脅し
よろしくお願いします。
今にも眼球に刺さりそうなほどの距離に注射針がある。
七年前の集落の惨状が、アユハの最期が、セラフォーネの頭の中をぐるぐると回る。
(アユハも、こうやってこの第六王子に脅されたんだ。絶対に許せない。こいつも、こんな薬も、全てなくさないといけない!)
「ジェネストに『セラフォーネを化け物にする』そう脅したら、どうするかな? 僕の言うことを聞いてくれると思う?」
「なっ! そんなことはさせない!」
「どうやって? アユハみたいに自ら化け物になる? いいねぇ。ジェネストの前で黒焦げになってみようか?」
そう言いながら、第六王子は再び注射針をセラフォーネに近づける。
「これをお前に使うのも面白いとは思うんだけど、ちょっと物足りないんだよね~」
今度はもったいぶった態度で注射針を遠ざけたかと思えば、ニヤついた顔を近づけてきた。
「だってねぇ。ジェネストが一番愛している相手はお前じゃない。そうなると、面白さが半減するだろう?」
第六王子の言い分は、腹が立つほどに正しい。
(こんな状況でもショックを受けている自分が見苦しくて嫌になる。早く全てを終わらせて、遠く離れないと)
セラフォーネの反応を堪能中の第六王子は、楽しそうにニタニタと笑っている。
悔しいが、主導権を持つのは第六王子だ。今の状況では、セラフォーネに打つ手はない。
(勢いでここまで来たけど、囮にもなれずに終わるのか? そんなのは、ダメだ。アユハやみんなの無念を晴らさないと)
「どうせなら、お前の大切な人に打つよ。それで、お前が絶望して壊れていく姿を見たい!」
うっとりとするその顔に、セラフォーネは吐き気がした……。
「だって、アユハの時は隠れていたことに気づかなくて見れなかったから。今回こそは! って思うよね!」
第六王子が舞い上がりそうに楽しみ出すほどに、部屋の空気がぐちゃりと歪んでいく。
「でもさぁ、お前にとってのアユハ以上の相手を探すのは難しいな。父親やイオニスなんて、さすがにこっちの身が危険だし……」
「あっ!」
(わざとらしい……)
ピンと背中を伸ばして、さも今思いついた体を装う第六王子。一切の表情を逃さないとばかりに、セラフォーネの顔を覗き込んだ。
「新しい家族でもいいね。……ジェネスト、とか?」
「……………………」
「あはははははは、困るんだぁ。えぇぇ? 何で? 王命だったよね? なのに、好きになっちゃったの?」
第六王子は今までで一番楽しそうだ。が、こんな奴に胸の内を言い当てられたセラフォーネは、これ以上ないほどの屈辱だ。
(悔しい! こんな反応をしていたら、ジェネストの身が危険になると分かっているのに……)
「ジェネストには愛人がいるのに? そんな奴がいいの?」
(本当にそうだ。自分でも驚いてる)
「ならさぁ、ジェネストを守るために、お前は何ができる?」
(私に? できる? 吐き気しかこみ上げないこの狂人から、ジェネストを守れるのか?)
部屋が暗くなったかと思えば、目の前に第六王子の影だった。常に気を張っているセラフォーネには大失態だ。
敵前でパニック状態になるなんて、今までだったら考えられない。冷たくなって震える両手を、肩から下げている鞄の下に隠した。
「とりあえず、私の妻になってもらおう」
「…………」
「お前のその顔を見ているのは楽しいし、ランカスト家と親戚になるのも悪くない」
「政治家気取りで保身に走るのか? 悪いが、ランカスト家に人質は通用しない」
しゃがみ込んだ第六王子の生温かい息が頬にかかる。
にたぁと笑った顔は、獰猛でしかない。獲物を前に口を大きく開けた蛇そのもので、余命いくばくもない小動物なセラフォーネは身じろぎもできない。
「毒薔薇の汚名を着せてまでランカスト家から出したくなかったのに、僕が嫁入りの打診をするなり王命を使ってまで阻止したほどだよ? ランカスト家の人間にとって、お前以上に守るべきものなんて何もないよ」
「……」
「まさか、知らなかったの? 僕に言われて今頃気づくなんて、家族が本当に可哀相!」
セラフォーネは何も言い返せない。悔しいけど、第六王子の言っていることが正しい。
(母が亡くなった時からか? アユハの死を目の前にした時からなのか? 迷惑をかけたくなくて、私は家族と向き合わなくなった。家族を守っているつもりが、守られていたことに気づけないまでに……)
「そんなに反省しなくても大丈夫。これからは僕が家族として、お前を可愛がってあげるからね」
第六王子の冷たく湿った手がセラフォーネの腕に触れた。全身に冷たい電気が走るほど気持ち悪い。
「わっ! 鳥肌が立つほど嫌がられるなんてショック~」
眉間に皺を寄せみたところで、第六王子は全くノーダメージだ。
嬉々としてポケットから別の注射器を取り出した。掴まれた腕を握る力は増して、振り払うことは叶わない。
それでも拒否の意思表示はしたくて、セラフォーネは鞄の下から手は出さずに固まった。
「わぁ、ちょっと震えちゃってるね。これが何か分かるんだぁ。話が早くて助かる」
注射器の針がセラフォーネの腕に当たっている。下手に動かせば、針が腕に刺さる。そうなれば……。
(こんな恐怖も屈辱も初めてだ。こんなことで、今まで家族に大事に守られていたと知るなんて……私は大バカ者だ)
「ジェネストや家族を守るために私の玩具になっても、お前のことだから、『自分なら気持ちで跳ねのけられる』って思うだろう?」
(当たり前だ)
「僕がそんなこと、させるわけないじゃん!」
握り込まれた腕が痛いが、そんなことよりも腕に刺さろうとしている針が怖い。
「ガネルに改良させたこの麻薬はさ、楽しいことしか考えられなくなるの。世界平和だと思わない?」
楽しそうに針を動かされ、セラフォーネは針を目で追うだけで精一杯だ。次第に視界を歪ませてしまう自分の弱さが悔しい。
「楽しいなら、楽しさを追及することにしたんだ。分かる? 普通の麻薬より依存度が高いの。一度使ったら欲しくて欲しくて仕方なくなって、僕の言うことならなんでも聞いちゃうの」
「……最低だな。クソ野郎!」
「えぇぇぇぇぇ! 僕にそんなこと言っちゃっていいの? まぁ、いいか? こんなことを言っていたお前が、僕におねだりする姿が楽しみになってきたよ」
鞄の下にあるセラフォーネの手は、第六王子も気にはしていた。でも、この状況だ。何かできるなんて、思っていもいなかった。
注射針を突きつけられていない右手が動いても、自分の方に向かってこないのならやりたいようにさせてしまった。今更三白眼を見開いても遅い。
今にも零れ落ちそうな目は、セラフォーネの首に向けられた注射器を凝視している。
「おい! 何のつもりだ?」
「見れば分かるだろう? 注射器だよ」
「それが何かなんて聞いていない! 何そするつもりだと言っているだろう!」
「おもちゃが思う通りに動かなくなれば怒鳴るのか。本当に子供だな。注射器なんだから、やることは一つだろう?」
セラフォーネが鼻で笑うと、腕がチクリと痛んだ。歯を剥き出しにした第六王子が、注射針を腕に刺したのだ。勝ち誇ったようににたりと笑うと、「ここを押せば、お前は本物の玩具だ。僕の言いなりだ」と言ってプランジャーヘッドに親指を置いた。
「私はアユハの弟子だからな。お前の脅しになど、屈しない」
スッキリした顔でそう言ったセラフォーネは、自分の首元に躊躇うことなく薬剤を注入した。
まだセラフォーネを人形にせずに今の状態で遊びたい。だから麻薬は恐怖を植え付けるための小道具で、実際に打つ気はなかった。それはセラフォーネも同じで、何の注射器が知らないが駆け引きでしかない。第六王子はそう思っていた。
なのに、セラフォーネは打ってしまった。
全く予想していなかった事態にこれ以上ないほど動揺した第六王子に向かって、セラフォーネは勝ち誇ったように笑ってみせた。
「お前の言いなりになるくらいなら、死を選ぶ。私が死ねば、ランカスト家は黙っていないのだろう?」
第六王子の緑の三白眼を睨みつけたセラフォーネは、空になったシリンジを見せつけてから「もう、終わりだ」と言って放り投げた。
「父とイオニスに、どんな風に殺されたい? お前が命乞いをする姿を見ることができないのは残念だが、せいぜい楽しんで遊べよ」
読んでいただき、ありがとうございました。
あと四話ほど、お付き合いいただければ嬉しいです。




