第104話
「彩羽」
誰もいなくなった部屋で涼太が言った。呼び捨てにされたような気がしたけれど。
「ドクターの許しを得た。来月家に戻るよ」
そう言った涼太の声は、少し大人びて聞こえた。
「ドクターって、お医者様なの?」
彩羽は尋ねた。涼太が首を傾げ、少し考えてから口を開く。
「白衣を着てることが多いから、みんなドクターって呼ぶけど、医者ではないと思う。本部との調整役をしてくれてる人で、元々は本部の、もっと上の階級だったみたいだけど」
「元々は?」
「悪さをしたせいで降格されたって言ってた。観音様の逆鱗に触れたとか何とか。あの人の話だから、どこまで本当か分からないけどね」
彩羽は吹き出した。面白い人だ、本当に。
外の声は聞こえなくなり、何の音もしなくなった。涼太が側に座る。静寂という名にふさわしい、都会では考えられないほどの静けさを感じながら、しばし無言の時が続いた。
「彩羽」
やはり呼び捨てにされた。涼太が彩羽の眼を覗き込む。ふわりと、涼太の髪が頬に触れた。
「寂しいだろうけど、もう少し待ってて」
抱き締めると呼ぶにはあまりに優しい腕は、やはり華奢で、女の子と抱き合っているようにしか感じられなかったけれど。
「世界が終わる日には、必ず側にいるから」
涼太は大人の口調でそう言った。
※
河口湖駅まで車で送ってもらって、彩羽は帰路についた。改札を抜けて振り向くと、涼太が手を振っている。彩羽も涼太に向かって手を振り返した。「待ってて」と涼太の口が動くのが見えた。
ふと自分の左手に目が行き、彩羽は気が付いた。小指に光る小さな赤い石。外れないままのピンキーリング。
そういう事?
昨夜の、どこから来るのか分からなかった涼太の自信。その理由はこれか。滑稽な勘違いに、彩羽は泣きそうになった。
いいわよ。待っててあげる。世界が終わるとき、一緒にいてあげる。彩羽は思いを込め、再び大きく手を振り返した。




