罠
よろしくお願いします。
元家令の行き先が、まともな商会ではないのは最初から分かっていた。ろくでもない相手だろうと、とりあえず片っ端から潰していけば目的にたどり着ける。セラフォーネなりに考えて? の行動だった。
ジェネストの計画通り、待っていてもたどり着けた。分かっている。でも、何もしないで待つのは、セラフォーネの心が限界だった。
勝手な行動をしたことを、後悔していない。
粗末な薄い木の扉が開くとすぐに、部屋に露骨な笑い声が響いた。子供みたいな無邪気な笑い声が、とっくに三十後半の大人だと思うとゾッとする。
扉の前に立つセラフォーネと向き合った男は、椅子に座ったまま両手を広げてこう言った。
「待っているのが僕だと、最初っから分かっていたって顔だね?」
「いや、まさか一発目からお前に会えるとは思っていなかったから、それなりに驚いている。罠だとは最初から気づいていただけだ」
「それなら元家令も頑張ったってことだね」
やけに楽しそうに一人で納得してうなずいているのは、ナリル国の第六王子だ。
鼻について仕方がない態度が、余裕を見せたいからなのか? これが素なのか? これだけでは判断がつかない。
「お前が私に執着しているとは聞いていたが、こんなにあっさりと会えるとは思わなかった。何をそんなに焦っている?」
第六王子の右眉がピクリと上がった。
人をバカにした態度で煙に巻く男が、こうもあっさり反応するとは意外だ。これは、当たりだ。何かある。
だが……これだけ焦っているのなら、相手はなりふり構わないはずだ。セラフォーネの想像以上に危険が伴う。
ニッコリと微笑んだセラフォーネは、自ら危険に足を踏み入れた。
セラフォーネが部屋に入ると、外から扉が閉められた。
決して大きな音ではなかったのに、セラフォーネの腹にはどっしりと重く響いた。相手に呑まれまいと、腹にグッと力を込める。
「元家令の口車に乗って、見知らぬ馬車に乗ったかいがあったみたいだな。街を出た時は面倒くさいことになりそうだと思ったけど、意外と楽しめそうだ」
「どうかなぁ? そんなにご機嫌なら、元家令のことは許してあげてね。利用するには、あれくらいの馬鹿がちょうどいいんだよ」
利用するだけ利用して、要らなくなれば即切り捨てる。本当に厄介な男に捕まったなと、セラフォーネは元家令に同情した。
第六王子が向き合って置かれた椅子を指さすので、セラフォーネは仕方なく座った。元々が狭い部屋なだけあって、第六王子との距離は人が二人分ほどだ。飛びかかれる距離だけに、全く気が抜けない。
何もない板張りの部屋には、椅子に座った二人しかいない。カーテンのない窓から部屋に光が差し込んで、二人の影が黒く床に伸びる。
「ずっと貴方に会いたかったのに、ジェネストに邪魔され続けた」
「そうか」
「そっけないなぁ? 貴方に会うために、昼夜問わず刺客を送り続けたというのにぃ」
まるで「手紙を送り続けたんだぞ」とでも言っているような口調ががゾッとする。拗ねて言うようなことではないし、ずれているを通り越して狂っている……。
セラフォーネはごくりと唾を飲み込んだ。
「刺客を送る必要があったか?」
「あったよ~。ジェネストを困らせてやったから、セラフォーネは行動制限されたでしょう?」
「行動制限されたら、お前だって私に会えなくて困るだろう。何なんだ? 全然目的が分からない」
「それそれ、ちょっと誤算だったんだよね〜」
第六王子は不満そうに口を尖らせた。
「僕の予想では行動制限されたセラフォーネは、怒ってジェネストを見限ると思ってた」
「……」
「でも、あっけなく受け入れちゃった。セラフォーネらしくないよね?」
(そうだ……。自由を制限されて黙って従うなんて、私らしくない。どうして……?)
毒薔薇にされることは受け入れても、基本的に自分のやりたいように生きてきたのがセラフォーネだ。だからこそ、第六王子の言葉はセラフォーネの気持ちをぐちゃぐちゃにかき乱した。
まるで自分でも分からない気持ちを見透かされているようで、腹がカッと熱くなる。
「……お前が、私の何を知っているというんだ」
「えぇ! ひどいなぁ。この七年、ずっと追いかけられてたんだから、行動パターンや性格くらいは把握できるよ。まぁ、まさかイオニスと入れ替わっていたとは思わなかったけどね」
恨みがましい流し目を送られたって無視だ。
「お前に教える義理はないからな」
「またまたひどいな! 知っていれば、さっさとセラフォーネを僕のお嫁さんにしてあげたのに!」
断るのもばかばかしくて、セラフォーネは第六王子を睨みつけた。
三十代後半の男との会話とは思えない。子供のような言動は、気持ちが悪いだけだ。
だが、この幼稚な言動も効果的な演技なのだと、セラフォーネは思い知らされる。
蛇みたいに瞳孔が開いた目は、緑色がどす黒さを増したように濃くなった。
部屋の空気も一気に冷え、何かが変わったと気づいた時には、身動きが取れないほど緊張感が増していた。
変わったのは目の前の男だ。
さっきまでの幼さは消えて、狂気に満ちた男が、そこにいた……。
「毒薔薇の悪評は、ナリル国にも轟いている。とてもじゃないけど、まともな人間では。アユハから全てを受け継いだのは、イオニスだと考えるのが妥当だろう?」
「自分の調査不足だろう?」
「それも否定できないけど……。ランカスト辺境伯は、脳筋の振りして結構策士だからね……」
(父上の計算通りだったと? いくら何でも買い被りすぎた。………………まさか、な……)
「アユハの後継者がセラフォーネなのだと分かっていたら、どんな犠牲を払ってでも手に入れた。愉快な化け物を作り出す薬を完成させられる、唯一の人間だからな」
「私がお前に手を貸すはずがない。七年追われても気づかないのか? 大体、あの薬をこの世から消すことしか、私は考えていない」
第六王子は落胆を隠さずため息をついた。
「僕が人間扱いしてあげるなんて稀なことなんだよ? どうしてセラフォーネは分からないかな?」
口からのぞく真っ赤な舌が、ただただ気持ち悪い。悪寒が足元から頭のてっぺんまで一気に這い上がった。
あの薬は出来損ないの薬だ。なのに、どうして……?
「秘薬自体が存在しないのは知っているだろう? あの薬は、ガネルが功名心のためだけに持ち込んだ失敗作だ。人の尊厳を失うだけの薬だ」
第六王子の口角が均等に上がった。笑っているのだと思われるが、全く笑顔に見えない。
「秘薬の噂を聞いて不老不死の薬が作れると期待したのは、本当に愚かなナリル国王だけだよ。僕は最初から、あの出来損ないの薬にしか興味がない」
「…………」
なぜ?
肉体を強化すると言いながら、実際は無理やり発達させられた身体の損傷は計り知れない。それよりもっと悲惨なのが、蝕まれた精神だ。
心が壊れてしまえば返って楽かといえば違う。絶えず苦痛と恐怖と虚無に襲われ続けるのだから、地獄よりもむごい。
これほどまでに恐ろしい代物を、セラフォーネは薬だなんて言いたくない。
しかし、目の前の男は……あの薬以上に危険な狂気でしかなかった。
「人が苦しんでもがいて壊れていく姿を見るって、本当に楽しいよね?」
(質問をされているのか? 正気か? 狂っているにも程があるだろう?)
セラフォーネが震え出しそうな身体を押さえつけるほど、第六王子の狂気は深い。
頬を赤らめた恍惚の顔で、こんなことを言っていること自体が異常だ……。
「ここまで僕を楽しませてくれた上に、兵器として利用できるなんて素晴らしいじゃない。ガネルには感謝しかないよ」
目の前にいるのは人間じゃない。悪魔だ。人の真似をした化け物だ。
こんな奴は、存在したらいけない……。
危険だから逃げろという信号と共に、セラフォーネの心がそう叫んでいた。
「……ならなぜ、ガネルを殺した?」
「ガネルはさ、バカな国王に唆されて、不老不死の薬に本腰を入れたいとか言い出したんだよね」
「……ふろう、ふし……?」
「分かってるよ。そんな薬作れるはずがない。っていうか、あんなカスは長生きさせるのだってダメなんだよ。だから、つまらない夢を見るガネルは要らなくなった」
第六王子が何を言っているのか、セラフォーネはしばらく理解ができなかった。
「だったら、なぜ? どうしてアユハに薬を作らせようとしたんだ?」
「あの薬を楽しく改良して欲しかったんだ。でも、そんなこと絶対にするタイプじゃないからね。すぐに断られた」
「……なのに、ガネルを使ってアユハを脅した。……アユハを化け物にした……」
「嫌だな。そんな怖い顔しないでよ。ちょっと遊んだだけだろう?」
(遊ぶ? あれが……?)
フラッシュバックで蘇るおぞましい記憶が、『遊び』だった……?
一つの集落が無くなり、大勢が惨たらしく死んだ。それが、遊びだった。そんな馬鹿な話があるだろうか? こんなにも理解できず気持ちの悪いことを、セラフォーネは今まで経験したことがない。
胃がキリキリと痛み、頭は割れそうだ。第六王子の訳の分からない理屈に対する拒絶反応だ。
「アユハの方がガネルより何倍も優秀だ。国王の手に渡って、本当に不老不死の薬を作られたら困る。国王みたいなクズは一秒でも早く死ぬべきなのに、長生きなんて絶対に許さない!」
「不老不死の薬なんて、アユハは作らない」
「潔癖すぎる奴だったから、そうなんだろうけどさ。でも、分からないよね?」
そう言って第六王子は、セラフォーネを見て不敵に笑った。
「あの薬、鉱夫以外にも試したんだよね。でもダメだった。大体が第一段階か第二段階で壊れちゃうの、まぁ、それはそれで見応えはあるんだけど」
(こんなことを真剣な顔で言うのか? 頭がおかしすぎるだろう?)
今時点で鳥肌が立っているのに、第六王子の口が完璧な弧を描いてニタァと笑った……。
「実際に化け物になったのは、ガネルとアユハだけなんだよ。これって、どう言うことなんだろうね」
セラフォーネの全身から、冷や汗が吹き出していた。
意味なく微笑みをたたえた第六王子は、確実にセラフォーネで遊んでいる。それが分かるのに、恐怖が怒りに優ってしまう……。
「あの集落で生まれた薬だ。あの集落の奴らなら、化け物になる適性があると思わないか?」
足を組み替えた第六王子は、クスクスと笑って優越感に浸っている。
「そんな顔しないでよ。新たな場所に作られた集落はランカスト軍が目を光らせていて、さすがに手を出せない」
もう二度と集落のみんなを苦しめないよう、厳重な警備体制を敷いている。
そうだとしても、この男は何をするか分からない……。
「な な ね ん ま え」
第六王子はわざとらしく口を大きく開けて、記憶をもてあそぶみたいにゆっくりと言った。
「あの日、なんかおかしいって違和感があったんだよね。いくらアユハが潔いにしても、もうちょっと抵抗したり怒ったりするものじゃない、普通」
不自然なほど静かな部屋に、ガタンという音が響いた。第六王子がわざわざ椅子を動かしてセラフォーネに近づいてきたのだ。
穏やかな笑顔を貼り付けていても、この男とは分かり合えない。分かり合ったらいけない。
(怖い。逃げ出したいほど怖い。少し手を伸ばせば届く場所に、とんでもない狂人がいる。いや、人と呼んでいいのだろうか……?)
今まで感じたことのない恐怖隠すために、セラフォーネは太腿に手を置いて震えだしそうな足を押さえ付けた。それだけでは足りず、三白眼を睨みつける。
緑の三白眼からは今にも汚泥のような闇が襲い掛かってきそうで、何をしても恐怖しかない。
「あの場所に、セラフォーネがいたんだね。僕がそれに気づく前に、アユハは全てを終わらせたかった」
第六王子は余裕のある顔で、足を組み替えた。
「アユハが黒焦げになって崩れていくのを、隠れて見てたんだね」
臆病者! 偽善者! そう言われているようで、指先が感覚がなくなっめいく。身体は冷え切っていくのに、心臓だけは暴れ回っていて自分の心音が脳内で轟音を鳴らす。
「アユハが恐れたのは、僕がお前を見つけて人質すること。だからアユハは、あんなに死に急いでいたんだ」
アユハの知識を受け継いだセラフォーネが見つけていたら、第六王子は絶対に逃さなかった。遊び相手として、セラフォーネが壊れるまで、いや壊れても楽しんだはずだ……。
「残念だなぁ。もっと遊べたはずなのに、悔しい。あぁぁぁ、失敗したぁ」
両手で顔を覆い身もだえる姿は、子供だったら地団駄でも踏み鳴らしそうな悔しがり方だ。
信じられないほどのどす黒い感情が、セラフォーネの腹の底から沸き上がってきた。その正体が殺意だと理解するのに、時間はかからなかった。
セラフォーネを守るために命を懸けたのは、アユハだけではない。集落のみんなや、駐留していたランカスト兵。そのみんなの惨たらしい死が、目の前の男にとっては『遊び』でしかなかった。
相手にしてはダメだと頭では分かっているのに、お腹から沸き起こる感情に全てが持っていかれる。
立ちあがろうとしたその瞬間、セラフォーネの目の前には注射針が向けられている。
そこから目が離せないまでいると、全く笑っていない不気味な笑顔の口が動き赤い舌がのぞいた。
「こんな狭い場所で何も考えずに動いたらダメだよ〜。これが何の薬か分かるよね?」
読んでいただき、ありがとうございました。
もうすぐ完結です。
よろしくお願いします。




