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よろしくお願いします。

「馬を一頭貸して欲しいです」


 行く手を阻むべく立っている老馬丁に言ったところで、セラフォーネには目もくれない。何も喋らず、厩舎の奥にいる落ち着かない栗毛の馬にチラリと目をやった。

 あれに乗れということなんだろう……。


 思うように走らせてもらっていないのは一目で分かる。馬の鼻息は荒く、簡単に乗せてくれそうもない。セラフォーネに扱えるわけがないと、老馬丁から見くびられているのだ。


 家令と侍女長は屋敷に残れたものの、降格させられたのは昨日の話だ。

 それはセラフォーネの嘆願があったからで、ジェネストは法に則って罰を与えるつもりだった。このことは屋敷中が知っている。

 それもあって使用人の態度は、昨日から一転した。腫れ物を扱うように、セラフォーネを遠巻きにした。だが、この老馬丁は違う。毒薔薇から屋敷と当主を守ろうとしていた。

 ならばセラフォーネは、返り討ちにするだけだ。臆することなく馬の前に立つと、さっさと乗りこなしてしまった。



「あの馬丁、目を真ん丸にしていたわよ」

 楽しそうに話すシェイラに応えたのは、宿屋の店主だ。

「それだったら、リードさんだろうな」

「知り合いか?」

「知り合いと言いますか、先々代から働いている方ですから面識はあります。それこそセラフォーネ様が知りたいことを知っているでしょうね」


 先々代からヘルムート家で働いていれば、先代夫妻のことを知っていて当然だ。是非話を聞きたいが、今日の様子ではセラフォーネと話をする気はなさそうだ。


「私のことを見もしないのだから、質問には答えてくれないだろうな」

 店主は苦笑いだ。

「悪い人じゃないんですよ。元貴族らしくて上品ですしね。ただ……昔気質の気難しい人なんです。人よりも馬と話していることの方が多いんじゃないかな?」

「あら? 馬好きなら、気が合うんじゃない?」


 シェイラの言う通り、確かにセラフォーネは馬が好きだ。だが、どうだろう? ヘルムート家にいる限りは、無理な気がする……。


 先代夫妻の死に疑問を持ったセラフォーネは、まず屋敷内で情報を得ようとした。

 結論から言えば、無理だった。

 当たり障りのないことくらい聞き出せるかと思ったのに、声をかけても怯えられて話にならない。

 だから息抜きがてら街に話を聞きに来たが、ヘルムート家が情報統制でもしているのか何も出てこない。

 といっても、何も喋らないわけではない。まぁ、先代の悪口は止めないと収まらないほど出てくる。だが不思議と夫人の話は出てこない。ずっと別邸に引きこもっていて、元侍女長以外とは口もきかなかったというのだからそんなものなのかもしれない。


「夫婦仲が悪くて、二十年前から別々に暮らしていたと知れただけで、大きな収穫だ」

「それって、貴族では当たり前のことじゃない?」

 シェイラがそう言うと、宿屋の店主もうなずいた。


 カイリッジ国では確かにそうだ。だが、重要なのは下世話な話ではない。この二十年間、二人に全く接点がなかったことが重要だ。


(これで二人が同じ病気になる可能性は、極めて低いことが分かった。だって毎日会っていた元侍女長は、健康そのものだぞ。夫妻の死は、どう考えたって不自然だ。公爵はどうして病死としたのか疑問だ)


 セラフォーネは顎に手を置いて、じっくりと考え込んでいた。

 この沈黙を勘違いしたのは店主だ。


「えっ、えぇっ! セラフォーネ様も別居をお考えで?」

「別居もそうだが、別邸がポイントだ……」

「!……」


 セラフォーネは店主の話など聞いていない。自分に話が振られた空気を感じたから、考えていたことが口から出てきただけだ。だが、色々勘違いしている店主は真に受けた。


「別邸で、暮らすおつもりですか……?」


 悲壮感しか漂わないかぼそい声に、さすがのセラフォーネも意識を店主に戻した。

 眉間に皺を寄せた眉が下がりきり、悲壮感に相応しい表情だ。これを見れば、行き違いがあったことはセラフォーネにだって分かる。でも……別邸が関わっている以外は、何も分からない。


「……えっと、別邸の話だったな?」

「セラフォーネ様が別居するのかっていう話です」

「あぁ、何だ。そっちか。別居はしない」


(本邸から出たら、調査ができないからな)


「本邸とは、街を挟んで逆側にあるんだろう? だったら一度、別邸を見に行ってみたいな」

「いや! いやいや! 本邸に比べたら小さな家ですよ! 掘っ立て小屋です! セラフォーネ様が興味を持つような家ではないです!」

「……」


 公爵夫人が掘っ立て小屋に住むはずがない……。





「この馬の名前は何なのですか?」

 ブラッシングをかけながらセラフォーネが聞いても、やっぱりリードは答えない。

「なら私が名付けましょう。茶色いから……」と言いながら、顎に置いた手で馬を指さす。

「栗だ!」

「オータム! です」

 さすがに馬が可哀相と思ったのだろう。リードが名前を教えてくれた。

「オータム。貴方にピッタリの良い名ですね」

 セラフォーネがそう言うと、オータムは嬉しそうに鼻を鳴らした。


 オータムのお腹をさすりながら、セラフォーネはリードを見た。

「オータムは胃が荒れています。これは人にも効く薬草ですから、あげてもいいですよね?」

 リードに薬草を見せたセラフォーネは、葉っぱをちぎると自分の口に放り込んだ。

「なにをしているんですか!」

「私が持ってきたものですからね、こうでもしないと信用しないでしょう?」


 確かにそうだ。薬草を渡されたところで、リードはオータムに与えなかった。でもその理由は、毒薔薇が持ってきたからではない。誰であっても同じだ。

 自分の大事な馬たちに、自分が信用していないものを与える気はない。


「……オータムの胃が荒れていると思ったのは、どうしてですか?」

 オータムはここ最近確かに、食べる量が減っていたし落ち着きがなかった。だが、昨日今日会ったばかりのセラフォーネに、どうして分かる?

「そんなの、ボロを見れば分かりますよ」

 呆れたようにセラフォーネは言うが、普通の公爵夫人は馬の糞なんて見ないし片付けなんてしない。


じっと薬草を見ていたリードは、「どうぞ、オータムにあげてみて下さい」と許可を与えた。

 それは、セラフォーネを信用したからではない。

 気難しいオータムだ。まさか出会って間もないセラフォーネの手から、ものを食べるはずがない。そう確信していたからだ。


 ジェネストに頭を下げさせたセラフォーネに、リードは怒りを覚えていた。鼻っ柱を折ってやろう。リードはそれしか考えていなかった。


 まだ幼かったジェネストは、厩舎を逃げ場にしていた時があった。苦しむジェネストを陰で支え、見守ってきたのがリードだ。

 主人を守る気持ちに打算はなく、使用人の誰よりも強い。だから余計に、セラフォーネが許せない。


 そんなリードの期待を裏切って、オータムはセラフォーネの手に乗せられた薬草をパクリと食べてしまった。

 この信じられない光景を前に、リードの胸にずっと引っかかっていた疑問が重みを増してドスンと落ちてきた。


 この人は、本当に毒薔薇なのか?


 その後もセラフォーネから色々話しかけられたが、大混乱中のリードは内容を全く覚えていない。



「どうしたの? 首なんて傾げて」

 厩舎から部屋に戻るなり、シェイラに聞かれた。

「いや、リードが全く私の話を聞いてなくてな」

「朝の様子を見て、どうして聞いてもらえると思うの?」

 何を言っているのか? とシェイラは顔をしかめた。

「いや、まぁ、そうなんだけど……。さっきはいつもと違って心ここにあらずって感じだった。何か心配事でもあるのかもしれない」

「自分を無視する奴を心配? セラらしいけど、さすがに呆れるわ」

「確かに相手にはされていないが、リードの馬の管理は完璧なんだ。ぜひ語り合いたい!」


 セラフォーネは目を輝かせてリードの凄い点を挙げているが、そんなことにシェイラは全く興味がない。どうせだったら、気になることを聞きたい。


「もうその話は良いから、いい加減、先代夫婦の死に興味を持った理由を教えてくれない?」

「あぁ、それな」と言うと、セラフォーネは部屋の奥に行ってしまった。

 少ない荷物をあさり出したと思うと、手に何かを持って戻ってきた。

「なにそれ? ワイラーの私物じゃない」

 セラフォーネはうなずくと「そうだ。ワイラーが持っていた薬だ」と言って、テーブルに一つの薬包紙を置いた。

「……どう見ても普通の薬包紙だけど。これが、何なの?」


 生成りの薬包紙を開くと、薄い灰色の粉薬が出てきた。一見一色だが、よく見れば黄色っぽい粒もある。


「これは特殊な毒だ」

 こともなげに言われて、シェイラは反射的に両手で口を押えた。





 昨日の夕食は色々あって疲れていたこともあり、部屋でシェイラと一緒に食べた。今日の朝食は食堂に行ったが、誰もおらず一人で食べた。昼食は街に行くからと断った。

 別に決めていたわけではないが、食事はずっとこんな感じなんだろうなと、セラフォーネは漠然とそう思っていた。

 だからまさか、本当にまさか、ジェネストから夕食に呼び出されるとは思ってもいなかった。


「公爵夫人って、食事を食べる時、ドレスを着るんだっけ?」

「……実は、公爵夫人だけじゃなくて、貴族ってみんなそうなのよ」

「そんなに、怒らないで欲しい……。シェイラにドレスを作れって言われたのに、断ったのは自分なことは覚えている」


 ヘルムート家での生活でドレスが必要になるなんて、セラフォーネは思ってもいなかった。しかもまさか、ジェネストと食事をするなんて……。


「朝食だってこの格好だったんだから、もうこれでいいか」


 開き直ったセラフォーネが着ているのは、白いシャツに黒いパンツだ。

 屋敷の中ではせめてワンピースでとは思っていたが、昼間に街に行っていたこともあり着替えるのが面倒だったのだ。

 いつもならシェイラから注意をされそうだが、何も言われていない。

 ヘルムート家のためにセラフォーネが取り繕う必要はない。シェイラはそう悟ったので、もう何も言わないと決めていた。


(なんかもう、公爵には諸々バレている気がするしな。今更公爵夫人ぶっても仕方がない気がする)


 セラフォーネの予想通りで、食堂には使用人は配置されていなかった。

 周りに聞かせたくない話をするつもりなのだ。となれば、内容は限られてくる。

 セラフォーネの手のひらが、しっとりと汗で濡れる。


 この張りつめた空気の中、無言の食事は全く美味しくない。

 さっさと食べ終えてしまおうと食事に集中していたセラフォーネだが、昼間の出来事を思い出した。料理から顔を上げて、正面にいるジェネスを見た。


「えっ!」

 思わず声が出てしまったのは、ジェネストと目が合ったからだ。


 ずっと見られていたのか? ジェネストも慌てている。


(まさか……、テーブルマナーのチェックをされていた? まぁ、今更何点をつけられても構わないか)


「娼館に預けている三人に、護衛をつけてくれたんですね。ありがとうございました」

「ワイラーが現れたら捕まえるためだ」


 三人が仕返しにあう不安はセラフォーネにもあった。その場合にやって来るのは、ワイラーの指示を受けた別の誰かに決まっている。ワイラーは危険は犯さない。

 それはジェネストも分かっているはずだなのに、三人と娼館を守るために護衛をつけてくれた。

 感謝しかないなく、セラフォーネで返せる恩なら返したい。


「何か確認したいことがあって、この時間を作ったのですよね? 答えるつもりで来ていますから、始めてください」

 尋問を。とは言わなかったが、伝わったのだろう。ジェネストは絶句している。


 再び始まった沈黙の間に、セラフォーネは夕食を完食してしまった。

 使用人が来て、テーブルに置かれているのは紅茶とお菓子に変わった。その紅茶も飲み干してしまったセラフォーネは、もう帰ってもいいものかと悩み始めている。


 ガチャンとカップをソーサに落としたような音がした。

 顔を上げると、やっぱりジェネストと目が合った。


「貴方は、誰なんだ?」


(毒薔薇だ。と言っても、もう無駄だな……)


「正真正銘のセラフォーネ・ランカストです。今はセラフォーネ・ヘルムートですけど」

「それは分かっている。まさか偽物だとは思っていない。いや、違う。正真正銘のセラフォーネ・ランカストか……。毒薔薇が、偽物だったんだな」

「どうでしょう? 毒薔薇が偽物というより、セラフォーネ・ランカストが偽物だったというのが正しいと思います。自分でも混乱しますけど……」

「そうだな。分かるようで、分からない」


 何から話せばいいのか?

 どこまで話せばいいのか?

 セラフォーネだって、分からない。

 まさかこの話を、アユハ以外の誰かにするなんて思ってもいなかった。


「この前の夜会で、私はこの目で毒薔薇を見た」

 ギュッと組んだ両手の肘を、ジェネストはテーブルの上に立てた。

「それが、本物です」

 セラフォーネがそう言うと、ジェネストの全身から力が抜けた。


 自分があれだけ腹を立てていた相手は、目の前にいる人物ではなかったのだ。それなのに見当違いな怒りを、ぶつけ続けていた。

 申し訳ないという気持ちと、どうしてこんなややこしいことをという気持ちを押さえるのは、なかなか難しい。


「毒薔薇は、貴方の兄。イオニスか……」

 意外にも、セラフォーネは躊躇うことなくうなずけた。

「何でそんなことをしたのか全く意味が分からないが、諜報活動の一つか?」


 一般的な認識なら、そう受け取るのが妥当だ。だが、イオニスは違う……。

 主目的は現実逃避とちょっとした趣味だけど、そこで得た情報を使っていたことも事実。諜報活動と言えないこともない。

 いまいち納得のいかない顔をしたジェネストと目を合わせたまま、セラフォーネはどうすべきか考える。


(真実を話す必要はない。これで話を終わりにすることもできる……)



読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きますので、引き続き読んでいただけると嬉しいです。

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