第六話
それからも私と彼女は教室で、時にはたまたま居合わせた薬草園で、とりとめのない会話をすることがあった。
その日は珍しく、放課後の図書館で彼女と顔を合わせたのだ。
「あら、アンソン様。今日はこちらで調べものですか?」
夕方の図書館は閑散としていて、広いフロアに私たち以外の気配は感じられなかった。大きな窓から入り込む朱色の光に照らされたそこは、聖火のベールに隔たれた神殿のような静謐さに満ちていた。
◇
「──アンソン様のお母様はとてもはつらつとした方なんですね」
彼女は明るい声でそう言うと、柔らかく微笑んだ。
研究資料を探しに来たことなど後回しにして、私は彼女との会話を続けた。人付き合いに向かない私にとって、交流を続けてくれる学友は得難いものだ。その時の私はそう理由を付けていた。
「君は孤児院の出身だと聞いたが、やはり他の子どもたちと兄弟姉妹のように育ったのか?」
「はい。みんなと一緒にご飯を作ったり、勉強を教え合ったり。同じ部屋で身を寄せ合って、話しながら寝ることもありました」
「気心が知れた相手と旅行をしているときのようだな」
彼女は嬉しそうに笑った。いつもと違い親しみを感じさせるその笑顔に、私はもっと彼女の孤児院時代の話を聞いてみたくなって、いくつか同じような質問をした気がする。
「ところで君は、なぜこの学園に入学しようと思ったんだ?」
きりの良いところで、ずっと気になっていたことを尋ねた。
すると彼女はほんの少し顔を伏せて、それから窓の外へと視線を向けた。どこか憂いを帯びた表情のまま、彼女は静かに話し始めた。
「どうしても知りたいことがあったんです。ここに来れば手がかりが掴めるって、教えてくれた人がいて」
聖母のように微笑む彼女は、強烈な朱に溶けて消えてしまうのではないかと思った。
「……その後は?」
ドクリ、と大きく跳ねた心臓を、思わず服の上から押さえつけた。
「知った後は、卒業した後はどうするんだ?」
「あ……考えていませんでした」
彼女は困ったように微笑んだ。
思い返せば彼女はよくこの顔をしていたように思う。
「君なら、大抵のことはなんだってできるだろ? どんな進路も選べるはずだ」
彼女は美しい笑みを浮かべた。
何が、と言われてもわからない。
ただ早くなる胸の鼓動に追い立てられるように、私は言葉を重ねた。
「待ってくれ。私は、私は君が好──」
「だめ」
無機質な鈴の音のような声が鳴った。
気付けば私の口は彼女の手で塞がれていた。
唇に感じる感触にパニックになった私は、あの瞬間、呼吸すら忘れていたと思う。
動きを止めて固まった私を確認すると、彼女はそっと手を離し、再び距離を取った。
沈みかけた太陽の朱色を背に、陰の中で心の底から困ったように──あのような顔を見るのは初めてで──歪んだ笑みを浮かべていた彼女は果たして現実だったのだろうか。逆光が見せた幻だったとしても、私にはもう、判断することができない。
「私、学園でこんなに良くしてもらえると思ってもみなかったんです」
彼女はいつものように穏やかな声で話し始めた。
「ハドソン様にキャリントン様、そしてアンソン様。とても感謝しています。だから──」
聞きたくない。そう思った。
「これからも学友として、よろしくお願いします」
そう言って去っていった彼女に、私はなんと答えたのだろう。きっと「ああ」やら「また」としか言えなかっただろう。
しばらくその場で立ち尽くした後で、ようやく思考が動き始めた私が最初に考えたこと。それは「明日からの休日が明けたあと、いったいどんな顔で彼女に朝の挨拶をすれば良いのか」ということだった。
しかし、私が休日をすべて費やして考えた挨拶が、日の目を見ることはなかった。
なぜなら、私が彼女と顔を合わせたのは、この日が最後だったからだ。




