第4話 怖くて、応募できません
翌日。
ハナとイソラは、ジャドソン・ベーカリーを訪れた。
工房の作業台の上に、先月、他の新聞に掲載した広告の切り抜きが置いてある。
イソラは店主に静かに質問して、話を商談手帳に書き留めていく。
朝の3時から、パン生地の準備。
6時にはその日最初のパンを焼く。
7時に店を開ける。
昼前には、仕込みの仕事はほとんど終わる。
「今いる職人さんは何人ですか」
「俺と、この若いのが一人」
「これから募集する新しい方には、どんなお仕事を任せたいのでしょう」
「うん、だから、朝の仕込みだよ」
「パン生地をこねるところからですか?」
「いや。最初は材料を量ったり、小麦粉の袋を運んだり、洗い物をしたり、焼けたパンを並べたり、だな」
「……そのお仕事内容なら、パン職人の経験者でなくてもよいのでは?」
店主は、一瞬、ぽかんとした顔をした。
「……え?」
「経験がない人には、もちろん、最初は教える必要はありますが」
「……まあ、そうだな」
イソラはペンを止めずに、質問を続けた。
「お給金は?」
「1日につき、銅貨8枚」
「勤務時間は、朝3時から……」
「朝の7時までだな」
「週に何日、働いてほしいですか?」
「週に6日。日曜はいらない」
イソラは、手帳を見つめながら、ゆっくりと言った。
「では。朝3時から7時までの1日4時間勤務」
日曜休み。週6日勤務。
日給は銅貨8枚。
仕事内容は、パン作りの補助作業全般。
材料の運搬や計量、商品の陳列、容器や道具の洗浄など。多少の力仕事あり。
パン作りの経験は不要。未経験者歓迎。
「……おい。ちょっと待て」
店主と若い職人は立ち上がっていた。
「なんだ、それは」
「募集条件です」
「……なんてこった」
店主は自分の頭を掻いた。
「俺たちが欲しかったのは、そういう人間だったのか……」
ハナも驚いていた。
店主の「欲しい人」を聞いていったら、パン職人ではない、ぜんぜん違う人間が立っていた。
――朝の仕込みを手伝ってくれる人。
「……先輩、すごいです」
ハナはイソラに顔を近づけて、小声で言った。
イソラは首を振った。
「お客様のお話を整理しただけです」
店主は、どさりと椅子に腰を戻した。
しばらく考えていた。
「……イソラさん。いま並べたその条件、それ、全部広告に書くのかい」
「そうすることを、おすすめします」
「朝の3時から、って書いて、応募が来ると思うかい」
「そこは、掲載してみないとわかりません」
「給金も書きたくないな。近所のお客さんや同業者も、広告を見るだろう」
「……そうですね」
「絶対に採用できるって言うなら書くよ。でも、また金を無駄にするかもしれん」
イソラがちらりとハナを見た。
「こちらのハンナリン=パンネケートは、昨日入社したばかりの新人です」
「そうだってね」
いきなり何の話をするのだろう。
ハナはそわそわした。
「このあいだまで、求人広告を見て仕事を探していました。つまり彼女は、この中で一番、求職者の気持ちがわかる人間です」
イソラは、眼鏡をくい、と直した。
「ハナさん。この求人広告を見て、どう思いますか」
過去の求人広告の切り抜きを指さす。
『パン職人急募。元気でやる気のある男子求む。経験者優遇。応募者は、平日13時に店まで直接来られたし。ジャドソン・ベーカリー』
「もしあなたがお仕事を探していたら、どうですか」
ハナは、広告と、店主と、イソラの顔を交互に見た。
「……言って、いいんですか?」
「あなたの意見を聞きたいのです」
ハナは、切り抜きを見つめた。
小さな紙片。
あの土曜日、膝の上で、ぐしゃりと潰れた紙の感触が、手のひらによみがえった。
ハナは、震える声で、言った。
「……怖くて、応募できません……」
「なんだって!?」
店主が立ち上がった。
「す、すみません! でも……」
「ハナさん。どうして怖いと思いましたか」
「……私……応募したことがあるんです」
ハナは、顔を上げられなかった。でも、言った。
「……広告には、勤務時間もお休みも書いてませんでした。面接で初めて知りました。お給金も、広告に書いてあったよりも低い数字を言われました。……わかっていたら、応募しませんでした」
店主は黙って聞いた。
「求人広告ですから、『こんな人が欲しい』は書いてます。でも、お仕事を探している人の『知りたいこと』が書いていない広告は、怖いです」
『欲しい』と、『知りたい』。
イソラのペンが、商談手帳の上で動いた。
ハナの言葉を、そのまま書き留めている。
パン工房に、沈黙が、落ちた。
店主も、職人も、黙っている。
イソラも、黙っている。
ハナは、ますます小さくなった。
しばらくして、店主がぽつりと言った。
「……給金も、書くか」
ハナは、顔を上げた。
店主は、腕を組んで、天井を見ていた。
「……正直に書いて、応募があると思うか」
「この時間帯に働ける人は少ないでしょう。でも、朝3時から働きたいという人に、この募集を見つけてもらわないと」
「ふん」
店主は、イソラの顔を見た。
「提案の通りにしたら、文字数が多くなるよな。そのぶん、掲載料金も上がるんだろう」
「行数に応じて変わりますので、そうなります」
「……売上1位なんだってな。なるほど、そういうことか」
「……お客様の採用を叶えるためでございます」
店主の口元がゆるんだ。
「冗談だよ」
イソラとハナを交互に見て、言った。
「1回だけだ。あんたたちに賭けてみよう」
ハナは、固まった。
「……本当ですか?」
「本当だよ」
「あ……」
「ん?」
「ありがとうございます!」
ハナは勢いよく立ち上がった。
椅子が後ろに派手な音を立てて倒れた。
「ヒャア!」
店主と職人が笑った。
イソラは、静かに椅子を起こして、元の位置に置いた。
◇
営業所に戻ると、社主が待ち構えていた。
「どうだった!」
「ご契約、いただけました!」
「いくらの枠だ!」
「銀貨3枚です!」
「よし!」
社主は、机をたたいた。
「ハンナリン君! 初契約だな! おめでとう!」
「……ありがとうございます!」
「イソラ! どうだ! たいしたものじゃないか! 君の後輩は!」
「社主。まだ掲載前です」
「むう!?」
「受注がゴールではありません。お客様の採用をかなえるまでが仕事です」
「うむ! そうだったな!」
社主は会心の笑みを浮かべた。
「今回の原稿は誰が作るんだ!」
「ハナさん」
「はい? ……私ですか!?」
「教えます」
「……よろしく、お願いします!」
ハナは、イソラの隣の椅子に座った。
机の上には、先週発行された日曜版の紙面が広げられている。
「これをお手本にして、原稿を書いてみてください」
「はい!」
1行目を書くのに、10分かかった。
『早朝のパン作り手伝い募集』
「いいですね」
「本当ですか?」
「この募集の鍵は、『早朝』です。これを一番最初に見せるべきです」
ハナは、イソラの顔を見つめた。
そこからは、イソラが書き留めた商談手帳のメモを頼りに。
勤務時間。賃金。仕事内容。休日。
一行ずつ、並んでいく。
わからないことは、イソラに聞いた。
ハナは、書いては消し、消しては書いた。
休日は時間の後ろに入れるのがいいのか。
力仕事が多いように見えないか。
読点の置きどころ一つに、何分も悩んだ。
一目でも曲がっていると、ほどいて縫い直さずにいられない。
刺繍と、同じだった。
イソラが、書き上がった原稿を手に取った。
しばらく、黙って見ていた。
「……1時間、かかりましたね」
「すみません、時間をかけすぎました!」
ハナは、思わず首をすくめた。
「刺繍と同じで、一目でも曲がると、気になってしまって……。内職では、それで契約を切られたんですけど」
イソラは、原稿から目を上げた。
「良い原稿です」
「……え?」
「求人広告の数字が一つ違えば、読んだ人の人生が変わります。一目の曲がりを見逃さない人は、この仕事に向いています」
ハナは、ぽかんとした。
自分の欠点だと思っていたものが。
ここでは、違う名前で呼ばれた。
ハナは、原稿を目の高さに持って、じっくりと読んだ。
「……これ。すごく分かりやすいです!」
「そうですね」
「私、これなら応募してみたいです!」
「朝3時からですよ?」
一瞬、ハナは考えた。
「……やっぱり、ちょっと難しいですねえ!」
イソラの頬が、わずかにゆるんだのを、ハナは見逃さなかった。
(先輩も、笑うんだ……)
そのとき、社主の大声が、営業所に響き渡った。
「みんな! 明日は枠取り締め切り日の木曜日だ! あと3枠残っている!」
イソラも、ハナも、他の営業員も、顔を上げる。
「頼むぞ! 何としても今週号は、完全満載にしてくれ!」
「はい!」
ハナは元気よく答えた。
「ハナさん。そのまえに、この原稿をきちんと仕上げましょう」
「はい!」
ハナが、生まれて初めて売った広告。
これが読者の手に届くまで、まだ必要なことがたくさんあった。




