第四話
その日は、少し肌寒かった。
厚い雲が空を覆い隠していて、陽射しに透ける彼女の髪を見られなかったことに、どこか物寂しさを感じていた。
ジュリアン殿下たちは、その日も変わらず彼女を訪ねて中位クラスにやってきた。
「こんにちは、ソーレ嬢。変わりないだろうか」
クラスの皆が頭を下げる中、彼女が落ち着いた声音で挨拶を返した。
「グランヴェイル王国の栄光たる王子殿下にご挨拶申し上げます」
「よしてくれ。君は学舎で意見交換をしようとする度に、その大仰な口上から始めるつもりなのか?」
誰も私になど注意を向けていないだろうと思い、ひそかに彼らの様子をうかがった。すると、カラリと笑う殿下の隣で、宰相の次男と思われる令息が穏やかな笑みを浮かべていた。
「ははっ! さすがはソーレだな!」
直前まで鋭い目つきで周囲を警戒していたらしい騎士然とした令息もまた、そう言って表情を崩した。
「ソーレ嬢」
殿下の声が真剣味を帯びた。
それは周囲に聞かせるためにあえて声色を変えたのだろうと、今ならばわかる。略式とはいえ礼をとったままのクラスメイトの間に、緊張が走ったように思う。
「何か困り事はないか? 遠慮なく言ってくれ」
殿下の問いかけに彼女が答えた。
「滅相もないことでございます。殿下をはじめ、皆様には多大なるご配慮を賜り、心より感謝を申し上げます」
「そうか?」
殿下は手本のような笑みを浮かべた。
あれこそが美しい笑みと言うのだろう。私がついぞ身に付けることができなかったものだ。
憤った様子の騎士令息が声を荒らげた。
「強がらなくていい! 俺たちはソーレを救いに来たのだ!」
「えっ?」
彼女が驚いたようにつややかな琥珀色の瞳を見開いた。殿下は騎士令息の威勢に苦笑をするとこう続けた。
「君が令嬢たちからわざと遠巻きにされているときいてな」
「いえ、そのような事実はございません」
彼女は困惑しながら訂正を試みたが、殿下たちのまとう威圧的な空気を変えることはできなかった。
誤解された彼女を気の毒に思った私は、迷い無く一歩前へと踏み出した。
「恐れながら、発言のお許しをいただけますでしょうか」
今にも怒鳴りだしそうな騎士令息を、宰相次男が手で制した。彼の目が私を捉える。
「あなたは……ウェストコット殿ですね」
「はい。ウェストコット伯爵家が次男、アンソンと申します」
「ジュリアン様」
宰相次男が声をかけると、殿下は美しい笑みを浮かべたまま私に向き直った。
「……申してみよ」
「ありがとう存じます」
私は背筋を伸ばし、話し始めた。
「殿下方は数年前に改定されたばかりの特待生制度を気にかけていらっしゃるのだと愚考いたします」
特待生制度はもともと、あまり裕福ではないが優秀な貴族の子女向けに制定されたものだった。しかし平民の中にも学問に励む者が現れるようになったことから、彼らも対象とするよう改定が決まったのだ。
この時も、彼女の他に数名の平民が特待生として入学していた。
「──このように特待生ひとりひとりを殿下が直接確認するというのは、御身のご負担になるのではと案じております。少なくとも彼女に関しては、私から見ても問題なくクラスに馴染み始めていました。ですので、彼女の友人に世話役を任せてみてはいかがでしょうか」
彼女がうまく立ち回っていたことを説明できた私は、満足気だったのではないだろうか。私の中には彼女が仲間はずれにされているという認識はなかったのだ。
今思えば、この時の教室は静まり返っていて、とても緊迫した空気に満ちていたように思う。
「ならばなぜ!! ソーレはいつも一人で行動しているのだっ!!」
騎士令息が叫ぶが、私には彼がそうも憤る理由がわからなかった。
「彼女の様子を確認しにいらっしゃる殿下方のお邪魔にならないよう、皆努めているだけではないかと。現に彼女の友人であるハドソン男爵令嬢が、心配だと周囲に話す姿をよく見かけますし……」
「……ハドソン男爵令嬢?」
殿下たちは教室内を見回した。
彼らの視線は震えながら立っている令嬢に向けられた。
ハドソン男爵令嬢は視線を感じたのかビクリと大きく身を震わせた。
騎士令息が大きな歩幅で歩み寄っていく。
「貴様がソーレに嫌がらせをしているのか!!」
「あ……わ、わたし、は……」
ハドソン男爵令嬢が誤解されているのだと、私はその時ようやく気が付いた。
同時に別の令嬢が騎士令息を制止した。
「そのように女生徒に迫るのはおやめください、ブラッドフォード様」
令嬢が殿下たちの前へと進み出た。
「差し出がましくも口を挟む無礼をお許しくださいませ。キャリントン伯爵家が長女、ベアトリスにございます」
「ああ、許そう」
キャリントン家は莫大な資産を保有している伯爵家だ。それゆえ、より高位の貴族家であっても無視できないほどの影響力を持っていた。当時の中位クラスにおいてもっとも家格が高く、中心的な生徒だと言えるだろう。
キャリントン伯爵令嬢は騎士令息を視界には入れず、殿下と宰相次男に向けて話し始めた。
「ウェストコット様のおっしゃるとおり、ハドソン様はソーレさんを心配するご友人であることに間違いありませんわ。わたくしが保証いたします」
騎士令息が伯爵令嬢に食ってかかった。
「それはどうだかな! さしずめお前も一緒になって、ソーレを虐げているのだろう!」
「まあ、わたくしがそのようなことをする理由はなんですの?」
殿下が静かに口を開いた。
「もうよい、やめろ。私たちも戻るぞ」
「だが──」
立ち去る殿下に言い募ろうとする騎士令息を、宰相次男が窘めた。
「戻りましょう。次の授業が始まりますから」
騎士令息は、最後までこちらを睨みつけながら去っていった。
後でわかったことだが、騎士令息──ブラッドフォード侯爵令息は親族から随分とおだてられて育ったらしい。
ブラッドフォード家は代々優秀な騎士を輩出する家門として有名だった。しかし彼の父である侯爵は軍務卿であり、剣よりも知を振るう才があった。何でも本来家を継ぐはずであった侯爵の兄が、王家から命じられた任務の最中に殉職したために、思いがけず当主となったそうだ。
その兄君に心酔していた一部の親族が侯爵をこき下ろすため、剣の才に恵まれた令息を過剰に持ち上げたのだ。結果として傲慢になった彼は、己のゆく道こそが正義だと認識していた。
「ウェストコット様っ!!」
大声のした方へ顔を向けると、キャリントン伯爵令嬢が私に詰め寄ってきた。
「あなた、いったい何を考えておりますの!? あの場でハドソン様の名を出すだなんて!!」
「ハドソン嬢は彼女の友人だろ?」
「──ッ!!」
私が答えるなり伯爵令嬢は顔を真っ赤にしたまま黙り込んでしまった。
「すまない、対応を間違えたようだな」
伯爵令嬢は「はあ」と大きくため息をつくと、彼女の方へ向き直った。
「ソーレさん。貴女、わたくしのもとにいらっしゃい。淑女の作法をお教えしますわ。ああ、もちろん、しつこい殿方のかわし方もね」
パチリと片目をつぶった伯爵令嬢に、彼女は穏やかな微笑みを向けた。
「ありがとうございます、キャリントン様」
その日を境に彼女が殿下たちと行動をともにする機会は減り、キャリントン伯爵令嬢のおかげで再び平穏な日々が戻った。
そう思った。




