37.二つの未知
37.二つの未知
畳の部屋に黒兎が来たのは、雨道が約束した時間から三十分も経ってからだった。
「話ってなあに? 雨道サン?」
黒兎が雨道に向かって言った第一声がこれであった。雨道は怒るわけでもなく、正すこともしようとは思わなかった。今までずっと気配を殺し、精神統一していたのだ。
「うむ……来たか」
雨道は声を出すと、閉じられた世界が一瞬で光に包まれる。精神統一から目覚めた彼は、千里眼のような透明な気配を纏う。雨道の力一日の寝覚めから始まり、眠るまでが魔術でなくてはならない。常に精神の鍛錬が行われている彼は、脈を打つごとに以前より強くならねばならないという鍛錬を課している。
その目覚めは、いつも空白というより、澄んだ心地である。明鏡止水の境地に達しているのならば、すでに彼は達人の域と呼んでも過言ではないだろう。
「どういったご要件で? 雨道サン。わざわざ呼び出すなんて」
「呼んだのは他でもない。これからアブホースとの戦いに備え、どうするのか? ということについてだ。参謀はお前の得意分野だ。俺は戦い以外の手段はしらぬ。だから……」
「なんだ。いつものことじゃあ、ないですか」
「そうとも。それ以外に聞くことはない」
黒兎は別段顔色を変えることもなかった。ただ平凡とした顔で、思案していた。
「ふぅん、でも、私もまだ本格的に決めたわけではないから、どうということもないのよ。それでも聞きたいのなら、どうぞ」
そうして、黒兎は今構想している国会図書館侵略のための作戦を口にした。
「アブホースを倒す前に、『百蘭式』を完成させなくてはいけない。これをするにはスカイツリーに住む『ウボ=サスラ』をまずどうにかしなくてはいけない。これを倒して、『白蘭式』を発動させる為には、最低二段階の工程が必要になる。まず、『ウボ=サスラ』を生け捕りすること。そして、花音ちゃんか風歌ちゃんに『白蘭式』を仕込むというに工程。『白蘭式』を怪物に仕込むのに最低三時間。『白蘭式』が完成と同時に二人のどちらかがトリガーを引けば、アブホースに大ダメージが与えられ、その隙にアブホースの“核”が露呈する。“核”が破壊できれば、勝ったも同然よ」
「想定でも、最低三時間。トーキョー都内を動きまわるとなれば最低一時間は掛かる。四時間の勝負になるな」
「いいえ、『白蘭式』の発動には三時間の作業の後に一時間の定着が必要になる。なら、五時間が最低でも掛かる時間のはずよ。諸々含めて、超過時間は必然……さらに、いつもの陣形は崩して、アブホース討伐とウボ=サスラ討伐の二つに分ける予定……恐らく、成功率は低いわ。本当の所、時間もタイムリミットがクリアできるとか、そういう所に、まだいないのよ」
「二つに分ける。というのは、一体どういう面子なんだ?」
「アブホースを倒しに行くのは、花音ちゃんと私。ウボ=サスラを雨道サンと風歌ちゃんで倒すの。絵本たんは、待機」
「……妥当な所だな。俺が一人でスカイツリーの怪物を倒せばいいわけだ」
「そうね。この時に愛路橋の二人が死んでしまったら意味が無い。雨道サンは風歌ちゃんを守らなくては行けないの。私も同じように努力するけど――ともかく、作戦の要はあの二人。残りの私たちは刺し違えても彼女達の道を造らなくて行けないの」
黒兎の顔も、雨道の顔も、死を恐怖するような顔では無かった。
「一人でも途中でリタイアは許されない。今回は特にね」
「なんだ。お前らしい作戦だな。それで良い。俺は命を掛けて戦い、ウボ=サスラを倒せばいい訳だ」
「この作戦は恐らく通る。だから、きちんと死ぬ前にしたいことを考えておいたほうがいいわよ。私達、花音ちゃんが死んだら終わりなのだから……」
「馬鹿が。俺は最初から死んだも同然よ」
「はぁ……馬鹿ねぇ……雨道サン、本当、褒めちぎりたいくらいの戦闘馬鹿……私、ちょっとこの戦いに自身が湧いたかも」
黒兎の不気味な笑みが畳の間に響いた。こうした二人の作戦会議は今まで凶悪な怪物達を倒す度に行われてきた。特に即戦力となる二人のやり取りは幾度も繰り返され、無理と言われた戦いをも可能としてきた。
その二人が、今回の作戦で別々になるとは、両者思わなかっただろう。
――恐らく、この戦いが一番激烈なものになることは分かっている。何度も死ぬと感じてきた二人には特に、今回の作戦の勝率が低いことは知っていた。
しかし、勝てないと断言はできない。勝つことはできるのだ。
あの、世界を狂わせた巨悪『暗黒のアブホース』の、死ぬ姿が見れるのだ!
二人はそれだけで、笑うしかなかった。
雨道は、強者の中の強者を求める戦士として。
黒兎は、この異次元を生み出す未知を求めて。
最悪の怪物と戦うことにも、ためらうことはない。
夕月堂のアリス、夢見野が動き出したのは今より五日後になる。
ちょうど愛路橋姉妹とその他白蘭館のメンバーが顔を合わせて最終段階の作戦会議を行っていた頃、夢見野が敵らしき反応を予知する。
千里眼のような鮮明な未来では無いが、彼女の予知が外れることはない。
二つの巨大な――それも、『ネクロノミコンの予言』に記されるような超個体。
白蘭館に震撼が走った……。




