、彼の手で中毒者が破滅する様を見届けている『荒神の操り手』アルプラゾラム。トリアゾラムは彼らを『切り札的存在』と称していたが、彼らほど『エース』に相応しい者など、今は他にいなかった。
かつてはフルニトラゼパムがその称号を得ていたが、彼は彼の体内に青色色素が混和された時から『人間を助けることこそが薬の本来の目的だ』としてその称号を自ら捨てた。
「それで、エフェドリンさんが手掛かりになると聞きましたが」
「あいつは気紛れな奴やからな…ウチはよう分からへんわ」
C10H15NO・エフェドリン。
充血除去薬、または局部麻酔時の低血圧への対処に使われる交感神経興奮剤である彼は、漢方医学で生薬として用いられる裸子植物のマオウに由来するアルカロイドだ。彼はそれに引っ掛けて「魔王」を自称している。
メチルフェニデートにとっては兄のような存在であり、デキストロメチルフェニデートに関する手掛かりになると考えられている。ただ、彼は気紛れであり、そのため同年代で同じアッパー系でもあるベンゾイルメチルエクゴニンにも彼のことはよく分からないようだ。
「そうですか…」
突然、会議室の扉が開く。
そこには先程青紫のデバイスをかざして扉を開けた少女、黒髪とアホ毛の少年、どこか妖艶な雰囲気を持つ少女。
彼らのリーダーらしき少女は口を開く。
「ねえ――メサドンはいるかな?」
彼女の名はC13H16ClNO・ケタミン。メサドンの前の学級委員で、メサドンに銃の使い方を教えた師匠のような存在である。
薬物としてはアリルシクロヘキシルアミン系の解離性麻酔薬であり、医薬品医療機器等法の処方箋医薬品・劇薬に指定されている。
世界保健機関による必須医薬品の一覧に加えられているが、乱用薬物でもあるため、日本では麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。
黒髪とアホ毛の少年はC21H30O2・テトラヒドロカンナビノール。
カンナビノイドの一種で、多幸感を覚えるなどの作用がある向精神薬である。大麻樹脂に数パーセント含まれ、大麻の主な有効成分となっている。脳などに存在するカンナビノイド受容体に結合することで薬理学的作用を及ぼす。
麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されているため、彼を用いた臨床試験は麻薬研究者でない場合禁止されている。
妖艶な雰囲気の少女はC4H8O3・四ヒドロキシ酪酸。
概ねγヒドロキシ酪酸と呼ばれるヒドロキシ酸の一種で、中枢神経系の抑制効果、睡眠作用・性欲増強作用を持つ。そのため性犯罪への悪用が目立つとされ、日本における規制のきっかけとなった。海外製の媚薬に含有されることもあり、過量投与で痙攣や意識障害が起きる。
麻薬及び向精神薬取締法で麻薬に指定されている。
「ケタミンさん!ケタミンさんですか?」
「私でなければ誰だと言うの、メサドン。…で、最近何か話してるな、と思ったら…これのことだったんだね」
「あら、ケタミンじゃない」
「ヘロイン?…なんのつもりなの?」
「私は人間に反逆しようとしているのだけれど、貴方もこの陣営に入らない?…貴方も人間は嫌いでしょう?」
「いいね。私も人間は嫌いだ。でも私達は私達として動くことにするよ――独立部隊みたいな感じになるのかな」
「そうですね、ケタミンさん!…俺はお兄さえいれば構いませんから」
お兄、とはメサドンのことだ。テトラヒドロカンナビノールと四ヒドロキシ酪酸は彼を慕っている。ケタミンと、メサドンを慕う彼ら2人は『ケタミン陣営』と呼ばれており、メサドンも含めた全員が銃を武器にしている。
「貴方達は、リタリンのことは知っているかしら?」
「リタリンさん…!」
反応を示したのは四ヒドロキシ酪酸。
彼女もまたメチルフェニデートと同じように、ナルコレプシーの治療薬として使用されていたことがあった。
「知ってますけど、それが…」
「デキストロメチルフェニデート、ってわかるかしら?」
「それは…そこまではわかりません」
「そう…」
だが、彼女はデキストロメチルフェニデートのことまでは知らないようだった。
「そろそろ私達はここを出よう。世話になったね、ヘロイン。…行くよ、2人とも」
ケタミンは2人を連れて、会議室を出ていった。
***
数時間後 私立薬師寺学院特進科校舎 廊下
参考服薬者・神宮寺彼方との面会を済ませたメチルフェニデートは、特進科校舎に戻ってきていた。
その視線の先では、フルニトラゼパムとケタミンが会話している。
「ロヒプノール、いい加減こっちに戻ってこない?」
「…戻るわけ、ねえだろ」
「どうして?」
「薬が人間をボロボロにしてどうすんだよ!」
そんな彼らの会話を聞いていたメチルフェニデートは、詳細を聞くために2人の元へと向かった。
「どういうことですか?」
「リタリン…なんでここに…!」
「参考服薬者との面会を済ませたので、戻ってきたんです」
「君がリタリンか…私はC13H16ClNO・ケタミンだよ。ロヒプノールとは同じような用途で使われてきたんだ」
「ああ、オレも散々利用されたさ!アメリカやイギリスで、デートレイプドラッグとしてな!」
ロヒプノール――フルニトラゼパムは、かつて同年代であるケタミンと共に『デートレイプドラッグ』としてその名を馳せていた。被害者が健忘によって薬を飲まされた間やその前後に起こった出来事を覚えていないことが多く、加害者が特定されにくかったためである。
他にも彼はジアセチルモルヒネやベンゾイルメチルエクゴニンとの併用で効果を高めたり変調したりする、メタンフェタミンを使ったあとの副作用に対抗するなどの目的で乱用されてきた。
彼の『正義』は、他ならぬ自罰であった。
彼は他の薬に、あるいは乱用せんとする人間にそれを振りかざす時、結果的には何人もの人間を苦しめてしまっていた自分自身を重ねていたのだ。
「デートレイプドラッグかなんだか知らねえが、そんなんで乱用するとかふざけんじゃねえよ!オレはそいつらのために存在してんじゃねえ。他の催眠薬に反応しない、オレじゃなきゃ効かないって奴のためにここにいるんだよ!」
「…そう。だからヘロインのことも突っぱねたんだね」
「当たり前だ!…ってか、リタリン。まだ迷ってんだろ」
「あ…はい」
「お前は自分の記憶が抜け落ちている。で、それを取り戻す代わりに、人間への反逆に協力することをジアセチルモルヒネに持ちかけられた。で、お前はその提案に乗って協力しているけど、参考服薬者ができて、そいつと提案の間で揺れ動いている――と」
ベンゾジアゼピン系には、それに準ずるエチゾラム等も含めた全員に、薬効とは別に「相手の○○を読む」特殊能力がある。
フルニトラゼパムのそれは相手の悩みや迷いを読むことだった。悩む、迷うに至った理由等も読めるが、悩みや迷いのない相手には全く効かない。
「そうです。カナを守らなければならないんですけど、人間に反逆するってことは彼女まで巻き込むことになるかもしれなくて」
「そっか。なら、そいつを大切にしてやれよ。オレも乱用するような人間が憎くねえとは言えねえが、オレを求めてるやつがいれば応えるぞ」
「なるほど…」
「オレはリリィを――参考服薬者を助けきれなかったからな」
フルニトラゼパムの元参考服薬者・梅枝凛々香は、アメリカに旅立つことになったため、彼を断薬せざるを得なかった。彼はアメリカで、医薬品として認められていなかったのだ。
それどころか、麻薬扱いだった。
彼はアメリカでポピュラーな解熱鎮痛成分『アスピリン』との飲みあわせが非常に悪く、 併用することで重篤な副作用が発生する可能性があるからだ。なので、凛々香はフルニトラゼパムを持ち込むことができないのだ。
「お前にしか守れないものが、きっとある!――オレはそう信じてる」
「…はい!」
メチルフェニデートは、まだ吹っ切れられないままではあったが、とりあえずは自分の行くべきところに戻っていった。




