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救い

よろしくお願いします。

 唇を噛んで怒りに震える男。

 この男は、相手の弱点を見抜く能力は高い。その小賢しさを使って、脅威で相手を支配してきた。その脅威が通用しないところに行ってしまえば、こうやって何もできないのだ。


「思う通りに事が運ばない子供の癇癪みたいだな」


 笑いながらセラフォーネがそう言うと、目を血走らせ歯を剥き出しにした男が掴みかかってきた。が、セラフォーネが手にしたものを見ると、勢いを止めて後づさりを始めた。


「馬鹿が、お前と一緒にするな。こんなものを使ってたまるか」


 化け物になる出来損ないの薬入りの注射器を、セラフォーネは壁にに叩きつけた。

 注射器は割れ、破片が飛び散る。木製の壁には、薬によって込み黒い染みができた。

 震えながら染みを見ていた男が再びセラフォーネに飛びかかろうとすると、ドンと鈍く突き上げるように建物が揺れた。

 部屋の窓が真っ黒に染まりガラスが割られるのと、建物の扉がぶち破られるのはほぼ同時だった。


「うわっ! 何だ、この黒い鳥は! 痛い! おい、やめろ!」


 油断していた第六王子がマルの鈎爪と嘴の攻撃を受ける中、部屋の扉も弾き飛ばされた。

 一気に雪崩れ込んできた男たち全員が、セラフォーネの名前を叫んでいる。見慣れた顔なのは当然で、ランカスト軍でセラフォーネの部下だった仲間たちだ。

 まだ終わりではないのは分かっていても、身体に力が入らない。セラフォーネは床に座り込んだ。


「セラフォーネ!」


 懐かしい声ばかり聞こえるというのに、どうして自分はこの声に反応してしまうのだろうか? 微かな反発心を抱えても、たった一人の声の主の方へセラフォーネの身体が向いてしまう。


 マルに襲われて錯乱状態の第六王子はランカスト軍に取り押さえられ、部屋の中は人であふれている。その人ごみをかき分けて、ジェネストはセラフォーネに手を伸ばした。


「セラフォーネ……無事で、良かった。本当に……」


 ジェネストの腕の中でかすれ声を聞きながら、セラフォーネは「これで全部、終わるんだな」と思った。


(焦りすぎたせいで色々やらかした感はあるけど、私の復讐も終わる。ジェネストも王命から解放できる。これで、良かったんだ)


 密集した兵士の動き回る音、怒鳴り声、興奮と熱気のこもる中、突然大きな笑い声が響いた。

 

「おいおい、王命で仕方なく受け入れた妻を大事にしているアピールをするほど、ランカスト軍が怖いのか? ここを出れば愛人に会いに別邸に行くんだろう? せいぜいランカスト軍に見つからないように気をつけろよ!」

 全員の視線が第六王子に集まり、部屋が一瞬で静まり返った。


 縛り上げられ身体は動かせず床に押し付けられているのに、第六王子の口は攻撃を止めない。人を見下した薄ら笑いは、ジェネストに向けられた。


「可哀相なセラフォーネ。浮気者の夫を守るために自分の命を差し出したのになぁ」


 ザっと音でも聞こえそうに、全員の視線がセラフォーネに移った。

 

 ジェネストはセラフォーネの肩を掴んで、「どういうことだ?」と聞いてくる。その顔が、まぁ怖い。だからといって視線を逸らすわけにもいかない。セラフォーネが答えようとしているのに、第六王子が割って入って邪魔をする。。


「セラフォーネという人質を使って、僕がジェネストを支配するのが嫌だって言ってさぁ、自分の首に毒を注射したんだ」


 そう言われて見れば、セラフォーネの首元には注射痕と少しの出血がある。


「嘘だろう……?」

 セラフォーネの肩を掴む、ジェネストの手が震えている。

「僕も言ったんだよ? ジェネストが愛しているのは大切に別邸に囲う愛人で、セラフォーネのことはランカスト軍に点数稼ぎするために夫を演じているにすぎないって」 

 狭い部屋にムワリと男たちの怒りの熱がこもる。

「なのにセラフォーネは、裏切り者の夫を庇っちゃったんだよね」


 黙り込んでしまったジェネストに、セラフォーネは二人にしか聞こえない小声で伝えた。


「負け惜しみの嫌がらせだ。気にすることなく、ジェネストは恋人と幸せになっていいんだ。それが私の願いだ」


 全く光のない目をセラフォーネに向けたジェネストが、口を開こうとする。しかしそれを阻止するように、第六王子が先手を打つ。


「最期の会話はしなくてもいいの? そっか、ランカスト軍が見守っている中だもんね。『お前を愛してる』とか嘘ついちゃうか~」

「お前、もう、黙っておけよ」

 セラフォーネがそう言うと、第六王子は少し眉をひそめた。

「えぇぇぇ! 僕はセラフォーネの見方をしているのに! っていうか、その毒、遅効性なの?」


 ジェネストの腕の中から出ると、セラフォーネは膝の埃を払って立ち上がった。至って変化のない顔色でにっこりと微笑んでいる。


「あぁ、注射ね。確かに打ったけど、あれは栄養剤だ」

 セラフォーネがケロリとそう言えば、反射的に起き上がろうとした第六王子が再び床に潰された。

「はぁっ? 死ぬって言っただろう……」

「嘘がつけない聖人がこの世界に存在すると思っているのなら、随分とおめでたい頭だな」


 顔を真っ赤にした第六王子が、血管が切れて真っ赤になった目でセラフォーネを睨む。見返したセラフォーネの笑顔には、随分と余裕がある。


「まるで芋虫だな。絶対に羽化できないけど」

「うるさい! 騙しやがって!」

「お前からそんな言葉が聞けるとは、最後の最後に嬉しいよ」


 浮き出た血管が破裂しそうなほどに膨れ、第六王子は奥歯をギリギリと噛みしめ鼻息が荒い。しかし、それも暫くすると落ち着いた。

 これで終わりだ。そう思っていたのに、第六王子は太々しくにたりと笑う嫌な顔を今度はジェネストに向けた。


(……何だ? こいつは……。自分の状況が分かっていないのか? それとも、この期に及んで何とかなると楽観視している? いや、待て。こいつは馬鹿じゃない。それなりの根拠もなく、無駄な悪あがきをするか?)


 焦りなんか全くない顔を向けられ、セラフォーネの中に沸いた疑念が急激に広がり出す。


「セラフォーネはさぁ、こんな浮気者のどこがいいの? こいつの気持ちが自分にないのは、しっかり分かっているのに」


 さっと顔色が変わったジェネストを痛ぶるために、第六王子の口は止まらない。


「だって死んだセラフォーネの仇を取りに来るのは、ランカスト家だけだったよね? ジェネストは数にも入ってなかった!」


 ジェネストに顔をのぞき込まれ、セラフォーネは反射的に顔を逸らしてしまった。


「……どうして……」

「どうしてって……。ジェネストが私の仇をとりに来たら、恋人が可哀想だろう……」


 セラフォーネはとても気を使って言ったつもりなのに、ジェネストは口を半開きにしたまま固まった。


「ジェネストは仇をとらなくていいから、浮気相手と仲良くしてろってさ! セラフォーネが寛大で、やりたい放題だ」

「うるさい! お前は黙れ!」

「えぇぇぇ、浮気者の自分が悪いのに、八つ当たり?」


 今までずっと黙っていたイオニスが口を開いた。

 冷たい目は第六王子を見下ろしているが、警戒しているのはよく分かる。


「お前……随分と余裕だな? カイリッジ国王なら簡単に言いくるめて、自分は解放されるとでも思っているのか?」

「よく分かっているじゃないか? なら、サッサと手を離させろ」


 兵士は手を離すどころか、もっとキツく締め上げた。これでは第六王子もニタニタ笑う余裕はないが、自分の方が有利なんだと主張することは止めない。

 

「ナリル国の王は、私だ。お前たちごときが手を出せる相手じゃないんだよ! 今にわかるさ」

 そう言ってジェネストに向けて不敵に微笑んだ第六王子は、床に押さえつけられたままセラフォーネを見た。

「だから必ず、セラフォーネは僕の妻にするよ。楽しみだね〜」


 床に押し付けられているというのに、第六王子から絶望も悲壮感もない。

 もし本当にナリル国王ならば、交渉次第で全てがなかったことになる。

 いや、多くの弱味を握られている上に国力も瀕死なカイリッジ国王相手なら、全て第六王子の思う通りにことが動かせる。

 セラフォーネの身一つで自分の身が守られるのなら、喜んで差し出す。毒薔薇を国外に出してやったんだから、ランカスト家から感謝されると信じて……。


 国外から見ても、同じことが言えてしまう……。


 ナリル国王が他国で公爵夫人を誘拐したのだから、状況から見れば国際問題だ。

 だが、誘拐されたのは()()()だ。

 今までの悪評の積み重ねから、どんな言い訳だってまかり通てしまう。


「毒薔薇が『王様の愛人になりたい』とすり寄ってきた」


 これを嘘だと思う者は、ほんの一握りだ。

 カイリッジ国王はもちろん、国外だって誰もが疑いを持たない……。

 ナリル国から抗議されれば、カイリッジ国の方が厳しい立場に立たされる。


「カイリッジ国王は、救いようのない馬鹿だからね~。『事態を穏便に済ませるために、ヘルムート領はあげてもいいよ?』って言ったら、どう出るかなぁ? 楽しみだね!」


 握り込んだジェネストの両拳が震えている。

 あの弱腰で貪欲な国王がどう出るかなんて考えるまでもない。

 国の未来なんて考えずに、目先の欲望に飛びつくに決まっている。その先に破滅が待っているなんて、考えるはずがない。


 狭い部屋に暑苦しい男どもがわんさかいるというのに、部屋の空気が冷え切っていく。

 ご機嫌なのは捕らえられている第六王子だけで、最悪な未来を想像させられた者たちの顔色は悪い。


「もうどうなるか、分かったでしょ? だったら、さっさと拘束を解いてくれないかな? こんなことをしても無意味だからさ~」


 力関係が逆転した……。


 第六王子を拘束している兵士が、困り顔でイオニスを見た。

 セラフォーネからはイオニスの背中しか見えない。どんな顔をしているのかは分からないが、こんな脅しに屈したりしないのは知っている。

 それが……信じられないことに、「解放しろ」と力のない声が聞こえた……。


「おい! イオニス!」


 怒鳴り声をあげたセラフォーネが、目を見開いて固まった。

 狭くボロい部屋には場違いなドレスを着た美女が、「ジェネスト!」と叫んで飛び込んできた……。

読んでいただき、ありがとうございました。

もう少しで完結です。

最後までお付き合いいただければ、嬉しいです。

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