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夫婦の初対面

よろしくお願いします。

 黒に近い藍色の短髪に、肉体労働をしない貴族らしからぬ屈強な身体。視線が合わなくても相手を委縮させてしまう猛禽類みたいなアイスブルーの目。この泥沼の状況下でも、安定の冷え切った無表情。

 間違えようがない。彼がジェネスト・ヘルムートだ。


 急な主の登場に「助けが来た!」と喜ぶのかと思えば、家令たちは意外にも目を合わせようとしない。むしろ、目の前に雷でも落ちたかのような顔をしている。


「……だんな、さま……」

 かすれた声を出す家令を、ジェネストは魔王を連想させる目で見下ろした。ちょっとぞっとするような冷たさで、セラフォーネでさえ背筋が冷えた。

 家令にその目を正視できるはずもなく、視線を不自然に泳がせる。だが、それで済まされるはずがない。

床を打つ靴の音が嫌に耳に響くと、ジェネストは家令の真上に近い位置に立っていた。


「賊を使って襲わせた? 連れ去る? 誘拐を企てたのか?」

 家令がうつむいた先にある白い床に、ぼたぼたと黒いシミができる。汗なのか涙なのかは分からない。

「……答えろ。本当か?」

 表情も口調も変わらないのに、有無を言わさぬ重みがある。

 ブルブルと震える家令の後で、侍女長が立ち上がった。


「嘘です! 全部この毒薔薇の作り話です!」

 恨みのこもった人差し指が、セラフォーネに突き立てられた。

「襲われた女が、こんなに平然としていますか? 怪我だって見当たらない!」

 私の方が強いので撃退しました。と言えないだけに、言い返す言葉が見つからない。


 ジェネストの感情のない顔が、セラフォーネに向けられた。

 いくら見たって、セラフォーネに怪我などあるはずがない。怪我をしているのは、三人の賊なのだから。


「本当に事件が起きているのなら、警邏から屋敷に連絡があるはずです!」

 ジェネストの右眉がピクリと動いたのは、警邏からジェネストにも何も連絡がなかったということだ。それを見て形勢逆転を確信した侍女長の勢いが増す。

「その賊とやらだって、捕まってないとおかしいじゃないですか! 相手もいないのに襲われたなんて、言いがかりも甚だしい!」


 残念ながら、侍女長の言う通りだ。事件も犯人も隠蔽したのだから、証拠なんて何一つあるはずがない。言ったもの勝ちだ。

 気づけばセラフォーネは、とんだ大噓つきになっている。正しく毒薔薇、噂通りの毒婦だ。


「毒薔薇らしいやり口ですよ。旦那様の同情を買おうなんて、浅ましい!」


 ジェナストが生まれてからずっと、侍女長は見守り続けてきた。それだけに信頼関係が築けていると自負がある。ジェネストという後ろ盾があれば、毒薔薇なんて恐れるに足らない。

 侍女長がこれだけ自信を持っているのを見れば、他の者たちも余裕が出てくる。セラフォーネを見る目は、最初に逆戻りだ。


「賊に襲わせたと先に言っていたのは、侍女長だったと思うが?」

「……毒薔薇が、旦那様やヘルムート家を酷く侮辱したのです! それがどうしても許せなくて、願望を口走りました。ヘルムート家の人間として軽率な発言でした。申し訳ありません」


 謝罪はできるんだとセラフォーネが呆れていると、ジェネストと目が合った。温度のない目は、何を考えているのか分からない。


「貴方の意見は?」

「…………」


(さすが堅物と言われるだけあるな。信じる気がなくても双方の意見を聞くのか)


 まさか意見を聞かれるとは思わず、驚きすぎたセラフォーネは瞬きもできなかった。

 迷うまでもない。キラソンたちを守るため、セラフォーネは真実を話す気はない。


「特にありません」


 嘘つきだろうが毒薔薇だろうが何でも構わないが、屋敷から追い出されると調査がしにくくなる。セラフォーネとしては、それは避けたい。


(出て行けと言われたら、「王命だ」と言い張って居座るしかないな)


 ジェネストは冷たさしか感じられない目をギュッと閉じ、額に手を置いてため息をつく。

 出て行けと言われると身構えたセラフォーネも気合を込める。

 侍女長を始めとした使用人たちは、期待のこもった顔でジェネストの言葉を待っている。


「ここに来る前、私は宿屋に寄って話を聞いた」

「えっ?」


 セラフォーネの声が、言葉を失ったエントランスに響く。きっと使用人の気持ちも代弁しているはずだ。


「昨晩の事件が表沙汰になれば、賊の三人は極刑だ。貴方はそれを阻止するために、事件をなかったことにした。違うか?」


 冷たい無表情。冷たい平坦な声。ジェネストは当然のように答えを待っている。だが、セラフォーネに答える気はない。堂々と無視して見返してやった。

 肌がピリピリするほど、エントランスの空気が再び張りつめた。気にしていないのは、睨み合う二人だけだ。残りはみんなハラハラしながらセラフォーネの出方を待っている。

 長い沈黙が続き、先に折れたのはジェネストだった。


「落ち度があったのはこちらだ。何があったにしろ、貴方の意見を優先する。あの三人も、貴方が望むなら罪には問わない」

 本気か? とセラフォーネが目で訴えると、ジェネストはうなずいた。


(信じていいのか……? 相手は筋が通ったことをしてきた堅物だ。身勝手に意見を翻したりはしないはずだ)


「私の意見を優先していただけるのであれば、誰も罪に問わないで欲しいです。誰にも被害はなかったのですから、何もなかったのと同じです」

「そうはいかない」

 ジェネストに一瞥された使用人たちは、息もできずに立ち尽くしている。こんなことになるとは、予想もしていなかった。まさか、自分たちが罰せられる側になるなんて……。


(賊は私に免じて見逃すが、使用人は許さないってことか。主人を思ってやったにしても、そこをワイラーにつけ込まれていたのは痛いな。だが、それも含めて見落としたのは自分だぞ。分かっているか?)


「なら、侍女長の言う通りです。昨晩は襲撃などなかった。それだけです」


 セラフォーネは涼しい顔で、そう言い放った。

 夫婦の初対面。夫婦の初対話。それが、これだ。この寒々とした空気の中、睨み合う二人だ。しかも優位に立っているのは、セラフォーネだ。

 こんな事態を、誰が想像しただろうか?


 セラフォーネよりもジェネストの方が混乱しているのも、セラフォーネの何もかもが想定外だからだ。毒薔薇だと思っていたのに、これでは本物なのかも何者なのかも分からない……。


 王命を受け入れたのだから、毒薔薇を屋敷には住まわせる。だが、自分は一切関わらない。そう決めていたジェネストは、王命で娶る妻と顔を合わせる気は全くなかった。

 今、屋敷に駆け付けたのだって不本意だった。

 部下が困り顔で「昨晩、毒薔薇は夜盗に襲われましたが、自ら撃退して未然に回避しました」なんて言ってくるから……。セラフォーネを見張らせていたわけではないから、話が断片的でつながらない。仕方なくジェネスト自らが裏どりすれば、本当に襲われていた……。

 しかも宿屋から聞き出した話に出てくるのは、噂に聞いた毒薔薇ではなかった。しつこいくらいに何度確認しても、真面目で真っすぐな正義感の塊だった……。

 誰に非があるかなんて、恥ずかしすぎて考えるまでもない。


「領民の失礼な態度や昨晩のこと、この愚か者たちを野放しにしたこと。全て私の責任だ。私自身が噂に振り回され、貴方を軽んじていた。貴族の噂など信じるに値しないと知っていたのに、申し訳なかった」


 セラフォーネが見上げるほど大きな身体を二つに折って、ジェネストが頭を下げて謝罪した。

 想定外の行動にセラフォーネが言葉を失ったくらいだ。使用人たちの驚愕は計り知れない。

 受け止められない侍女長は、狂ったような金切り声をあげた。


「そのような卑しき者に、旦那様が謝罪をする必要はありません!」


 目に殺意を灯したシェイラが猛然と飛びかかるよりも、ジェネストが口を開く方が早かった。


「黙れ」


 侍女長から、息が漏れる音がした。


「どうやら私は、家のことをおろそかにしすぎたようだな」

「……私は、ヘルムート家のために――」

「ヘルムート家のために何をしてくれたのか、ワイラーと一緒に執務室でもっと詳しく聞かせてくれ」


 堅物だ。表情がない。世間からいくらそう言われても、生まれた時からジェネストを知っている侍女長にとっては、いつまでも可愛くて可哀相な坊ちゃんだった。

 そのジェネストに軽蔑のこもった視線で刺され、全身が震えてもう何も考えられない。


 ついさっきまで、ジェネストにとって毒薔薇は関わるに値しない人間だった。

 だから使用人が何をしようと気にも留めなかった。あの毒薔薇なら、それくらいの仕打ちを受けても当然だとさえ思っていた。


 あの夜会で毒薔薇から喧嘩を売られたのは、国王だけではない。国王以上の屈辱を受けたのがジェネストだ。



 自分の目的のために王命を受け入れたジェネストだが、妻として毒薔薇に接するつもりなど毛頭ない。それでも客として迎え入れようとは思っていた。うるさい使用人にだって、最低限の礼儀は徹底させようと思っていたのだ。

 それが消え失せたのが、夜会だ。 


 たった一人で夜会に参加した毒薔薇は、王命に対する不満を堂々と国王にぶつけた。全貴族が集まる夜会の場で、「どうしてジェネストなんかと結婚しないといけないんだ! ふざけんな!」と、本人の目の前で叫んだも同じだ。

 王命でどっちが不良債権を背負わされたかといえば、間違いなくジェネストだ。そんなことも分からずに、自分だけが被害者だと叫ぶ女は本当に愚かで醜かった。受け入れることなど到底無理だ。相手がそんな態度なら、最低限の誠意だって見せる必要はない。そう思っていた。

 だが、どうだろう? 


 目の前にいる、この女は誰だ?


 確かに夜会で見た顔だ。同じ顔なのに夜会で見た艶やかさはなく、枯れ草みたいな茶色のワンピースは貴族とは思えない地味さだ。

 服だけなら、ジェネストにたかるためにわざとそんな恰好をしている。そう思っただろう。ところがセラフォーネの瑠璃色の瞳からも、男を操る蠱惑的な色が消えている。というか見当たらない。

 変化は見た目だけではない。

 どうしたことか……あの害悪を撒き散らす真っ黒な空気がない。清廉で凛と張り詰めた空気は、新緑に包まれたようで居心地がいいとさえ思える。

 だから……おかしいのだ……。

 夜会で見た妖艶で苛烈な女と同じ顔なのに、まとう雰囲気が一致しない。

 何もかもがおかしい。不安とも違う何かが、ジェネストの胸に広がっていく。



 視界に入れないつもりだったのに、今はセラフォーネから目が離せない。要注意人物であることに変わりはないが、意味は変化している……のか?

 まるで別人だ。が、これも毒薔薇の手なのかもしれない。何を企んでいる? その手には乗らない! いや、待てよ……ワイラーが消えたことと関係しているのか? まさか……手を組んでいる? ランカストの娘が? さすがにそれはないだろう……か? 一体、何者なんだ? ヘルムート領に何をしに来た? 本気で嫁に来たのか?


 ……もしかして、考えたくないが、噂を鵜呑みにした自分の落ち度なのだろうか?


 無表情の下で、ジェネストの頭の中は大混乱中だ。いくら悩んだところでこの疑問に答えられるのは、セラフォーネしかいないからなお困る……。

 とにかく今は、少し考える時間が欲しい。ジェネストは心からそう思った。


「いつまでここに立たせておくつもりだ? 早く部屋に案内しろ」


 とにかく今は、セラフォーネと距離を置きたい。どこで思い違いをしたのか、しっかり考えたい。

 なのに、使用人が誰も動かない。

さすがに苛立ちもう一度同じことを言っても、強張った顔でチラリと侍女長を見るだけで動かない。


 さすがのジェネストも、うんざりした声になる。

「まさか、部屋を準備していないのか?」

 ジェネストがいつも通り無表情だからといって、いつもみたいに流して終わりとはいかない。自分たちのしでかしたことが主を怒らせたことは、使用人たちも理解していた。

「準備はしてあります!」


 勢いよく答えるわりに、メイドが動く気配はない。他の使用人も同様で、うつむいている者さえいる。部屋にもまた嫌がらせがあることは、さすがにもうジェネストにだって分かった。

 今度は何だというのだ? 使用人の部屋にでも押し込むつもりだったか? だったら客間を整えさせるだけだ。面倒だからさっさと行動してくれ。ジェネストはパンと両手を叩いて言った。


「部屋を教えろ。私が連れていく」

 さっさと茶番を終わらせ、さっさと客間に行く。そのつもりだったのに、とんでもない言葉が飛び出してきた。

「……北塔です……」

「はぁっ?」

 滅多なことでは動揺しないジェネストが、聞き返すはめにあうとは思わなかった。自分を落ち着かせるために、深呼吸を繰り返す。

 そんなジェネストを見るのは初めてのことで、使用人は本当に聞こえなかったのだと勘違いした。

「旦那様の目に入らない場所にすべきだから、北塔の番人部屋を整理しろと侍女長が……」


 北塔は地下牢だ。一言に地下牢と言っても、ヘルムート家のは特別だ。人が暮らせる場所ではない。人をぶち壊すための場所だ。

 視界に入れたくないというジェネストの意向をくんだとはいっても、明らかに度を越している。


「もういい。それも含めて話を書こうじゃないか」

 そう言ってジェネストは、侍女長と家令を冷ややかに見下ろした。

 さすがの二人も居心地が悪そうに身じろぎし始めた。自分の未来が明るくないことは察したようだ。


「どんな形にせよ、どんな人物にせよ、彼女は私の妻となった。王命とは、そういうものだ。わきまえられない者は、今すぐ荷物をまとめて立ち去れ」


 無表情に平坦な声であっても、この言葉が偽りだと思う者はいなかった。


読んでいただき、ありがとうございました。

まだ続きますので、引き続き読んでいただければ嬉しいです。


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