↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/9

第六話


 それからも私と彼女は教室で、時にはたまたま居合わせた薬草園で、とりとめのない会話をすることがあった。

 その日は珍しく、放課後の図書館で彼女と顔を合わせたのだ。


「あら、アンソン様。今日はこちらで調べものですか?」


 夕方の図書館は閑散としていて、広いフロアに私たち以外の気配は感じられなかった。大きな窓から入り込む朱色の光に照らされたそこは、聖火のベールに隔たれた神殿のような静謐さに満ちていた。


◇


「──アンソン様のお母様はとてもはつらつとした方なんですね」


 彼女は明るい声でそう言うと、柔らかく微笑んだ。


 研究資料を探しに来たことなど後回しにして、私は彼女との会話を続けた。人付き合いに向かない私にとって、交流を続けてくれる学友は得難いものだ。その時の私はそう理由を付けていた。


「君は孤児院の出身だと聞いたが、やはり他の子どもたちと兄弟姉妹のように育ったのか?」

「はい。みんなと一緒にご飯を作ったり、勉強を教え合ったり。同じ部屋で身を寄せ合って、話しながら寝ることもありました」

「気心が知れた相手と旅行をしているときのようだな」


 彼女は嬉しそうに笑った。いつもと違い親しみを感じさせるその笑顔に、私はもっと彼女の孤児院時代の話を聞いてみたくなって、いくつか同じような質問をした気がする。


「ところで君は、なぜこの学園に入学しようと思ったんだ?」


 きりの良いところで、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 すると彼女はほんの少し顔を伏せて、それから窓の外へと視線を向けた。どこか憂いを帯びた表情のまま、彼女は静かに話し始めた。


「どうしても知りたいことがあったんです。ここに来れば手がかりが掴めるって、教えてくれた人がいて」


 聖母のように微笑む彼女は、強烈な朱に溶けて消えてしまうのではないかと思った。


「……その後は?」


 ドクリ、と大きく跳ねた心臓を、思わず服の上から押さえつけた。


「知った後は、卒業した後はどうするんだ?」


「あ……考えていませんでした」


 彼女は困ったように微笑んだ。

 思い返せば彼女はよくこの顔をしていたように思う。


「君なら、大抵のことはなんだってできるだろ? どんな進路も選べるはずだ」


 彼女は美しい笑みを浮かべた。


 何が、と言われてもわからない。

 ただ早くなる胸の鼓動に追い立てられるように、私は言葉を重ねた。


「待ってくれ。私は、私は君が好──」


「だめ」


 無機質な鈴の音のような声が鳴った。

 気付けば私の口は彼女の手で塞がれていた。


 唇に感じる感触にパニックになった私は、あの瞬間、呼吸すら忘れていたと思う。

 動きを止めて固まった私を確認すると、彼女はそっと手を離し、再び距離を取った。


 沈みかけた太陽の朱色を背に、陰の中で心の底から困ったように──あのような顔を見るのは初めてで──歪んだ笑みを浮かべていた彼女は果たして現実だったのだろうか。逆光が見せた幻だったとしても、私にはもう、判断することができない。


「私、学園でこんなに良くしてもらえると思ってもみなかったんです」


 彼女はいつものように穏やかな声で話し始めた。


「ハドソン様にキャリントン様、そしてアンソン様。とても感謝しています。だから──」


 聞きたくない。そう思った。


「これからも学友として、よろしくお願いします」


 そう言って去っていった彼女に、私はなんと答えたのだろう。きっと「ああ」やら「また」としか言えなかっただろう。


 しばらくその場で立ち尽くした後で、ようやく思考が動き始めた私が最初に考えたこと。それは「明日からの休日が明けたあと、いったいどんな顔で彼女に朝の挨拶をすれば良いのか」ということだった。


 しかし、私が休日をすべて費やして考えた挨拶が、日の目を見ることはなかった。

 なぜなら、私が彼女と顔を合わせたのは、この日が最後だったからだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。