12.複製された神
12.複製された神
「――くっ!」
ロバートの故郷もまた堕神の影響を被った。天空から現れた“それ”は多くの家屋を破壊し、徐々に都心へと向かっていった。まさに台風といった形状。渦巻く旋風。その中には見ただけで人の心を滅ぼしてしまうような狂気が込められていた。
台風が接近して、ニューヨークの街が粉砕された。国軍は意味がない。自然現象の如く猛威を振るう突風の前に、軍隊も文明の鉄も吹き飛ばされる他無かったのだ。
――怪物の濃密な気配がスクランブル交差点のみならずこの駅前周辺に張り巡らされる。いよいよ気配が破裂せんと膨張すると、練り上げられた粘土がパンの膨らむような勢いでゆっくりと、しかし確実に大きくなっていった……血の匂いが二人の元に届いた。嫌な匂いである。文明を嘲笑するような穢れた匂いだ。
「もう我慢ならないよ……メリーさん。教えてくれ――アレはなんだ?」
「そうね……あれは何かしらね?」
三メートルほどの高さに膨張した肉塊。横幅はゲル状に拡大を続け、二人などすっぽりと覆ってしまうほどの大きさへと変化している。さながら、怪物の卵と言ったところだろうか。
「見当がつかない。誕生してから手遅れにならなければいいけど……あっ……ロバート」
「何だい? アレをどうにかできるのかい?」
メリーは首を振った。
「あれはすぐには倒せない。しかし、巨大な堕神ではないから、数度殺せば死ぬ。今おきているのはアブホースの体内で発生する怪物の製造に違いない。堕神と言っても堕神ではない……魔術師を媒介にして発生させた『変形する病気』……『堕神もどき』であるとする」
「……?」男は奇妙な顔で少女を見た。
「もし私たちが――アブホースの体内で発生する『怪物』の一種であると認識された場合、アブホースはその怪物の力を模倣して形にすることができ、『変形する病気』としても利用することができる。としたら……」
アブホースの特性は人間の形質の変形。環境、文明のよどみ。それだけではないのだろうか。
その真実をメリーは理解した。
ここはアブホースの世界。〈堕神〉を引き起こす外の世界とは、また別の世界。ここでは〈堕神〉するはずは無いはずだと踏んでいたメリー。しかし、その方程式は着実に組み込まれ、アンサーへと導かれている。
曰く、《暗黒のアブホース》は、〈原初堕神〉した神と酷似した能力を持つ、双子の存在にあるという。〈原初堕神〉によって現れた神が〈堕神〉というシステムを組み上げるなら、この《暗黒のアブホース》が、自分の体内で〈堕神〉を引き起こすことなど、簡単なことなのかもしれない。そう考えていた。しかし、アブホース眷属が誕生する様子は一切無い、しかも、この〈堕神〉の形には、見覚えがある……。
「これは、実際に堕神した怪物と同じ形式を以て行う形骸化した儀式。アブホースという世界では、原始から模倣、崩壊を繰り返し行う原則がある。アブホースは外から“それ”を知った? いいえ。それは私たちという部外者の……」
「――ああ、意味が分からないよ! もっと端的に言ってくれ!」
ロバートがメリーの言葉を遮ってそう言った。確かにメリーの言葉は常に意味が分からない。沢山の知識を持つだけに、話の筋をどう話せばいいのか分からないし、聞き手もどこまで知識の範囲を絞っていいのやら分からなくなってしまう。
しかし正しいのはメリーの説明下手だった。なまじ色々分かる自分は説明する能力より理解する能力のほうが高い。逆に、説明するための言葉をいちいち考える必要もなかったため、自身だけの理解で事足り、説明をせずに日々を過ごしてきた。メリーは元々一人だけだったし、魔術師は、誰かと協力して実験や研究を行うことはあまり聞く話ではない。メリーは圧倒的に一人の時間が多く、人の対話全般が苦手だと言えた。
ロバートの苛立ちに対して、彼女の態度や口調は一切変化しない。ロバートが怒っていたとしても、泣いていても、掛ける言葉になんら変化はない。
少女は淡々と答えた――しかし、危機感だけは僅かにあった。
「つまり、アブホースは体内の怪物を複製することができる。その水準は僅かなものでも良い。力の減ったアーティファクトでもその怪物を“複製”することができる」
アブホースは自らの体内にある怪物を複製できる。とすれば、あの中華街にいた怪物が大量に発生させることも可能だと言うわけだ。では今起きていることはどう解釈するべきだろう?
体内? 僅かなものでも良い? そして、複製。
アブホースの体内で“外の世界”のような〈完全な堕神〉は起こらない。では何故、堕神の前触れである〈堕神点の生贄〉と変化が発生しているのだろう? 人間を怪物に変える能力。環境を劣化させる能力。そして、体内の怪物を生み出す能力。それが理解出来たところで今から現れる敵が何であるか理解できるか?
ロバートは目を瞑って考えた。そして気がついたのだ。
『これは実際に堕神した怪物と同じ形式を以て行う形骸化した儀式。アブホースという世界では、原始から模倣、崩壊を繰り返し行う原則がある……アブホースは外から“それ”を知った? いいえ。それは私たちという部外者の……』
「――そうか、そういう事か!」メリーが拙い言葉で伝えた言葉がようやく繋がった。
「アレは、つまり、二人のどちらかの!」
そこまで口にして、メリーが答える。
「そう。アブホースは私たちの中に眠る僅かな怪物の気配から――その怪物を産み出そうとしているの……おそらく」
「……どちらが出るんだ?」
ロバートが生唾を飲み込みつつ聞いた。正直、こんな狂っていることを聞きたくは無かった。ロバートの体はいつになく震えていた。
「あなたのよ。ロバート。懐かしい“彼”だわ」
ああ、アレが……ニューヨーク都心や田舎の家々をふっ飛ばしたアレが……。
「私の《黒山羊》はアブホースでは呼べないわ。大きいから。……同様に、あなたの中にある《名も亡き王》も生まれない。アブホースと同格の存在を自身の中に留めておくことができないから、アブホースはそれがあっても使わない……」
それで、あの怪物が現れるというのなら、納得がいく。
自身の能力を向上させた存在。そして、その〈怪物〉がつけた〈堕神点〉。あの怪物は、自らの主が死んだから、生贄にするために〈堕神点〉にしたのだ。よりによって、自分が一番憎んでいるあいつが出てくるなんて――なんという皮肉だ。ロバートの憤りは激しく、空気をまるで読まないメリーをも閉口させるほどの気迫をはらんでいた。
「僕が、あいつに攻撃する。君は下がっていてくれ」
「――言っておくけど、あれは複製。本物ではないわよ」
「分かっているさ。でも、あの形をこれ以上現世に留めることが我慢ならない」
突風街道――ロバートの魔術が発現し、旋風が巻き起こる。一陣の突風にメリーが目を眩ませた。巻き上がる粉塵、ビルにはびこる蔦や地面を覆う気色悪い植物達を凪いで、ロバートが戦闘の構えをとった。
「死なない体だが、死ぬ覚悟で行こうじゃないか!」
「どうぞ。私は後ろから見ているわ」
メリーも適当に答えて、戦いの火蓋が切られた。




