暗闇の中で
よろしくお願いします。
バーナビーのやらかしは、一気に屋敷を駆け抜け街にまで広がった。
もちろんジェネストの耳にも入っているが、特に何もアクションはなかった。
いつも通り夕食に現れて、たわいもない話をして、宵闇の中別邸に帰って行く。
セラフォーネとすれば、まぁ、謝られても困るし、商会を呼んで好きなものを買えと言われても困る。だからといって、全てを無かったことにされるのは、それはそれで気持ちは複雑だ。
セラフォーネが何か落ち着かない気持ちを抱えて道端の石を蹴って歩いていると、薬草畑の方から賑やかな声が聞こえてくる。
休憩場所として薬草畑の横に作った東屋に、農作業そっちのけで人が集まっている。話題はもちろん、昨日のバーナビー話だ。
一つため息をついたセラフォーネは、薬草畑から少し離れた保管庫に向かった。
とてもじゃないけど、昨日の話をワイワイとできる心境じゃない。
保管庫の整理を終えたセラフォーネが、伸びをしながら縮こまった腕を回していると、背後から「わわわっ」と焦った声が聞こえた。振り返ると、石畳に尻もちをついた元家令と目が合った。
泣きながら大騒ぎしたのが昨日のことだ。元家令もさすがに気まずそうに立ち上がると、「突然現れて申し訳ありません」と頭を下げた。
「ここは庭だ。突然も何もないよ。気にするな」
セラフォーネは昨日のことを含めて言ったつもりだが、元家令はその場を動かない。
(困ったな。「だから去ってくれ」と言うべきだったのか? もう、面倒くさい)
「……昨日の件は、本当に申し訳ありませんでした」
石畳に額を擦り付けられては、セラフォーネだって無視できない。
「謝罪なら、昨日受け入れた。私は、気にしていない」
セラフォーネはキッパリと言い切った。
昨日のことは、セラフォーネの中では解決しているし、元家令にもそう伝えてある。
正直、わざわざ部屋に乗り込んできてまでする話ではなかったとは思うが、ヘルムートの血筋と未来を案ずる家臣らしいといえばそうなのだろう。セラフォーネがそう言うと、シェイラは呆れ果てた顔をしていたが……。
とにかく、セラフォーネは納得したのだ。今更話すことなど何一つない。が、元家令は何か言いたげだ。
「まだ何か言いたいことがあるなら、早くしてくれ。次の作業があるんだ」
セラフォーネが早口でそう言うと、元家令はホッとした顔をした。
「昨日の件は、本当に出すぎたことをしたと思っています。旦那様のことは生まれた時から見守ってきたこともあり、思い入れが強すぎまして……」
(そう、だろうな……)
父親に虐げられる姿を間近で見てきているだけに、ジェネストを守りたいと思う気持ちが強い。それは元家令にだけ言えることではなく、リードや庭師など古株の使用人はほとんど同じ気持ちだ。
「その気持ちは理解しているから、昨日のことは気する必要はない」
これでお互いスッキリだ。もう立ち去りたいのに、元家令は謝り足りないのか、セラフォーネの行手を阻む。
もじもじしている割に、非常にグイグイくるのが謎だ。
「あの……、これがお詫びになるとは思っていないのですが……」
「貴方からの謝罪は、既に受け入れた。お詫びとかは要らない」
はっきりとそう言っても、元家令は引かない。
「最近来た商会で、薬草に詳しいところがあるんです」
「そうか……。薬草に関しては、私にも昔からの付き合いのところがあるから大丈夫だ」
「それは知っていますが、ここは特別と言いますか……」
お詫びなのか親切心なのか分からないが、随分ともったいぶる。その態度がセラフォーネを苛立たせると分からない男ではないはずなのに……?
「私は特別なものは求めていない。今のままで十分だ」
我慢の限界で歩きだしたセラフォーネの背中に向かって、元家令はしゃべり続ける。
「普通では出回らないナリル国の薬や薬草です。もし必要になりましたら、私に声をかけてください」
ナリル国の薬と言われて、セラフォーネの心は揺れた。もしかしたら、マテリオを救えるかもしれない。そう思った。少しだけ。
だが、振り返りはしなかった。
すぐにこのことを後悔することになるとは、セラフォーネはまだ知らない。
暗闇よりも黒い黒鳥が、大きく羽を広げて威嚇する。それでも恐れることなく近づいてくる足音が誰のものか、セラフォーネは気が付いていた。
「こんな夜中に屋敷から出るな」
「そうだな……」
肯定の言葉のようで、全くの別物だ。ジェネストの説教など、セラフォーネは聞く気がない。
マルと一緒にベンチに座ったまま、セラフォーネの表情は一切動いていない。ジェネストのことなんて、まるで見ていないのだ。
髪をくしゃくしゃと掻き混ぜたジェネストは、セラフォーネの隣に座った。それでもセラフォーネは微動だにしない。
「眠れないか?」
「そうだな……」
真っ直ぐに暗闇のどこかを見つめたまま、セラフォーネは反射で喋っている。
ジェネストは「貴方が気に病むことではない」と言って、星の見えない真っ黒な空を見上げた。
「……そうだな……」
同じ夜空を、セラフォーネも見上げた。
マテリオが死んだ。
拮抗薬で症状は収まりつつあったが、度々起こるフラッシュバックに身体が耐えられなかった。
最初から生き残る方が難しい状態だった。それが分かっていても、救えなかったことはセラフォーネを苦しめる。
「診療所に行きたい」
セラフォーネの呟きが、闇の中にポトリと落ちた。
マテリオの死を伝えられたのは、ついさっきだ。すぐに屋敷を飛び出しかけたセラフォーネを、アトラスたちが必死になって止めた。
「セラフォーネ様が何を言っても絶対に外に出すな。領主様からそう言われております」
「知るかっ!」
「セラフォーネ様に出て行かれたら、私たちの首が飛びます!」
そう言われてしまえば、堪えるしかない。
マテリオは死んだのだ。セラフォーネにできることは、何もない……。それが分かっていても苦しい。苦しくて、仕方がない。
今すぐマテリオのところに駆けつけたいのに、できない。
助けられなかった自分の未熟さに対する怒り。何もしてあげられなかったのに、最期を看取れなかった後悔。
色んな感情渦巻いて混ざり合って、セラフォーネの心はべっとりと塗りつぶされた。息をするのも苦しい。
(アユハが「自分と同じ犠牲者を出すな」と託してくれたのに、私は裏切った。やっぱり私では力不足だったんだ……)
落ち込んで眠ることなんて考えられず屋敷から出たセラフォーネに寄り添ってくれたのがマルだ。おかげで少し落ち着いたというのに、行く手を阻む張本人が目の前に来れば穏やかでいられるわけがない。
「夜の外出は危険だ。申し訳ないが、許すことはできない」
「ジェネストは、別邸と本邸を自由に行き来できるのにな」
つい鼻で笑うような言い方になってしまった。悪気がないかは、セラフォーネも分からない。それほどまでに、全てが攻撃対象だった。
セラフォーネが愛人について皮肉っていると、ジェネストも分かった。
「別邸のことについて、愛人と呼ばれる人物のこともちゃんと話したい」
「じゃぁ、今言え」
「でも、言えないんだ。全てが終わったら、隠すことなく全部話す。だから、今は、待って欲しい」
(なんだそれは? 私は信用できないってことか? ……まぁ、そうなるな。アユハの死を無駄にするような私に、何を話しても意味がない)
「もう、どうでもいい……」
今度は心底関心のない声が、闇の中に落ちた。真っ黒すぎて、探して拾い上げることは不可能だ。
顔は見えないけど、ジェネストが息をのむのは分かった。だけど、それだってもうどうでもいい。
そう思っていると、ガシッと肩を掴まれた。
「苦しいなら、苦しいと言え! 私はそんなに頼りないか?」
フッと鼻に抜けたセラフォーネの笑い声ともいえない音は、呆れているのか馬鹿にしているのか分からない。ただ、ジェネストは全身に鳥肌が立つほどゾッとする恐怖は感じた。
「自分は隠し事をしておいて、私には全て話せと? 笑えるな」
セラフォーネの乾いた笑い声が夜に響いた。あまりにも冷たい声は、完全にジェネストを拒絶していた。ジェネストの血の気が引いたところで、もう元には戻れない。
セラフォーネに振り払われた手を、もう一度伸ばそうとしても動かない。こんなに近くにいるのに、永遠に届かないほど距離がある。
「予定通り、お互いがお互いの目的を達成させよう。それが終われば、私たちは自由だ」
「……ちょっとまっ――」
ジェネストが言いかけたところで、バタバタと足音が近づいてきた。暗闇の中で息を切らしたアトラスが、二人の前で止まった。
ジェネストは舌打ちをしたが、そんなことを気にしている余裕がアトラスにはない。
「すぐに別邸に向かってください!」
声の切迫度から緊急事態だ。
「少しセラフォーネと話をしたらすぐに行くから、それまでお前達で何とかしてくれ」
「何とかできないから来たんですよ! あの方に何かあったら、どうするんですか!」
いつものアトラスらしくなく、焦りと怒りを隠せていない。それだけで、別邸が相当緊迫した状態なのが分かる。
ジェネストはちらりとセラフォーネを見たが、拳で自分の太腿を叩くと、結局立ち上がった。
「帰ったら、話を聞いてくれ」と早口で言ったジェネストは、アトラスと一緒に走り去った。
一度も振り返ることもなく、闇に紛れた二人の背中はあっという間に見えなくなった。
読んでいただき、ありがとうございました。
ちょっと展開を変えたら残りの全てを変えることになりました。
前の話から随分とあいてしまって申し訳ありません。
あと9話ほどで完結します。
よろしくお願いします。




