外伝:『賢王』エドワード
いっそのこと滅んでしまえばよい。
あの時の私は、確かにそう思ったのだ。
◇
グランヴェイル王国第8代国王ヘンリー2世。それが私の父の名だった。
我が国は数年前に建国200年の節目を迎えた。周辺諸国一帯は、国をまたいだ大きな戦乱とは長らく無縁であり、安定した治世は国土の発展を後押した。文化は成熟し、民に以前よりも豊かな暮らしをもたらしたのだ。
幼い頃から、私の前には常に金の王笏があった。それを王族として正しく振るえば振るうほど、父も母も、親族も皆、私を褒め称えて喜んだ。
気が付いたのは偶然だった。
「あれは誰だ?」
夜会の折、何かを探るように私を見つめる男の視線がいやに気になった。
「西の辺境を治めるシンクレア侯爵でいらっしゃいます」
「ああ。王都に次ぐ文化の中心地とも言われるセント・クレアを有する地だったな」
「左様にございます」
私が正しくあるほど、彼らのその視線が何か意味を持つような気がしてならなかった。
その意味を知ったのはいつの頃だったろう。
その頃には、王族として正しい振る舞いがわからなくなっていた。
書類を処理する手を止めて、顔にかかる髪の隙間から、そばに控える少年を盗み見た。
ロデリック・ブラッドフォード──母方の従兄弟だ。
何事にも動じぬ落ち着きがあり、文武両道で容姿にも恵まれた出来の良い従兄弟。以前はもう少しかわいげがあったものを、今はほとんど動かぬ表情から冷徹と恐れられている。最近は昔のように軽口を叩き合うこともなくなった。
「なあ、今の王家は続くと思うか?」
沈黙が落ちる。
たった数分の間が、数時間のようにも感じられた。
「殿下、評議会のお時間です」
思わず口元がゆるんだ。
私は彼になんと答えてほしかったのだろう。
◇
そして私は彼女と出会った。
学園に入学した私は、将来側近になる可能性のある子息らと行動をともにしていた。だがいつの間にか、ロデリック以外の者たちが一人の子爵令嬢に付き従うようになっていた。
彼らの振る舞いを窘め、場合によっては処罰し、挙句令嬢の目的を探らねばならないなんて、ただただ気が重かった。
子息らに軽率な行動は慎むよう言い含めたとき、彼女はあからさまにホッとした顔をしていた。何度かそのような事態が続くうちに、私と彼女は他愛のない会話をするようになった。初めは本当に、ただの友人でしかなかったのだ。たいていは彼女が実家の家族や領民、そして恋人の話をするのを、私が聞いているだけだった。
彼女の父である子爵が、次から次へと捨て猫を拾ってきて夫人に叱られた話。町に出れば「お嬢様!」と領民が笑顔で声をかけてくれるのだという話。恋人と丘の上で町を眺めるのが好きなのだという話。
彼女の話に出てくる彼らは、皆生き生きとしていた。
私の知らない世界がそこにはあった。目が眩むような光は、私の胸にどうしようもない渇望を焼き付けた。
あの金の王笏で、癇癪を起こした幼子のように全てを叩き壊してしまえたら──いや、その手の中にある棒っ切れの、メッキが剥がれ、模造石が砕け散る様は──さぞ清々しいものだったろう。
彼女という美しい夢に、私は汚れきった自由への欲を重ねた。純真な彼女を底のない沼へ引きずり込んだのは間違いなく私だった。
◇
ただ政務をこなし、パーティーに参加し、婚約者と模範的な交流を続ける。変わらない日常の傍らで、私は暇さえあれば夢に溺れた。夢の中では私を値踏みする貴族も、毒杯か斬首かを迫る親族や民衆も、誰も存在しなかったから。
執務机で書類を片付ける私に、ロデリックが言った。
「殿下。いつまで続けるおつもりですか」
私はのろのろと顔を上げる。
「……さあ。私の首が落ちるまで、かな」
おそらく私は笑みを浮かべていたのだろう。
ロデリックがコツコツと靴音を響かせて、私の正面へと向かってくる。バンッ、と机を叩く凄まじい音に驚くと同時に、身体がグラリと傾いた。気付けば憎々しげに私を睨みつける彼の顔が目の前にあって、そこでようやく胸ぐらを掴まれているのだと理解した。
「目を覚ませ!! いつまで腑抜けたままでいるつもりだ!!」
怒った顔を見るのは随分と久しぶりだった。
「まだ続けると言うのなら、幼い頃からお前のそばにいた従兄弟として──」
今でこそ冷静沈着などと言われているが、こいつはもとより激昂しやすいのだ。私も妙なところで意地を張るから、幼い頃はよく言い合いになった。
「俺がその首を刎ねてやる!!」
噛み付くように吼えるこの恐ろしい男に、令嬢たちが黄色い歓声をあげる意味がよくわからない。たしかに顔の造形はよいが。私は怒鳴られながら、そんなくだらないことばかりを考えていた。
ぼんやりとした私に舌打ちをした彼が、胸ぐらを掴んでいた手を乱暴に放したために、私は椅子に倒れ込むようにして座り込んだ。
「悪かった」
そう静かに告げる私に、あいつは「はぁ」と深いため息をついた。
「ペンブルックはまだ私に協力してくれるだろうか……」
ペンブルック公爵家。私の婚約者の家であり中立派だ。必要以上の権力に興味は示さず、ただ自領、そして国の安定に注力する合理的な人間の多い家門であった。
「お前が正気に戻れば可能性はあるだろう。あからさまに婚約者を蔑ろにするだけの勇気が無かったことが幸いしたな」
あいつはそう言って鼻を鳴らした。
「耳が痛い……」
力なくうなだれる私に、容赦なく呆れた視線を向けてくる。
「まあいい。俺はしばらく任務で留守になる。その間に帝王学でも学び直しておけ」
私は思わず顔を上げた。
「任務……? 学園生のお前が?」
「ああ。伯母上の命らしい」
「母上が?」
「きな臭いだろ? お前も身辺に注意した方がいい」
その件で呼ばれているからと退室しようとする彼の背中に声をかけた。
「気をつけろよ、ロデリック」
「お前もな」
その後、私を待ち受けていたのは、ミレイユの失踪とロデリックの殉職の報せだった。
◇
婚約者と婚姻を結び、息子のジュリアンが生まれた。
表向きモントゴメリー派に逆らわず、お飾り王太子としての役割に徹し続けた。息を潜めながら、時期を待つ。
まだだ。
よく見極めねば滅びるのは、私と、私の協力者たちなのだ。
「腑抜け」「根性なし」「その目は飾りか」
焦りにのまれそうになるたび、あいつの顔が脳裏に浮かぶ。神のみもとに行ってまでそう罵られるのはごめんだ。
そんな折に、書類の束の隙間からヒラリと一通の手紙が落ちた。いったいどこで紛れ込んだのか、城では使われないような質の悪い紙だった。我ながら迂闊だとは思ったが、その異質さに誘われるように封を切った。
意味不明な記号の羅列。
我が国どころか周辺国の文字ですらない。
『偉大な王と、彼に忠誠を誓う騎士には、二人だけの暗号があったほうがかっこいい』
いつのことだったか、あいつと作った暗号文字。
──時期を待て。
「ハッ」
私は口元を歪めた。
そして燃え盛る暖炉に、その紙切れを投げ捨てた。
…
……
【中興の祖・賢王エドワード】
グランヴェイル王国第9代国王エドワード1世(在位:王国暦228年〜247年)一部の王侯貴族の腐敗に警鐘を鳴らし、今日まで続く立憲君主制の礎を築いた。彼の打ち出した様々な施策は、その孫であるジョージの治世で実を結ぶ。王国はその後、最盛期を迎えた。
主な功績:
①上院、下院の設立。王の私的な諮問機関であった評議会を公の上院とし、下院にその監視を担わせた。
②司法の独立。それまで裁判における判決は、王や領主(またはその代理人)の裁量に依拠していた。エドワード1世は法や判例の成文化を進め、裁判官は「法」の代理人と定めた。
関連:
初代司法長官ギルバート・ラドクリフ
→ラドクリフ公爵家の出身。第7代国王リチャードの妹を祖母に持つ。
今度こそここで終わりです。ありがとうございました(・ω・)ノシ




