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厨房にて

よろしくお願いします。

 珍しくセラフォーネは澱んだ空気を背負って部屋に戻ってきた。

 シェイラが声をかける前に、手掘りの豪奢な机に組んだ両手を置き、そこに額を預けてどんよりと黙り込んでいた。

 何かを悩んでいることは間違いない。その何かがジェネストであることは、直前まで一緒だったのだから疑いようがない。

 薬草以外の人間のことでセラフォーネが頭を抱えるなんて、いつ以来なんだろうか? 何があっても「仕方がない」「そうか……」と言って飲み込んできたのに。

 飲み込めない何かがあることはセラフォーネにとって良い変化だけど、それをもたらしたのがまだ信用できないジェネストだと思うとシェイラは複雑だ。


 悶々と悩み続けていたセラフォーネが、「なぁ、シェイラ」とようやく顔を上げた。

 シェイラとすれば「やっとか」というのが正直な気持ちだが、今なお悩み続けるセラフォーネの険しい顔と向き合った。


「私は、わがままだよな?」

「はぁ……」


 まさか、こんな返答しづらい質問が来るとは思わなかった。しかも上目遣い。

 一体ジェネストと何の話をしていたというのだ?

 シェイラの半ば呆れに近い葛藤(沈黙)を、セラフォーネは否定と受け取った。


「薬学の実験をやりすぎて怒られたり、鍛錬しすぎて色んな所の皮がむけて怒られたり、料理長に野営料理を一緒に作らせたりしたよな?」

 並べ立てたこれが、セラフォーネにとってのわがままらしい……。必死に縋る子供のような目を向けられて、シェイラは色んな意味でジェネストに腹が立った。

「薬草に関しては、随分と色々やったと思うわ」

「そうだろう! 私は、わがままだからな!」

 これだけ嬉しそうに自分をわがままだという時点で、色々無理がある……。

「……セラが言うわがままは、結局全部自分のためじゃないのよねぇ……」

「えっ? いや、自分のためだろう? 好きだからだ!」

「それはそうなんだけど……。でも結局、どれも誰かのためよね?」


 薬学は、領民の健康を守るため。

 鍛錬は、イオニスのため、ランカスト領のため。

 野営料理は、ランカスト軍のため。

 自分だけのためと言えるものは何もない。

 シェイラの言いたいことがセラフォーネにも分かったのだろうが、引っ込みがつかず必死だ。


「誰かのためにわがままなのは、質が悪いのか?」

「誰かのために頑張ることは、質は悪くない。ただ……」


 ジェネストが何を言ったのか、シェイラにも分かる。そう言いたくなる気持ちも。

 セラフォーネにそうすることを強いてきてしまった側としては、言いたくても言えなかったことだ。


「無意識のうちに誰かのために頑張ってしまって、自分を押し殺してしまう。ちょっと違うか。自分を押し殺していることにも気づいていないことは、質が悪いのかもしれないわ」

「……よく、分からない。私は自分を押し殺していないし、我慢もしていない」


 自分自身を奪われて毒薔薇を押し付けられてきたセラフォーネが言っても説得力がない。

 それを当たり前に受け入れてきたからこそ、言葉で言ってもきっと理解できない。だから質が悪いのだけど……。


「セラが自分をわがままだと思うなら、そのまま行動すればいいのよ」

「……何か、わがままと言うより駄々っ子を宥められた気分だ」

「それもわがままってことで、いいじゃない?」


 ふくれっ面のセラフォーネの頭を、シェイラがポンポンと撫でた。

 それをポッカーンとした顔で眺めていたセラフォーネが、シェイラの手を掴んだ。


「ごめん。ちょっと、このままで!」


 セラフォーネは自分の頭の上に、シェイラの手を置き続けた。

 必死に何かを確かめているのは分かるので、シェイラは何も言わずにされるままだ。しばらくそのままでいると、ホッと息を吐きだしてセラフォーネが手を離した。


「急に、すまなかった」

「何よ? どうしたの?」

「いや、怖くないから良かったと思った」

「はい……?」


 ジェネストに触れられると、アユハを思い出して怖い。セラフォーネはシェイラにそう説明した。

 その話を聞いたシェイラの頬がピクピクとひきつっていることに、セラフォーネは全く気付いていない。それだけではなく自分の心の変化にも、全く気づいいていないのだ。今まで自分を蔑ろにしてきたから、本当に自分に鈍感だ。


 アユハはセラフォーネが心を許した唯一の相手だ。シェイラが束になったって、もちろんイオニスだって父だって敵わない。

 出会ってまだ一か月ほどのジェネストが、アユハと同じになりつつある……。シェイラにとって、面白い話ではない。

 大体、七年前の事件の後、セラフォーネは事件についてもアユハについても全く口にしなくなった。それが今、ちょこちょこと会話に出てくるから嫌な予感はしていたが……間違いない。

 セラフォーネはジェネストを信頼し始めている。だから本当の自分を見せていいのか、無意識のうちに悩んでいる。

 シェイラだって分かっている。根無し草なセラフォーネが、とどまる理由を持つのは悪いことじゃない。

 ジェネストの言っていることは正しいし、セラフォーネにとってもいいことだ。でも悔しいからシェイラからは教えてやらない。こういうことは、ちゃんと自分で気づくものだ。



「先代がナリル国に寝返っていたなら、わざわざ殺す理由がないわね? 息子に代変わりなんてして欲しくないでしょう」

「そこなんだよ!」


 セラフォーネは何事もなかったかのように、気持ちを切り替えてしまった。

 シェイラとすればちょっと試しただけだったけど、これで分かった。やっぱりセラフォーネは、自分の気持ちに全く気付いていない。


「先代を殺せば、ジェネストが領を引き継ぐ。ナリル国との今までの関係性は消えてしまうのに、どうして殺す必要がある?」

「……私に分かるわけないわよ。元侍女長に聞いとく?」

「それもありだとは思うけど、私は別に元侍女長を追い詰めたいわけじゃない」

「追い詰めるって?」

「侍女長は多分、自分が毒を盛っていたとは思っていないはずだ」


 侍女長のヘルムート家への忠誠心に嘘はない。ジェネストに対する気持ちには母性も入ってしまって多少歪んでいるが、先代夫妻を殺してのうのうと働いていられるはずがない。


「何よ、それ? 回復するための薬だからとか言われていたってこと?」

「そんなところだろうな」

「だとしても! 二人は同時期に同じ症状で死んでいるのよ? 自分のしたことに疑問を持つはずよ!」

「持っているだろうな。気づきたくない不安と罪悪感があるから、ジェネストを守る気持ちが強い」

 元侍女長の気持ちが分かってしまうから、シェイラは顔を顰めた。

「元侍女長には、自分の罪から目を背けたままでいさせたいとセラは思っているのね?」

 眉を下げた瑠璃色の目をスッと逸らしたことで、図星なのが分かる。


 先代夫妻の死因が何だろうが、セラフォーネの目的には大きな影響はないはずだ。元侍女長だって、大事な領主夫妻を殺したなんて事実を知りたいはずがない。


「そりゃそうかもしれないけど、家族である公爵はどうなのかしら?」

「どうって?」

「病死というか、うやむやなままで幕引きすることを望んでいるかってことよ」

「……どうだろう? 前に聞いた時は、自分でも何度も調べたが病死だったと納得していたように見えたが……」


 話をした時のジェネストは、どんな顔をしていた?

 誰にも言えない苦しみを抱えていると思わなかったか? 自分にも似たものがあるから、目を逸らしたんじゃないのか?

 自分に問うまでもなく、セラフォーネは答えが分かっていた。


「先代夫人の呪いの話だけど、呪ったのは先代当主だけじゃなかったらしいわ。息子である現公爵も対象だったって。使用人はみんな言っている」

「ジェネストも、病死ではなく呪いだと思っているってことか……」

「呪いと思うより、病死である方が公爵には好都合だったんじゃない?」

「両親の死の状況は明らかに不自然なのに、積極的に調べられなかったのは呪いであると決定づけたくなかったから?」

「先代夫人の呪いが、それだけ強烈なんでしょうね」

「何があった? ……いや、これは、直接ジェネストの口から聞くべきだな」


 ジェネストは毒薔薇の噂を信じたことを後悔している。使用人の話は、噂は同じではないかもしれない。でも、セラフォーネはジェネストから聞きたいと思った。「病死だ」と言った時に見た目は、あのままにしてはいけなかったのだ……。


 だからといって、その日の晩に話ができたかと言えば、そうではない。

 思い立ったセラフォーネが執務室に乗りこんだけれど、ジェネストは外出した後だった。





 元侍女長が働いているのは厨房だ。

 侍女として先代夫人に仕えてきただけに、仕事に対しての誇りは計り知れない。まさか自分が厨房のメイドになるとは思ってもいなかった。だが、侍女という誇りある仕事を手放すことになったのは自分のせいだと、最近やっと思えるようになってきた。

「……いたっ」

 ジャガイモを洗う手を止めると、あかぎれの傷口が開いていた。

 水仕事とは縁遠い生活を送ってきただけに、肌はなかなか慣れてくれない。

 自分に子供がいれば娘と言える年の同僚が、いつも見かねてクリームを分けてくれる。そのクリームを作って配っているのがセラフォーネだと知った時はまだ、毒薔薇が何か企んでいると思っていた。それでもまぁ、クリームは使わせてもらったが……。

 セラフォーネと毒薔薇が結びつかなくなったのは、いつ頃だろうか? セラフォーネが何やら庭で地面を掘り始めたあたりだろうか?

 自分で農機具を振るうなんて、公爵夫人としてあり得ない! そう思っていたはずなのに……。あっという間に周りの人間を巻き込んで庭に緑を生み出したセラフォーネは、ヘルムート領にとって待ちに待った人材だ。それはもう、公爵夫人以上に。そう思わざるを得なくなった。

 だからなのか、時間が空くとついセラフォーネの姿を探してしまう。

 あれだけのことをした自分が声をかけられるはずがないのは分かっている。声がかかるはずがないのも、当然理解している。

 それでも、この胸の苦しさを吐き出せるのはセラフォーネしかいないと思ってしまうのは、本当に自分のエゴでしかない。


 ぱたたと床に血が滴り、近くの雑巾で床を拭いた元侍女長は、クリームを分けてくれる同僚を探した。

 残念ながら同僚はおろか自分一人しかいなかった。今日は痛みにこらえて皮むきをするしかなさそうだ。

 そう思っていると、影に覆われた。背後に誰かが立ったのは分かった。

 なるべく一人にならないようにしていたのに……。そう思ったところで遅い。厨房とはいえ、ここは半地下の人気のない場所だ。いつもだったら必ず誰かがいると思い込んでいた自分が悪い。

 すぅっと息を吸い込んだ元侍女長の鼻に、嗅ぎ慣れたクリームの臭いがした。

 気づけば耳の横から蓋の開いたクリームが出されている。

 誰かなんて、考えるまでもなかった。


読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きますので、よろしくお願いします。

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