喫茶すずかぜ
「……素敵」
彩羽の出身大学の後輩であるという田中璃々が、うっとりした表情を浮かべた。
「髭のマスターからは、想像つかないけどね」
眼鏡を掛けた青年、山田杏寿が茶化した。
あれから、月日は流れた。『M』は正式名称Mariotteとして公に発表され、皆の知るところとなった。
終末の時を知らされた人々の反応は様々だった。大規模な暴動が起きるかと思われたが、意外にも静かで、多くの人々は粛々とそれを受け入れたように見えた。SNSは荒れたけれども。
裕福な者たちは、そそくさと海外に移住した。国内でも転居が相次ぎ、北海道や沖縄の人口密度が急激に増えた。中央の政治に携わる者の数は減り、国家の機能の多くは各自治体に委ねられていった。テレビでは、海外の富裕層がブラジルの土地を買い漁っているというニュースが流れた。あちこちで紛争も起きている。
「この店も今日で終わりなんだよな。残念だな」
金髪に近い茶色に髪を染めた中川翼が言う。
「どこかへ引っ越すの?」
スーツ姿の川口妃茉莉が尋ねた。
「広島に住んでる涼太の伯父さん夫婦が、来ないかって言ってくれて。そんなに遠くないから、またすぐに引っ越さないといけなくなるかもしれないけど、とりあえずね」
彩羽と涼太は、子供を持たないという選択をした。もちろん、それは考え方のひとつにすぎない。後世に願いを託すという方法もあるだろう。現に今なお、『M』の侵攻を食い止めようと日夜奮闘している者たちがいる。未来は誰にも分からない。
カランと、入り口のカウベルが鳴った。皆の視線が開く扉に集まる。逆光の中に人影が浮かび、扉が閉まると同時に、はっきりとした姿を現す。
「こんにちは」
十数年の時を過ぎて今も変わらない、山口美紀の笑顔がそこにあった。
マリオット 完




