隣に
よろしくお願いします。
ヘルムート家の屋敷に着いたディレクトの行動は早かった。
シェイラや使用人に囲まれたセラフォーネが身動きが取れない間に、出発の準備を整えて休む間もなくあっという間にナリル国に向けて出発した。
手を振る姿は一見笑顔なのに、ディレクトは恐ろしいほど笑っていない。その鬼気迫る顔を向けられた第六王子はからは、表情が失われていた。
ナリル国までの道のりを、どんな気持ちで帰るのだろうか?
まだ自分は大丈夫。帰ればこっちのものだ。
帰ったら終わりなんじゃないか? 帰るべき場所が、自分にはあるのか?
きっと後者だ。
そうでないと困る。
そう思いながら、セラフォーネは行き場を失った手を握りしめた。
(私が、この手で。そうしたい気持ちはある。だけどそれは、私よりナリル国民の役目なんだよな……)
血管が浮き出るほど握り締めた拳が、ジェネストの手にそっと包まれた。
「セラフォーネの気持ちは分かるが、ディレクトやナリル国民が第六王子を地獄に落としてくれる。……いや、もっと酷いだろうな」
どんな地獄を想像したのかは分からないけど、ジェネストの顔が鈍く歪んだ。
ディレクトがジェネストにに接触してきたのは三年前だ。少女にしか見えない少年が、父親と兄への殺意を漲らせ、ナリル国を救う計画を理路整然と説明する姿には驚かされたと言う。
第六王子がヘルムート家の領主を取り込んだことは、ディレクトも知っていた。
ナリル国にとってはとてつもなく大きな捨て駒だだが、ヘルムート家にとっては危険な自爆スイッチみたいなものだ。だからこそ、ディレクトは領主の代替わりに賭けた。
堅物と呼ばれるジェネストなら、きっと自分の計画に乗ってくれる。愚かな父親を持った苦しみと、父親の愚行の尻拭いをする義務を理解してくれる。そう思ったのだ。
その思惑通り、ジェネストは計画に乗った。
身を守るため王女と偽って育ったこともあり、ディレクトの根性は大分ねじ曲がった。それでも類稀なる聡明さと、抉る場所がないまでに根深くなった復讐心で、クーデター計画は順調に進んでいた。
セラフォーネが来るまでは……。
こんなはずじゃなかった!
ディレクトがありとあらゆるものに当たって暴れたのは一度や二度ではないし、セラフォーネが来てからほぼ毎日だった。
第六王子は異常なまでにセラフォーネに執着している。こんな美味い餌を使わない手はない。セラフォーネという存在は、ディレクトの計画には欠かせないボーナスポイントだと思った。
一番効果的な使い方が囮で、ディレクトからすれば当然の話だ。
第六王子が欲しくてたまらない相手を囮にして、獲物を釣り上げる。これ以上簡単で完璧な計画はない。
セラフォーネの身の安全なんて二の次だ。毒薔薇なんて、いなくなった方が世界のために決まっている。
なのにジェネストは、絶対に首を縦に振らない。今まで順調だったのが嘘みたいに対立した。
二人の間で何度も衝突があった中で、化け物騒動があった。とんでもない殺戮兵器を作ろうとしていると噂はあったが、まさか本気だったとは……。第六王子の狂気が想定以上であることを知ったディレクトは、今更ながら愕然とした。
こうなれば自分たちだけでは手に負えない。危機管理上、ランカスト軍の手を借りるしかない。
ディレクトにはランカスト家への恨みはないが、これ以上人の手を借りるのは不本意というかプライドが傷ついた。
その苛立つ気持ちを、ディレクトはこっそりセラフォーネにぶつけた……。特に危害を加えたわけではない。ディレクトの身を守るための愛人設定を、より真実であるかのように諸々演出しただけだ。
でも、そのせいで、まさかセラフォーネが暴走するとは思わなかった……。
本来の計画は第六王子がしびれを切らして出てくるのを待つ長期戦だったが、ディレクトは最初から反対だった。さっさと第六王子を連れ帰らないと、クーデターという名の国民の逆襲は完成しない。下手をすれば待ちくたびれたナリル国民が、余計な反乱を起こしかねないからだ。
だからセラフォーネの暴走には、内心ほくそ笑んだ。結果的に自ら囮になってくれて、初めてセラフォーネに感謝した。だが、すぐに頭が痛くなった。
……あの時のジェネストの取り乱しっぷりは、ディレクトが見たことがないほどひどかった。
ディレクトは「ジェネスト、冷静になれ!」と言いたかったし、「あの女は何勝手なことしてくれたんだ!」と叫びたかった。しかし、こうなったのは自分がセラフォーネを煽ったせいだ。さすがのディレクトだって何も言えない。
そう反省するしかないくらい、ジェネストが恐ろしかった……。
意味は違うけど、恐ろしかったのはジェネストも同じだ。
セラフォーネを失うかもしれないという恐怖を、ジェネストは知ってしまった。何を犠牲にしても、絶対に二度目はない。そう深く誓ったジェネストだ。混迷極めるナリル国にセラフォーネを送り出すなんてあり得ない。
七年間怒りをためこんできたとはいえ、セラフォーネは優しい。復讐すると言ったところで、そこまで酷いことはできない。その点ディレクトは、どんな恐ろしいことだってやってのける。
汚れ仕事はディレクトに任せるくらいで丁度いい。セラフォーネには自分の行動を反省してほしい。そして二度と自分を犠牲にしないでほしい。ジェネストの願いはそれだけだ。
「バーナビーを泳がせると決めた時、勝手な行動はしないと約束したはずだろう?」
ジェネストに無理やりあわされた目を、セラフォーネは逸らした。
先代夫婦に毒を盛っていたのは元侍女長でも、指示を出していたのはバーナビーだった。しかも「栄養剤だ」と偽って……。
ことの始まりである、先代領主とナリル国を引き合わせたのも、バーナビーだった。
バーナビーは、生まれだけで権力を手にして傲慢な限りを尽くす先代を憎んでいた。
数少ないヘルムート一族に生まれた年の近い子供というせいで、バーナビーは幼い頃から先代の遊び相手だった。というのは建前で、末端の家出身と見下され実際は奴隷扱いだ。自分より能力が低く、努力もしないのに野心ばかりは人一倍ある。そんな愚かな男の尻拭い役が、バーナビーだ。
その恨みがいつしか、先代の持つものを根こそぎ奪い取ると決意させた。
そう告白してくれた元侍女長の身の安全を確保するため、彼女がスパイとして処刑されたと周囲には思わせた。
その上でバーナビーを安心させ、泳がせた。そうすれば第六王子が必ず、バーナビーを使って仕掛けてくる。
「あれだけ距離を置けと言ったのに! セラフォーネがバーナビーと消えたと言われた時、私は発狂しそうだった」
「実際……叫んで、暴れて、手が付けられなかった……」
イオニスにここまで言わせるとは……。
「マルとカクがセラフォーネがセラフォーネのところに導いてくれなければ、ジェネストは何をしでかしたかと思うとゾッとするぞ」
イオニスはそう言って、セラフォーネを非難する。だが、それにはセラフォーネにだって言い分がある。
「相手の出方を待とうと言われていたのに、勝手な行動をした私が悪い。それは分かっている。申し訳なかった」
セラフォーネは深々と頭を下げた。そして頭を上げると、ジェネストとイオニスを交互に見た。
「だがな、クーデターのことを話してくれていれば、私だって大人しくしていたと思うぞ?」
口調が強くなったのは仕方がない。
ジェネストが一言伝えてくれていれば、セラフォーネだって暴走しなかった。ましてや、理解できない自分の気持ちを一人で悶々と悩み苛立つこともなかったのだ。
(私は全てをジェネストに話した。でも……ジェネストからは、相談されなかった。話してくれれば、私だって手助けできたのに! 信用されていなかった!)
「まさか、私に対する信頼がイオニス以下だったとはな……」
「そうではない!」
イオニスは全てを知った上で、クーデターにも手を貸していたというのに。セラフォーネは何も知らされず、勝手に一人で空回りしていただけだ。
「セラフォーネに、クーデターの話ができるわけがない」
そう言われてしまうと、さすがにショックでセラフォーネも言葉が出ない。
「言えば必ずセラフォーネは、手伝おうとするのが目に見えていた。自分を犠牲にしてな!」
自分を犠牲にする自覚はセラフォーネにはないから、いまいちピンとこない。たが、絶対に手伝う。積極的に手伝う。それは間違いない。
「自分が囮になると、簡単に言うのがセラフォーネだ」
「……多分、言ったと思うけど……。秘密にしたって、結果として同じだろう?」
「だから、困っている! だから、一人で勝手な行動はさせられない!」
包まれていたはずの拳が、しっかりと握り込まれて痛い。かと思えば、震えだした……。
「どうして約束を破った? 偽りとはいえ、自分に注射をして死を選ぶなんて。どうして、そんなことを……」
「……どうして……?」
(どうしてと言われると……、何だろう? とにかくイライラしていたし、ウジウジ考える自分が嫌だった。手っ取り早くすっきりしたかった)
「バーナビーについて行けば、いずれ第六王子に会える。そうすればさっさと復讐できるから、ジェネストと恋人が早く添い遂げられると思った」
セラフォーネの答えが考えてもいない内容だったせいで、ジェネストの脳が停止した。
愛人設定は、ディレクトの身バレを防ぐために必要なことだ。ジェネストにとっては本当にそれだけなので、セラフォーネの思考回路が理解できない。
「愛人はディレクトの身を守るための方便だ。私がセラフォーネより優先させることは、何もない」
「マテリオが亡くなった夜、ジェネストは別邸にいる恋人を選んだだろう?」
(どうして責めるような口調になった? めちゃくちゃみっともないし、ジェネストも固まっている。何をしているんだ、私は?)
ジェネストの恋人だと思っていたのは、ナリル国の王子だった。
完全にセラフォーネの勘違いだったわけだ。だからスッキリするかといえば、そうはならない。
あの晩、セラフォーネが側にいて欲しかったのはジェネストだ。でも、ジェネストは別邸に行った。セラフォーネではなく、自分たちの計画を優先した。
衝動的に行動してしまった自分の気持ちが何なのか? この期に及んで、セラフォーネは自分の気持ちに気づけない。
元々自分の感情に鈍い上に、恋愛感情なんて知らずにきたせいで考えが及ばないのだ……。
うつむくセラフォーネの肩を叩いたのは、イオニスだった。
「セラ、そろそろ素直になってもいいんじゃないか?」
「素直……?」
(真面目に正しいことを言うのが『素直』か? 隠さずさらけ出せばいいのか?)
「イライラを止めたかった。全て終わらせれば、腹にズドンとくる重しが消えると思った」
セラフォーネが素直に言えば、イオニスはなぜか頭に手を置いて苦笑いをしている。
ジェネストに至っては「ズドン?」と呟いて、自分の腹に手をやっている。
「普通は自分で気づくけど、セラはこんな気持ち初めてだろうから言っとく」
イオニスはそう言いながら「いいだろう?」シェイラに確認した。
セラフォーネの無事を確認して、ついさっきまで泣いていたシェイラたが……。今は、呆れ切った顔でうなずいた。
「セラは、愛人とジェネストが二人でいると考えるのも、二人が並んでいるのを見るのも嫌だったんだほう?」
セラフォーネはうなずく。
「だからサッサと終わらせようと、身体を張って無茶な行動をした」
もう一度、うなずく。
「だから、何だ? 私にとってこの結婚は、第六王子に復讐するための足掛かりだった。だったら二人の幸せのためには、早く復讐を終わりにするしかない。何か、おかしいか?」
セラフォーネは至って真面目で素直に応えているのに、話は完全にずれてしまっている……。とてもじゃないけど、元に戻せる気がしない。
イオニスが頭をポリポリとかいて、シェイラを見た。セラフォーネを導くのは無理だと悟ったらしく、完全に助けを求めている。
「セラは二人に幸せになってほしいけど、それを見たくはないし祝福したくもなかったのよね?」
「ものすごく感じが悪いと自分でも思うが、まぁ、そうだな。シェイラの言う通りだ」
ついに盛大に吹き出したイオニスは、シェイラに睨まれても笑いが止まらない。
涙目の顔を上げたかと思えば、セラフォーネを指さして「完全に嫉妬だ。ジェラシーだよ!」と言った。
(ジェラシー? 好きな人の愛情が他人に向くことに対する恨みとか、好きな人の気持ちが奪われる不安だろう? えっ? あれ?)
「ほら、 図星だろう?」
やっと何かを掴みかけたセラフォーネには、楽しそうに指さして笑い続けているイオニスは邪魔でしかない。
一言いってやろうと顔を上げれば、イオニスの後頭部に向かう黒い物体が見えた。太い足を向けて、猛スピードで飛んでくるマルだ。
ガッと鈍い音がしてイオニスの頭が揺れ、身体が地面に崩れ落ちる。
マルもシェイラも、汚物でも見ているような視線をイオニスに向けていた……。
「この邪魔な第三者は北塔にでも入れておくから、二人はちゃんと話し合った方がいいわ」
シェイラはセラフォーネとジェネストを執務室に放り込むと、「ちゃんと、話し合ってくださいね!」と扉の隙間から顔をのぞかせて念押しする。そして、そのまま返事も聞かずに扉を閉めた。
バタンと閉まる扉の音が、二人だけの静かな部屋に響いた。
なぜだか分からないけど、その音はセラフォーネを不安にさせる。
(敵前逃亡なんてしたくはないけど、なんか今なら、父上やイオニスから逃げ出す兵士の気持ちが分かる。なんだこの、ソワソワするような居心地の悪い空間は……)
「座ろうか」
ジェネストにそう言われてしまえば、扉を開けて逃げ出すどころか立っていることもできない……。仕方なく、向き合ってソファに座った。
前に座るジェネストは無表情で冷静だ。全く動じた様子がない。
セラフォーネといえば、考えれば考えるほど自分が恥ずかしくなってきて、身体中の血が沸騰してきた。顔なんて暑くて暑くて汗が止まらない。
(クーデターを成功させるための結婚だったのに、ジェネストが別邸に帰るのが嫌だった。私は嫉妬した。……相手が男だというのに……。呆れる以外、何がある?)
「私は嫉妬した。実にみっともない。すまなかった!」
二人の間にあるテーブルに頭をぶつけると心配になるほど、セラフォーネは勢いよく深々と頭を下げた。あまりも潔すぎて、嫉妬という言葉が似合わない……。
「……私もずっと、アユハに嫉妬している」
「うん? アユハに? どうして?」
「どうしてって……。あれだけセラフォーネの心を占める男に嫉妬しないわけがないだろう?」
「えっ?」
ぽっかんと口をあけたセラフォーネの前で、ジェネストは言葉に熱が入り、テーブルに手をついて立ち上がった。
「アユハという帰る場所を失ったから、セラフォーネは自分の未来を放棄したんだろう?」
「未来を放棄は言い過ぎたけど、見失ったのかもしれないな……」
(復讐以外、執着するものがなかった。でも、今は……)
「帰る場所は私にしてくれ。アユハの代わりでいいから、どこにも行くな!」
「……いや、でも……、ジェネストはアユハの代わりにはならないから……」
必死に思いを伝えたジェネストは、ぐにゃりと揺れてソファに沈み込んだ。光を失った目を両手で覆って天井を仰いでいる。
ここまでのダメージを食らわせたのが自分の一言だと、さすがにセラフォーネにも分かる。しかし、やってしまったと頭を抱えている場合ではない。足りない言葉は、自分で埋めないといけない。
「……えっと、アユハは女性だぞ。どちらかというと、母の代わりというか姉というか。そういう感じだ」
ジェネストがピクリと動いた。
「私がジェネストを想う気持ちとは、根本的に違う。うーん、何と言え――」
ものすごいスピードで身を起こされれば、セラフォーネの言葉も止まる。
しかも、ジェネストは見開いた目でマジマジとセラフォーネを見ている。
「いや、ちょっと待て。そんなに見ないで欲しい。なんか恥ずかしくて、頭に血がのぼる」
静止のために突き出したセラフォーネの手を、ジェネストはギュッと握った。痛くはないが、熱くてびっくりする。
「私がセラフォーネを愛する気持ちと同じということか?」
恥ずかしすぎて声に出さないセラフォーネは、うつむきながらもジェネストの手を握り返した。
「私が無理やりつなぎとめるのではなく、セラフォーネが自分の意志で私の隣にいるということだな?」
今度こそ顔を上げてうなずいたセラフォーネだが、これ以上ジェネストを直視できない。下を向くと、真っ赤に染まる首がよく見える。
「こういう気持ちは、初めてだから。その、ちょっと手加減してほしい……」
セラフォーネの希望が叶ったかは分からないが、二人が本当の夫婦として結婚式を挙げるのはもうすぐだ。
読んでいただき、ありがとうございました。
あと一話で完結です。
よろしくお願いします。




