第7話 元モブの意地
テスト結果の発表の翌日、俺は学園を休んだ。
言い知れぬ恐怖と、虚無感。人の感情さえ支配する強制力に、俺は怯えていたのだ。乙女ゲーの世界とはいえ、俺の目の前で動くアリシアや王太子たちは、本物の人間にしか見えない。面白ければ笑うし、腹が立てば怒る。そんな当たり前の感情を持った人間だと思っていた――いや思い込もうとしていたのだ。
部屋の窓から見える世界は、平凡で何ら変わったところは無い。それどころか開け放った窓からは、学園の賑やかな声すら聞こえてくる。俺がいなくても世界は動いている。そんな当たり前のことが、今の俺にはひどく恐ろしく感じられた。
「俺ってモブだったはずだよな……」
今となっては遥か昔に感じるが、ほんの二か月前は俺はただのモブでしかなかった。それでいいと思っていたし、それが良いとすら思っていたはず。
それが、ピンク髪に目を付けられて、逃げ出してぶつかった先には悪役令嬢。恐らく全てはそこから始まったのだと思う。
「ってことは、俺でなくっても良かったのか? いや、俺のせいで乙女ゲーの世界が壊れ始めたってことなのか?」
考え出すと同じ場所をグルグルと回るようで、何も結論は出ることは無い。ただ確実なのは、鑑定結果に書かれた「汚染」の文字だけ。
【鑑定:ボイド・シュレディンガー】
種族:人間
年齢:15
備考1:サブキャラ(フラグ成立済み)
備考2:異物
備考3:汚染度10%、悪役令嬢フラグ成立
確実に「汚染」は進行している。正規ルートっぽいテストイベントを、あれだけ無茶苦茶にしたのだから仕方がない。ここで俺が退学でもすれば、「汚染」は収まるのだろうか? 退学は無理でも、このまま引き籠れば何とかならないのだろうか。
こうして悩んでいても、頭に浮かぶのはアリシアの笑顔、潤んだ瞳、そしてほのかに香るバラの香り。健全な青少年で在れたなら、何のためらいもなく恋だと言い切れる。しかし、強制力による刷り込みという可能性がある以上、俺はもう自分自身すら信用できない――
*
「ボイド・シュレディンガー! 体調が悪いなら礼拝室で神官に見てもらいなさい!」
翌朝、朝早くから部屋の扉がうるさいぐらいに叩かれ、それ以上の大声で寮監の声が響く。確実に近所迷惑だと思うのだが、何処からも不満の声どころか、部屋の扉を開けて確認するような音も聞こえない。つまり、俺以外の連中には、この騒音レベルの音と声は届いていないのかもしれない……。
要は、恐らくこれも強制力。引き籠りなどさせないという強烈な意思が、鳴り響く騒音に込められている。もはや俺は逃げることさえ許されず、この汚染された乙女ゲーの世界で生きるしかないのかもしれない……。
「いや、強制力さえ俺というバグで、汚染という形で書き換えられたんだ。異物である俺なら……俺にしか、出来ないんだ」
沈みかけた心を、無理やり鼓舞して奮い立たせる。元モブの意地を見せてやるのだ。勝手に人をサブキャラになんてした強制力に、一泡吹かせてやらないと気が済まない!
*
「おはようボイド! 体調はもう大丈夫なの?」
気合を入れ直した俺が教室に入るとすぐに、アリシアが駆け寄ってきて腕を絡めてくる。これはそういうイベントと分かっていても、アリシアの無邪気な笑みに、俺の心は揺れ動く。
だが、冷静に考えてみると、アリシアは悪役令嬢なのだ。シナリオの中で、こんな笑みを浮かべることがあるのだろうか? 悪役令嬢とは、陰に陽にメインヒロインを虐め抜く役割。そんな悪役令嬢の浮かべる笑みは、陰湿なものか、嘲笑うもの以外にあり得ない。
つまり……この笑みは、本来あり得ないもの。「汚染」によって生み出された笑みということ……なのか?
視点を乙女ゲーの世界に置いて考えると、ゲームなんだからイベントの繰り返しで時間は経過していく。何が言いたいかと言えば、イベント以外では乙女ゲーの世界――強制力は無視できるのでは、ということだ。イベント以外の時間で見せる姿が、素のキャラ。イベントが始まれば、強制力によって本人の意思など無視される。
常時、強制力が支配するなんて、乙女ゲーに映らない時間もこと細かなシナリオがあるということ。そんなことはあり得ないだろう。
俺は、この思い付きに良い感触を覚え、イベント外の時間の各キャラクターの生活を覗き見ることに決めた――
アリシアと、ピンク髪のいない時間。それは体育の時間だ。体育と言いつつも、実際は武術訓練。王太子のゆかいな仲間たちの、体力担当が輝く時間だ。
「ふはははっ、どうだ!」
訓練用の剣を振り回し、悦に浸る体力担当。その様子は、違和感もなく、ただただ楽しそうに見える。泣きそうな顔で対戦する生徒相手に、容赦なく満面の笑みで剣を叩き付ける様子は、ただの脳筋にしか見えないが、それこそが奴の素なのだろう。
王太子も、「はははっ、平民にしてはやるではないか!」と、楽し気に剣を振るっている。それは年相応の少年の姿であり、王太子としての姿なんだろう。
あとのふたりは、文官と神官だし、へっぴり腰で剣を振るうのは仕方がない。だが、その情けない姿は、攻略対象としてみたらあり得ない姿。こちらもこれが素なのだろう。
俺は、自身の立てた仮説が、ピタリとはまる様子に、ひとりほくそ笑んでいた――




