エピローグ
ブラッドフォード侯爵令息がジュリアン殿下に襲いかかった後、少女はその場に居合わせた関係者として王宮にいた。
平民からすれば豪華な客室にしか見えないその部屋の窓には、一見それとわからないような、飾り彫りが施された格子がはまっている。おそらくは貴族を拘留するための部屋なのだろう。
ふと視線を戻せば、数分前に立ち去った侍女が「この部屋でお待ちください」という簡素な言葉とともに置いていった、紅茶のカップが目に入る。
すっかり冷めてしまったのか、立ち上る湯気はもう見えない。格子の間から差し込む陽の光で煌めく液面は、シトリンやガーネットを溶かして流し込んだのではないかと錯覚させる。
少女は、つい手を伸ばしそうになっては途中で引っ込める、という動作を何度か繰り返していた。
そうしているうちに、扉の外から何やら言い争うような声が聞こえてきた。
「……お待ちください! ですが……」
「……であっても通すなと……」
漏れ聞こえるのはこの部屋を守る騎士の声なのだろうが、相手方が何を言っているのかまではわからない。
外との唯一の出入り口である扉を見つめていると、騎士たちの声が止んだ。大きすぎず小さすぎず、絶妙なノックの音が、静まり返った部屋にやけに大きく響いたように感じた。
「王太子殿下がお見えになりました」
従者の言葉に、少女は立ち上がり頭を下げた。数人の足音が聞こえる。王太子の訪れにしては人数が少ないように思う。もっと仰々しい一団を想像していた少女はやや拍子抜けしながらも、「顔を上げてくれ」という声に表情を整えてから上体を起こした。
この国の王族に多い、濁りなく透き通るような金の髪に、深い海を思わせる碧い瞳。優美な雰囲気はジュリアンに似ているが、若い彼と比べて目の前の男には、どこか達観したような落ち着きがある。
これが、この男が──王太子エドワード。
「グランヴェイル王国の曙光たる王太子殿下にご挨拶申し上げます」
エドワードの顔に浮かぶ手本のような微笑みが揺らいだ。
「君が、ソーレ嬢か」
どこか懐かしむような声色。その目は少女を通してもっと遠い場所を見ているかのようだった。
王族はそう簡単に感情を読ませないものなのではなかったか。何か目的があるのだろうか。少女は戸惑いながらも無難な話題で場を繋いでみることにした。
「あの……不躾ではございますが、王子殿下のお加減はいかがでしょうか」
「ああ、あの子なら問題ない。護衛に庇われた際に転倒したが、せいぜい打ち身程度だよ」
いつの間にかエドワードの笑みは隙のないものに戻っている。一息おいて、彼は再び口を開いた。
「君を巻き込んでしまって申し訳なかったね」
それは、ジュリアンの件だろうか。それとも──。告げる男の声はまるで、この部屋に来るまでに通った廊下にあった、花で飾られた花瓶のようだと思った。
「さて」
思案していた少女は、エドワードへと視線を戻す。
「君の知りたいことを話そうか。場所を移すから着いてきてくれ」
少女は思わず喉を鳴らした。「ゴクリ」という音が思った以上に耳につく。それが聞こえたのだろうエドワードはまた、少女の目の前にいるはずなのに、そこにはいないような顔で苦笑していた。
「信用がないのはわかっているが、令嬢一人を逃がせるくらいの力は付けたつもりだ」
そうは言われても、かつてエドワードの視線の先にいた令嬢はどうなったのだったか。
この王宮で、身の安全の保証など一体どこにあるというのだろう。もしかしたら、そのまま自分も消されてしまうのかもしれない。
ここまでやって来たはいいが、本当に真実を知ることができるのだろうか。少女は突如不安に襲われた。
ぞわり。
答えはすぐ目の前というところまでたどり着いた。覚悟だってしてきたはずだった。冷え始めた思考回路は、少女に考えられる中で最も悪い未来を事実かのように指し示す。
思わず俯きそうになった少女の視界を、影が横切った。つられて見上げた窓の外では、青い空をツバメが飛び交っている。
少女は静かに息をつく。
「ふぅ……」
臆病は、震える息と一緒に追い出した。
そして正面へ顔を向けると、キッと先を睨みつける。視線の延長線上にいたエドワードがほんの少し口の端をつり上げた。
「では、行こうか」
身を翻した彼のあとに続いて、従者たちが退室していく。
どんなに考えたところで、ここから出るにはこの扉の先を進むしかないのだ。
──なるようにしか、ならないのだから。
少女はそう自分に言い聞かせた。
そうして一歩。
男の背を追って、前へと足を踏み出した。
名前
アンソン:ひまわりの学名から連想
ソーレ:太陽
ここで終わる予定だったのですが、もう一話湧いてきてしまったのでお付き合いください。




