七年前①
よろしくお願いします。
七年前のその日も、セラフォーネは山の中を集落に向かっていた。
エリザが亡くなってからもランカスト軍が駐在し、軍の薬師もおたがいの知識を高め合い、集落との関係は良好に続いていた。
アユハは部族の長となり、歴代随一の薬師と呼び声が高い。セラフォーネにとってアユハは変わらず憧れの存在で、唯一心をさらけ出せる相手なことも変わらない。それはアユハにとっても同じで、冗談とはいえお互いにもし何かがあれば……なんて話もするほどだった。
ちなみにいつもはセラフォーネにくっついているイオニスが同行していないのは、アユハとセラフォーネの二人の空間が嫌いだったからだ。
自分の分からない難しい話を、二人がしているのを見るのは腹が立つ。だが一番イオニスが我慢ならなかったことは、セラフォーネがアユハにだけ甘えることだった。セラフォーネにそんな感情が存在するなんて思ったこともなくて、イオニスは気が遠くなったほどだ。
他人にどうしてそんな顔を見せるのか! と腹が立ったが、家族に甘えられない状況に追い込んだのはイオニスなのだとシェイラに指摘され苦しくなった。
集落に行くと自分の不甲斐なさを思い知らされ疎外感しかない。イオニスは早々にセラフォーネについていくのをやめた。
いつも道をいつも通り向かっているはずなのに、セラフォーネはずっと違和感を感じていた。するはずのない臭いがするのだ……。
薬草の臭いをかぎ分けるほど、セラフォーネは人の何倍も鼻が利く。その鼻が危機感を訴えていた。
焦げ臭さと、血生臭さ。あと腐臭とも少し違う、酷く生臭い嗅いだことのない臭いだ。
今までの待ち遠しさが嘘のように、セラフォーネの胸が不安に染まる。
馬を走らせる森は背の高い木で埋め尽くされ、太陽の光が届かない。生い茂る木に邪魔されて空さえ見えない。その薄暗さが、余計に不安を掻き立てる。
昼過ぎに出てきたから、まだ夕方にはなっていないはずだ。薄暗く湿った森の中を、セラフォーネは馬を猛スピードで走らせた。
森が終わり集落が近づくと、空が見えてきた……。
オレンジというより赤に近い夕焼け空だった。禍々しいほどに赤い空に、セラフォーネは不安よりも恐怖を感じた。
集落が夕日で真っ赤に染まる中、ところどころから灰色の煙らしきものが伸びている。
仲間意識の高い集落だ。火事ならば、みんなが一丸となって火消しに走っている。こんなにも静まり返っているはずがない。
不安材料を見つけるたびに、セラフォーネの鼓動は速さを増す。
広い薬草畑が、見る影もなくなっていた。
青々と茂っているはずの薬草は見当たらない。土は踏み荒らされ、薬草が燃えたひどい臭いと燃えかすで真っ黒だ。
いつもは笑顔で迎えてくれる、薬草畑の手伝いをしている子供たちもいない。
背中に冷たい汗が流れ、骨にぶつかる音が聞こえるほど心臓が暴れ回る。
これ以上先に進むのが怖いと思ってしまったけれど、怯んでいる場合じゃない。そう自分に言い聞かせて前に進んだ。
集落は、もう集落と呼べる状態ではなかった。
建物は壊され、整備した道は抉られて道とは呼べない。壊した建物に火を放ったせいで、燃えかすの中に火種がぶすぶすと赤く燻っている。
「どう、して……」
恐ろしい光景は、無惨な建物や畑だけではない。
集落の者と一緒に、見知ったランカスト軍の兵士や薬師の死体が転がっている。
ここしばらくは平和だったとはいえ、ナリル国の標的になっている場所だ。兵士だって精鋭を揃えていた。こんなに簡単に倒されていること自体が異常だが、亡骸はもっと異常だ……。
とても人間と戦ったとは思えない。引きちぎられ潰され、目を覆いたくなる姿だ。
セラフォーネの大事な仲間を殺され、第二の故郷である村が破壊された。
一大事だ。
何が起きたのかを、すぐに確認しなくてはいけない。生存者を探さなくてはいけない。やることはたくさんある。
なのに、セラフォーネの身体は苦しくて恐ろしくて動かない。
焦げ臭さと血生臭さと残忍さに耐えられず、セラフォーネは何度も吐いた。こんなことをしている場合じゃないし、殺されたみんなに失礼だと思うのに止まらない。
怖くて、怖くて、恐ろしくて、それでもセラフォーネが前に進めたのは、アユハなら何とかしてくれると信じていられたからだ。とにかく集落の中心にあるアユハの家に向かって、よろけながらも足を前に出し続けられた。
集落の中心に近づくにつれて、街の荒れ具合が激しさを増した。建物はほぼ破壊され、街路樹もなぎ倒されている。それら全てが黒焦げだ。
襲撃して、破壊して、燃やす。胸糞が悪くなるこの行為は、ナリル国の手口だ。
ナリル国軍が猛獣でも手懐けて、意のままに操ったとしか思えない惨状だ。だが、そんなことは有り得ない……。
まさかの最悪なことが頭をよぎり、セラフォーネは必死に赤い髪を振って、考え違いだと自分に言い聞かせた。自分を呼ぶ小さな声が聞こえたのは、そんな時だ。
血だまりの中にいたしわがれた手が、ピクリと動いた。
「カロン爺!」
セラフォーネが駆け寄った先にいるのは、元長でもある集落の長老だ。長く真っ白な顎髭を撫でるのが癖の、アユハを薬師に育てた師匠だ。セラフォーネのことも可愛がってくれて、たくさんのことを教えてくれた。
風貌がガリガリの仙人みたいなのに、余裕で崖だってよじ登る。「カロン爺は不死身だ」とみんなが言っていたくらい元気の塊だった。
そのカロン爺が……。
「……何があった! みんな、何にやられたんだ?」
しわしわでも血色の良かった顔が、血が失われたせいで青白い。その顔が、赤黒い血がこびりついて汚れている。どんな場所を飛び回っても息一つ乱さなかった呼吸が、「ハッハッ」と荒く苦しそうだ。
それなのに、セラフォーネの腕を掴む手は強い。
「ガネルのバカが、自分が盗んだ秘薬が偽物だと今更気づいた」
ガネルはアユハの父だ。
優秀な薬師だったのに、思い上がりが強く自分の力を過信しすぎた。愚かにも外で力を試したいと、成功して富と名誉を得たいと思ってしまった。
部族の秘薬を盗んで、自分と共にナリル国に売り込んだのだ。「自分なら、ランカスト家に勝てる兵器を作れる」と。
だが、ガネルが盗んだのは偽物の秘薬。偽物だから、兵器が完成するはずがない。ついにそれに気づいて、本物を奪いにきたのだ。
だが、集落はランカスト軍によって守られている。ナリル国軍が来たところで、返り討ちだ。いつもならば……。
セラフォーネは辺りの惨状を見回した。考えられる答えは一つだ。
「ガネルは……出来損ないの薬を投与した誰かを連れてきたのか?」
「あの、バカ……」と言ったガロン爺の目から溢れた涙が、しわしわの肌を伝う。
「ナリル国に見限られたんだ。自分で作った出来損ないの薬を投与され、ガネル自身が化け物になってやがった」
集落の秘薬は麻薬だ。麻薬といっても、高揚感や快楽を得られる程度のただの麻薬じゃない。
かつて寺院での儀式に使われていた。死者を甦らせる薬が麻薬の正体だ。
とはいっても、本当に使者を蘇らせるわけではない。長い年月をかけて研究はされたが、そんな薬は作れない。作ってはいけない。儀式に使われるのは、滋養強壮薬で落ち着いた。
薬学に特化した集落の人間が研究を重ねたのだ。何の成果も得られずに終わるわけがない。死者を蘇らせる薬は作れなかったが、別の薬ができあがってしまった。それが、秘薬だ。
一時的に身体機能を異常に強化して、痛みも恐怖も感じない身体になる。それに加えて、激しい暴力衝動が抑えられなくなる。目に映るものは全て敵で、破壊しないと気が済まない。まるで殺戮兵器だ。
「こんな恐ろしい薬は存在してはいけない」
アユハはそう言って研究書物も秘薬も破棄した。だが、アユハの父は、ガネルは違った。秘薬を利用して地位と権力と金を手に入れようとしたのだから……。
「……セラ、頼む……。アユハを助けてくれ。アユハを、救ってくれ……」
力を失って血だまりに落ちる細い腕を、セラフォーネは見ているしかできなかった。
慌てて手を取ったが体温が失われていくのが分かるのに、セラフォーネは何もできない。できることが、何一つないのだ……。
読んでいただき、ありがとうございました。
終盤になりつつあるのですが、もう少し続きます。引き続き読んでいただければ嬉しいです。




