公爵家の歓迎
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ヘルムート公爵家の屋敷を一言で言うならば、荘厳、だろうか……? 青空なんかより、この曇天が似合うことは間違いない。
歴史を感じる石造りの家なら生まれてから毎日見てきたセラフォーネだが、ランカスト家の屋敷とは全く違う。
戦いの歴史が刻み込まれたランカストの要塞よりも、ヘルムートの屋敷はずっと威圧的で重苦しく陰気だ。
争いごとなどなく平和に暮らせる場所だというのに、心にずどんと響く暗い不安を掻き立てる。じっとりと湿った靄のような不快感がまとわりついて、家という感じが全くしないのだ。
しかし、屋敷の雰囲気なんてシェイラには関係ない。
シェイラを震わせるのは、この屋敷の奴らがしでかしたセラフォーネへの仕打ちなのだから。
「屋敷が見える宿屋に泊まらせて。夜盗に襲わせて。保護もしなけりゃ心配もしない。おまけに妻が到着したのに、当主どころか家令も迎えに出ず門兵に案内される。で、玄関前で待たされている? 馬鹿にするのもいい加減にしろって話よ!」
小声なのが奇跡なくらい、シェイラの怒りは最高潮だ。
だからこそセラフォーネは「分かっていたことだ」と、つとめて冷静に言った。
(ただ、これから起きることは、分かっていても面倒だけどな……)
黒さが増して今にも雨が降り出しそうな灰色の空には、一羽の黒鳥が大きな羽を広げて優雅に揺蕩っている。
黒鳥の鳴き声が合図のように、重苦しく古い大きな木の玄関扉が開かれた。
入ってすぐに目が合ったのは初代当主の肖像画だ。恨みの塊みたいなアイスブルーの目から、絶望が垂れ流されている……。
目が爛れそうでそっと目を逸らすと……、白く大きな石が規則的にきっちりと敷き詰められた床が見えた。磨き上げられた白いタイルが眩しくて上を見れば、古めかしい大きなシャンデリアがずらりと並んでいる。
こんないかにも正しい貴族の家で、使用人たちも規則正しく三列に並んでセラフォーネを待ち構えていた。公爵家の使用人らしく礼儀正しく立っていても、その態度は歓迎からは程遠く敵意しか感じられない。値踏みするようにセラフォーネを見ているか、一切見向きもしないか、この二つのどちらかだ。
敵意むき出しの中を麦わら色の髪をぴっちりとなでつけた初老の男が、一歩セラフォーネに近づいてきた。糸のように細い目は、はっきりとセラフォーネの存在を否定している。
「家令のバーナビー・ロストルです。旦那様はお忙しく、こちらにはいらっしゃいません」
慇懃無礼とはこのことで、「ヘルムート家の当主が、お前みたいな卑しい者と会うわけがない」と本音が聞こえてきそうだ。
公爵夫人どころか辺境伯令嬢とも思っていない高圧的な態度でも、セラフォーネは気にせず受け止めた。
「そう、分かったわ」
一般的な女性より低い落ち着いた声が広いエントランスに響いた。
もっと甘ったるい声で毒薔薇が騒ぎ出すと予想していた使用人たちは、驚きながらも敵意をぶつけ続ける。
しかし当のセラフォーネは怯えも怒りもなく、涼しい顔で使用人たちを見返した。
昨晩の計画が失敗したせいで、消え去るはずだった毒薔薇がヘルムート家の中にいる。彼等にとって、これほどの屈辱はない。
焦りと怒りを隠すように薄茶色の糸目を弓なりにしならせ、家令は厭味ったらしい笑顔を浮かべた。
「まさか娼館の馬車でいらっしゃるとは思いませんでしたが、とてもお似合いですね」
何が面白いのか、使用人たちもクスクスと笑い出す。
セラフォーネは顔色一つ変えないが、シェイラは違う。怒りのあまり噴火寸前だ。いや、噴火した……。
「何が可笑しいのですか?」
シェイラがそう言ったところで、使用人の嘲笑は収まらないどころか広がっていく。規則正しく並んだ三列全員が、規則正しく同じ顔で笑っている。
我慢の限界を超えたシェイラは、セラフォーネの背後から前に出た。
「名門と名高いヘルムート家が、公爵夫人を屋敷の目の前の安宿に泊まらせて迎えにも来ないなんて。そんな非常識だとは思いませんでした!」
怒鳴りだすかと思ったバーナビーは、形ばかり驚いた顔を張り付けた。
「ヘルムート家が名門だと知っているのなら、当家に毒薔薇が如何に相応しくないかも理解してほしいですけどね」
ここは劇場か何かかというくらいに、使用人の笑い声がエントランスにこだました。
公爵夫人に対する使用人の態度ではないが、そもそも毒薔薇が歓迎されるはずがないのだ。こんなものだろうと、セラフォーネは全く意に介さず涼しい顔だ。
だが、シェイラはそうはいかない。何よりも大切な人が侮辱されているのだ。黙ってなんていられない。
「セラフォーネ様は、ヘルムート公爵夫人ですよ! 使用人の身でその態度は、常識を疑います!」
「それはこちらの台詞でしょう」
笑顔を凍らせて、バーナビーはそう吐き捨てた。
「毒薔薇という国一番の鼻つまみ者を、王命で仕方なく受け入れてやったんです。旦那様のご厚意に感謝して、大人しくしているのが当たり前です。それができないのなら、どこに行っていただいても構いませんよ。仲の良いお友達は多いのでしょう? あぁ、ご自慢の美貌を生かして、馴染の娼館で働き始めたらどうですか?」
セラフォーネを嘲笑うバーナビーは、なかなか口がたつようだ。
使用人は嬉々としてセラフォーネの反応を見たが、彼らが期待した屈辱に顔を歪める毒薔薇はそこにはいなかった。羞恥も怒りもなく淑女然として微笑むセラフォーネが、ピンと背筋を伸ばして立っている。
反対にシェイラは、全身を震わせて真っ赤な顔で怒っていた。
「酷い侮辱です! セラフォーネ様に謝罪してください!」
「事実を述べただけなのに、どうして謝罪が必要なんだ!」
こいつらに、言葉は通じない。どうやらヘルムート家は、完全に腐っているようだ。そう思ったシェイラが言葉に詰まると、家令はここぞとばかりに尊大な態度で怒鳴りつける。
「貴方こそ、私たちに謝るべきだ!」
人差し指をシェイラに向け、押さえていた怒りをむき出しにする。
「平民風情が、何を偉そうにしている。立場をわきまえるのはお前だろう!」
公爵家の上級使用人らしく家令は子爵家出身で、身分を盾に取るのはお手の物だ。
「毒薔薇の使用人だけあって、全く躾がなっていない! キャンキャンキャンキャンよく鳴く犬は、出戻りで、それはもう身持ちが悪そ――」
たった今まで気持ちよく講釈を垂れていた家令の目が、恐怖で見開かれた。
磨き上げられた白い石畳は歩けば音が響くはずなのに、セラフォーネが音もなく家令の前に立っていたからだ。
今までずっと他人事のように黙っていたのが嘘のように、セラフォーネの全身から怒気が溢れていた。それは火傷しそうなほど熱く、凍り付きそうなほど冷静な怒りだ。
セラフォーネの急変に、ざわついていたエントランスに緊張感が張り詰めた。
「シェイラに謝罪しなさい」
静かで冷静な声には、身体を貫くほどの怒りしかない。
五十年生きてきて今まで感じたことのない威圧感と殺気に、家令は悪寒と冷汗が止まらない。
顔を上げて言い返してやろうにも、恐怖で身体を動かすことができない。なのに膝はカクカクと勝手に震え、立っているのがやっとだ。
相手は、あの毒薔薇だ。主人とヘルムート家に害しか与えない毒婦だ。ヘルート家を守るためなら、何をしたって許されるゴミだ。散々罵ったって構わないはずなのに、声が出ない。いつの間にか喉がカラカラに干からびて張り付いて息もできない。
恐怖は伝播する。
他の使用人たちも、震えあがった。
「主人が毒薔薇だから、侍女も身持ちが悪い? それは随分と浅はかな考えです」
凍り付くほどの冷たい声に家令が縮み上がっていると、別の場所から棘のある声が飛んできた。
「使用人は主人を映す鏡です。主人の品位が低ければ、それなりにしかなりません!」
バーナビーの逆サイドからドヤ顔を見せているのは侍女長だ。ジェネストに幼い頃から仕えてきたことが自慢の、生粋のヘルムート家の使用人だ。
こいつもまた、シェイラを侮辱した。
「それはおかしいですね?」
恐ろしく冷たい笑顔が乗った首をかしげてみせるも、セラフォーネに愛くるしさは一切ない。仕草と表情のチグハグさが、ただただ怖い……。侍女長なんて、数秒前の勢いが嘘みたいに怯えている。
「公爵様は堅実で公平な方だと聞いています。ですが貴方たちは、そういう人間には見えない。どうしてかしら?」
今度は音を響かせて、セラフォーネが白い石畳を歩く。その音と同じように、エントランスに恐怖が広がる。
「公爵様と同じ力を、自分たちも持っていると? それとも、使用人としての立場もわきまえられない愚か者?」
慣れないヒールを鳴らして距離を詰めていくと、青さを通り越して黒ずんだ侍女長と目が合った。
「貴方の言う通りに使用人が主人を映す鏡なら、逆もまた然り。自分が公爵様を貶めていることが分からない?」
「……わ、私たちは、毒薔薇から旦那様とお屋敷をお守りするのが仕事です!」
「貴方たちの仕事に干渉する気はありません。ですが、貴方たちの仕事と、わたくしの侍女を侮辱することはつながりますか? 使用人と自分は一心同体だから罪も共に分かち合うとでも、公爵様はおっしゃったのかしら?」
にっこりと微笑んでいるのに、セラフォーネは全く笑っていない。全身から怒りが迸っている。恐ろしく暴力的で鋭利な怒りが……。
自分のことをいくら侮辱されても、セラフォーネ無は反応だった。それを自分たちに怯えていると侍女長たちは勘違いした。慢心していたところに、想像もしていない怒り投げつけられた。
圧倒的な力の差を目の当たりにさせられて、今更後悔しても遅い。
真っ白になるほど噛んだ侍女長の唇は、ブルブルと震えている。自分では全く相手にならないと気づいたところで、手の施しようがない。シェイラを侮辱されたセラフォーネの怒りは、もう収まらない。
「シェイラに謝罪しなさい」
目の前に立つのは、本当に毒薔薇なのだろうか?
男を侍らすしか能のない馬鹿じゃなかったのか?
この桁違いの迫力は何なんだ?
一体……、何を間違えた?
その答えを、侍女長たちは見つけられない。
この場を支配しているのは、見下していたはずのセラフォーネだ。今まで感じたことのない恐怖が、全員の心に植え付けられていく。
圧倒的な力の差は凄まじい緊張感を生み出し、その場にいる全員がのみ込まれた。
こんなはずじゃなかったと悔しさのあまり、侍女長がやけを起こした。
「……どうして昨晩、賊に襲われていないの? 計画通りなら、どこかに連れ去られているはずでしょう? どうしてヘルムート家にいるのよ!」
……さすがに同調する者はいなく、変わりに息をのむ音が聞こえた。家令に至っては、万事休すと目を閉じて頭を抱えている。
セラフォーネが昨晩の事件をもみ消したことで、賊なんていなかったことになっている。それを計画どうこう言い出してしまえば、自分の罪を認めたも同然だ。
いくら何でも愚かすぎる失言に、呆れて怒りも薄れてしまったセラフォーネは腕を組んでため息を漏らした。
「賊に私を襲わせたのは自分たちだと自白しているけど、大丈夫?」
侍女長の身体がピクリと揺れたが、何も言えるわけがない。セラフォーネの目など見てられるはずもなく、生気のなくなった目は床に向かう。
「あぁ、使用人は主人を映す鏡だったわね。なら、公爵様の指示だったのかしら?」
追い打ちをかけられた侍女長は何か言いたそうに口を動かしているが、言葉なんて出てこない。
セラフォーネの恐ろしい笑顔を前に、崩れ落ちた侍女長はついには嗚咽を漏らし始めた。その嗚咽が恐怖で震えていても、セラフォーネの要望を満たしたことにはならない。
セラフォーネの要望は一つ。シェイラへの謝罪だ。
セラフォーネの笑顔に凄みが増していくことに危機を感じ、家令が足を絡ませながら滑り込んできた。
「……私共の、考えが間違っておりました。申し訳、ございません……。どうか旦那様には――」
侍女長を冷たく見下ろしていたセラフォーネは、その顔を家令に向けた。
「謝る相手が違う」
怒鳴ったわけでもないのに、ビリビリと空気が震える。身を押しつぶされるような恐怖を前に、誰もがもう立っているのさえ苦しい。
怖いくらいに静かすぎるせいで、どこからか聞こえたため息がいやに響いた。
この殺気立つ場面で誰がため息を? 空気が読めない奴は誰だ! と使用人たちが一斉に犯人を捜して仲間や周りを見回した。
視線の先にいるのは、ジェネストだ。
読んでいただき、ありがとうございました。
まだ続きますので、引き続き読んでいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。




