ジェネストの両親
よろしくお願いします。
セラフォーネがヘルムート家に来て、一か月が過ぎていた。
ヘルムート家に来る前に、一か月後なんて想像しようとも思わなかった。だからこの今が、想定内なのかは誰にも分からない。
抜けるような青空を見上げて、セラフォーネは固い地面に突き立ていた鍬を置いた。
一か月前より大分暖かくなった。暑いというわけではないが、こうやって畑仕事をしていると汗が止まらなくなる。
クビにかけたタオルで汗を拭いて一息つくと、タイミングよくシェイラの声が聞こえてきた。
「休憩しますよ~」
茶色と灰色だけだったヘルムート家の庭は、この一か月で様変わりした。
岩をどけセラフォーネ特製の土を入れた庭は、今では立派な薬草畑だ。緑の葉っぱだけではなく、白や黄色や紫の花が咲いているところもある。
あの殺風景で荒れた場所が、穏やかに緑が揺れている。
変わったのは庭だけではない。
シェイラの号令を聞きつけた者たちが、お茶が準備されたテーブルに続々と集まってきた。汚れた作業着に土をつけているというのに、全員が満足気に笑っているのはやっぱり緑効果なのだろう。
「今日のおやつは何だ?」
「ハーブとチーズのクッキーと、レモンケーキですよ」
話を聞き終わる前にクッキーを大きな口に放り込んだ庭師は「これは酒にも合うんだよな。ちょっと持って帰ろう」と言って、シェイラに「手を洗え」と怒られている。
毎度のことだが、お爺ちゃんと孫的ななかなか微笑ましい光景だ。
セラフォーネがのほほんと見ていると、背後からおずおずと声をかけられた。振り返ると、苗の間引きを担当していた若いメイドがもじもじしながら立っていた。
「セラフォーネ様にいただいた薬のおかげで、父の咳が止まりました。ありがとうございました」
「薬が効いたのなら良かった。お大事にな」
セラフォーネがそう言うと、メイドはボッと音でも出そうに頬を赤らめ一礼すると小走りで去った。
「まぁまぁ、毒薔薇から罪な男に転身?」
横から湧いてきたシェイラは、ニヤニヤと笑っている。その隣で庭師も同じ顔をしていた。
「確かに毒薔薇より罪な男の方が、セラフォーネ様には似合っているな」
「最近の流行りだ。すぐに飽きる」
「どうだか?」と言って、二人はグフグフと笑っている。
「二人共、セラフォーネ様が困っています。いい加減にしなさい」
ぴしゃりとそう言ったのは、老馬丁のリードだ。
馬について語り合うのは無理だと思っていたリードは、ヘルムート家で一番のセラフォーネの理解者になっている。
きっかけは、オータムにあげた薬草だった。
オータムに薬草が効いたことを感謝したいのに、前日までの自分の非礼の数々を思うとリードは言い出せない。その口ごもった様子を、セラフォーネは「もっと薬草が欲しいのに言い出せない」と勘違いした。
そこから始まり、いつの間にか庭師や屋敷の使用人も巻き込んで薬草畑ができた。
「あっ! ……」
メイドたちの集まりが気まずそうに見ている先に、元侍女長がいた。
あれだけ自信満々だったのが嘘のように急に老け込んだ元侍女長は、セラフォーネを見ることなく逃げていった。
「何か、用があったんじゃないか?」
セラフォーネに言いにくそうに教えてくれたのは、元侍女長と同じ厨房担当のメイドだった。
「今まで手が荒れるような仕事をしたことがなかったので、あかぎれが凄いんです。私がセラフォーネ様にいただいたクリームを分けていたので、それでかも……」
他のメイドたちは元侍女長をこき下ろしていたが、セラフォーネはそんな気にはなれない。
話をしてくれたメイドに新しいクリームを渡し、「元侍女長にあげて。私からだとは言ってはいけないよ」と口止めした。
それを見ていたシェイラは、ため息をついた。「お人好し」と聞こえてきそうだ……。
いつもはシェイラと同調する庭師は、同僚相手にさすがにやるせない顔をしている。
「元侍女長も元家令も、悪い奴じゃないんだよ」
「旦那様が放っておいたのも問題だが、あいつらはやりすぎた」
リードは断言した。
「もちろん旦那様の責任は重いが、あの二人は先代夫妻に気に入られていたからな。調子に乗っちまったところはあるな」
「どういうことだ?」
セラフォーネが庭師を見ると、困ったように白髪交じりの頭をぼりぼりとかいた。
元家令は子爵家の三男で、先代が留学する時も一緒についていき生活を支えていた。長い付き合いということもあり、先代の横暴さにも慣れていて、それなりに上手く仕えて関係は良好だった。
二十年前に夫人が本邸を出てから、先代夫人の執務は元家令が代行していた。それ以外の細々としたことは元侍女長が行っていて、先代の身の回りの世話も元侍女長の仕事だった。毎日本邸と別邸を行き来して、先代夫人をフォローするのも元侍女長の仕事だった。
夫人は別邸から出ることはなく、元侍女長が唯一の話し相手というくらいだ。こちらとも関係が良好だった。
女主人の権力を持ち、好きに振る舞えるのだ。二人が増長するのは簡単なことだ。
別居がヘルムート家のスタイルなのかと言えば違う。こんなことは、先代夫妻が初めてのことだった。
無駄に結束力の堅いヘルムート家に嫁げば、常によそ者扱いだ。
当主の話しか聞かない使用人の中で暮らすには、夫の協力と気遣いが必要になる。だが、先代にはそんな気持ちは一切なかった。
それじゃなくてもヘルムート家は特殊な家だ。夫人の心労は並大抵ではなかった。
ヘルムート家は国内で社交をしない。嫁いできた妻にとってそれは、社交界から切り離されたも同然だ。
友人や家族と会えず、今まで自分が築いてきた友好関係を全て捨てるのが当たり前。それが結婚の条件だというのに、夫からは冷遇され、使用人からは部外者と遠巻きにされたらどこにも居場所がない。ヘルムート家の妻は、黙って耐えるしかないのだ。
「傲慢な先代は、奥様を子を生むための道具としか見ていなかった」
そう言ってため息を吐き出した庭師は、皺の寄った頬を上げて顔を歪めた。
「どこにも行き場のない坊ちゃんは、よくリードのところに逃げてきていたな?」
「私のところと言うより、馬のところだ。あの頃の坊ちゃんは、人を恐れていた。何も喋らない馬は、都合が良かったんだろう」
「クソみたいに怒鳴り散らして、精神的にも肉体的にも暴力を振るう父親。自分に全く無関心の母親。おまけに甘いこと言って次期当主の心に入り込もうとする下衆な使用人もいたな。そりゃ人を嫌になる……」
当時を思い出す二人の顔に暗い影が差す。
「先代夫人は、どうして別邸に移ったんだ……? 先代の暴力とか?」
悩む間もなく二人は首を横に振った。
「暴力とは、またちょっと違うんだよなぁ」
庭師の呟きを、リードが補足する。
「長男を成してくれた奥様に、敬意を払う気さえない。先代はそういう方でした。子を生んだ奥様を、いない者として扱ったんです」
「セラフォーネ様も知ってる通り、ここの連中は当主が全てだ。先代と同じように、屋敷中が奥様に冷たく当たった。坊ちゃんはそれ見て育ったんだ。仕方がなかったんだよ……」
陽気で楽観的な庭師が、陽に焼けてごつごつした手で顔を覆ってしまった。一体何があったというのだ?
「先代や使用人のせいで、坊ちゃんは母親の存在を認識していなかったんです。だから……たまに見る綺麗な格好をした女の人に、父親や使用人と同じ態度をとってしまった。まさか、それが自分の母親だなんて思いもせずに……」
夫からは見放され、使用人からは見下された。お腹を痛めて生んだ息子からは、母親と認識もされていない。先代夫人は、何に救いを求めればよかったのだろうか?
「……本邸の雰囲気に耐えきれなくなって、先代夫人は家を出たのか?」
二人はお互いをチラチラ見ながら、結局はうなずいた。
「奥様が出て行くと、坊ちゃんからいよいよ本格的に感情が失われました」
「次第に領内も荒れ始め、同じように屋敷の中も荒れていきました。出入りの業者も見たことのない顔に変わって、不正を働く使用人まで出てきたんです」
「なのに先代は、惚けたみたいに何もしなかった。だけど王座への執着は増していて、馬鹿みたいだったよな?」
「『もう少しで王座を奪還できる』って口癖になっていて、ヘルムート家の使用人ですら呆れてました」
「バカ言ってないで、領地を何とかしろって。みんなが思っていたよ」
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、引き続き読んでいただければ嬉しいです。




