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先代夫妻の死

よろしくお願いします。

 夕食の前に「話がある」と伝えていたため、食事後はジェネストの執務室に通された。二人で向かい合って紅茶を飲んでいるのだけど、とても空気が重い……。

 呼び出したのはセラフォーネだ。話があるのもセラフォーネだ。だったらこの空気を何とかするのもセラフォーネの役目だ。だが……場を和ますなんて器用なことは思い浮かばない。


「先代夫人の呪いについて聞きたい」

 直球で聞いてみたが、バッサリ切り捨てられた。

「……そんなものは、存在しない」

 カップをソーサーの上に置いたジェネストは、無表情でそう言った。


 一か月一緒にいれば分かる。本来のジェネストは、表情のない人間ではない。こうやって無表情を装うということは、隠したいことがあるということだ。


「なら、質問を変えよう。先代夫妻が病死だと、本当にそう思っているのか?」

「死んだ直後は、もちろん暗殺を疑った。王家の暗殺も視野に入れて調べたが病死だった。前にもそう話したはずだ」

 確かに聞いている。セラフォーネはうなずいた。

「私という後釜がいるのに両親を殺しても、王家には何の意味もないからな。二人の死の裏に何かあると思いたくなる気持ちは分かる」

 ジェネストはソファーの背もたれに身を投げ出した。この話は終わりだとでも言うように。

「もう一度聞く。先代夫妻が病死だと、ジェネストは本当にそう思っているのか」

「……………………」

 睨み合いだ。二人きりでよかった。誰かがいたら、この空気に負けて卒倒していただろう。二人だからこそ、思う存分睨み合っていられる。

 額に手を置いて、天井に向かってため息を漏らしたのはジェネストだ。


「病死だと思っているか思っていないかで言えば、思っていない」

「なら、何だと思うんだ?」

 真っ直ぐすぎるセラフォーネに、ジェネストは両眉と口角の下がった顔を向けた。

「母の呪いだと、私も思っている。これで満足か? こんな非現実的こと、絶対に言いたくなかったけどな」

 本当に言いたくなかったのだろう。荒く尖った声に反応して、ジェネストの右眉はピクピクと震えている。

「何があった?」

「全て、聞いたのだろう?」

 投げやりだ……。

「噂はよくないからな。ジェネストの口から直接聞くことにして、外野の声は入れていない」

「……相当な嫌味だ。しかも、そこを突かれたら話をするしかない……」

 背もたれに寄りかかっていたジェネストが、膝に手を置いて項垂れた。





 ジェネスト産む前から、母は孤独だった。

 誰一人味方のいない状況で、自分が生んだ息子だけが唯一の見方になり得ると希望を見出しても仕方がないほどに。

 だが、現実は上手くいかない。

 ジェネストの父は、母親から母親の役目も奪った。

「長男を生んだのだから、お前の役目は終わりだ。もう私にもジェネストにもヘルムート家にも関わるな」 そう言い放ち、母親をジェネストの側に徹底して寄りつけなかった。


 ジェネストは母親の存在を知らずに育った。

 物心つく前から、教育と称して死にかけるほどの虐待を父親から受けていた。そしてその教育には、母親という者は存在しない。父親という唯一無二の存在に屈服して生きていく。それだけだった。

 だからたまに見かける綺麗な服を着た人が誰なのかなんて、考えたこともなかった。


 でも、母は違った。

 この牢獄のような場所で、唯一自分の血を分けた存在。十か月も自分のお腹の中で育て、共に生きてきた我が子。ジェネストに執着する以外、生きる道がなかった。

 ジェネストが六歳になった頃だ。監視の目をかいくぐって、母親がジェネストのところに駆け込んできた。


「あぁぁ! 私のジェネスト。私が貴方の母親よ」


 そう言われたところで、ジェネストは母親という存在を知らない。

 今覚えなくてはいけないことは、他国の言語と政治的な問題点だ。これを怠れば、今日もまた父に殴られて北塔に閉じ込められる。一分一秒だって時間が惜しい。それを邪魔する者は、全て敵だ。

「母親って何だ? よく分からないが、私には時間がない。邪魔しないでくれ」


 初めて抱きしめた我が子に突き飛ばされた母親は、生きる希望を失った。

 ジェネストは人の目から生気が消えていく瞬間を見た。人が人でなくなり、壊れていく様を目の当たりにしたのだ。恐ろしいことに、自分の手によって……。


 光を失った濁る目でジェネスを見つめていた母親は、そのまま狂ったようにケタケタと笑い出した。ずっと、ずっと、ずっと、周りの使用人が止めても笑っている。

 誰かが押さえつけようとしたが、とんでもない力で振り払った。その間も、何も見ていない空虚な目は、ずっとジェネストに向けられていた。

 怖かった。たまに見かける寂しそうな女の人が壊れていくのが、怖かった。彼女を壊してしまったのが自分なのが怖かった。

 だが、ジェネストはヘルムート家の跡取りだ。こんなことを怖がっていたら、父親に殴られる。だから言ってやった。


「この頭のおかしい女を、北塔に入れておけ」


 父親ならこう言う。だから、それを真似た。だって、ジェネストは父親のように立派な領主になって、この国の王にならないといけないから。

 それに、北塔に入れられると思えば、この女もさすがに静かになると思ったのだ。なのに、女の笑い声は、より大きくけたたましくなった。

 ジェネストは恐ろしくて仕方がなかったけど、渾身の力をこめて睨みつけた。だが、意味はない。女の目だけではなく口も、虚な闇に取り込まれそうなほど真っ暗な穴が空いているみたいに見えた。

 その口が突然閉じられた。

 やっと正気に戻ったのだとホッとする間もなく、酷く耳障りな甲高い怒鳴り声が響いた。


「恨んでやる! お前も、お前の父親も、絶対に許さない! 呪ってやる! 呪い殺してやる!」

 慌てて駆け付けた私兵に連れていかれても、母親はずっと叫び続けていた。

「呪い殺してやる!」と……。


 それから女のことは屋敷で見なくなった。ジェネストはホッとしたが、女が自分を「母親」と言っていたのが気になって調べてみた。

 母親という存在に全く実感はなかったけど、あの女の人が自分を生んでくれた人だと分かった。自分のしたことが、相手の尊厳をどれだけ傷つけたのか分かった。

 あの「呪い殺してやる!」という甲高い叫び声と空虚な目が向けられるほどのことを、ジェネストはした。それがあまりにもショックで倒れたジェネストを、父親は「軟弱者!」と罵り殴り北塔に入れた。

 北塔に一人放り込まれ、ジェネストは孤独と寒さと絶望に震えた。

 生んでくれた母親を、ここに入れろと言ったのは自分だ。実際に入っていなくても、母親の心情はジェネストの比ではない。人を恨み殺せるほどに……。





「二十年以上会ってもいない二人が、同じ病気になるはずなんてない。しかも、病状が同じように進行して同時期に死ぬなんて、母の呪いなのだと確信した」


(……いや、全然呪いじゃないけど? でも、その結論に行きつくしかないほど苦しんだことは分かる)


「呪いなら、どうして俺は死ない? 真っ先に俺が死ぬべきだろう?」


 ジェネストは本気でそう思っている。毎日今日死ぬかもしれないと思っているのは、震える指先が物語っている。母親に母親として接することができなかったことを、日々後悔して苦しんできたのだ。

 自分が母を壊し、母がとんでもない憎しみの中で生きることを強いてしまった罪悪感。その重圧のせいで、母の呪いがジェネストの中では真実になってしまった。

 ずっとずっと、今もずっと苦しんでいるのだ……。


「私の話を聞いてくれ。ジェネストの両親が死んだのは、呪いじゃない。この特殊な薬による、毒殺だ」


 ワイラーの私物である薬を机に出して、セラフォーネは事の顛末を説明した。

 ジェネストの両親は毒殺されたこと。この薬を飲むと、毒物が検出されないこと。ナリル国に持ち出され、現在ではナリル国にしかない毒物であること。元侍女長が食事に盛っていたこと。元侍女長も誰かに指示されていたこと。

 ジェネストは黙って話を聞いていたが、その表情は無表情というよりは鉄仮面みたいだった。

 セラフォーネの話が終わると、瞬きから始まり表情が少しだけ動いた。大きな変化はなかったが、呆然とした顔で「もっと最悪じゃないか……」と言った。


「……誰が? 薬の出どころからして、ナリル国か……」

 セラフォーネがうなずくと、ジェネストは「何のために?」と唸った。

「父はナリル国の傀儡になり下がっていた。そんな父を殺しても、ナリル国に何のメリットもない。むしろ殺すとすれば、私を選ぶはずだ。ナリル国と父の関係を暴く寸前だった私を!」

 結局疑問は、そこに行きつく。ナリル国が先代夫妻を殺す理由が分からなないのだ。

「実行犯である、元侍女長に話を聞けば分かるのか?」

「それは無理だろうな。元侍女長は、自分が殺しに加担していたとも思っていないだろう」

「……それでも、話を聞かないわけにはいかない。許すこともできない……」


 絨毯を一点見つめたまま動かないジェネストに、セラフォーネは何を言えばいいのか分からない。

 呪いなんかじゃないから気に病むなと言いたかったけど、結果としてこれでよかったのだろうか?

 新たな疑問を増やしただけで、もっと話を詰めてから伝えた方が良かったのかもしれない。母親がジェネストを呪っていた事実は消えないのだから……。


 その日、元侍女長が、ひっそりと屋敷から姿を消した。

 北塔に入れられたとも、国外に追放されたとも、始末されたとも噂をされたが、誰も真実は知らされていない。


読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きますので、引き続き読んでいただければ嬉しいです。

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