第6話「王国の変化」
王国の会議から数週間。街道沿いに、まだ仮設がほとんどではあるものの、公衆トイレが建ち始めていた。
ほとんどの建物は木の板を打ち付けただけの簡素な造りで、便器も木製の椅子の座面に穴を開け、排泄物が飛び散らないように側面に板を張り地面に掘った穴の上に置いただけの簡単なものが多い。王国に近い所はすでに既存のトイレと変わらない設備で下水の設備も通っているが、離れた場所ではまだそうもいかない。
それでも、冒険者たちがスライムに襲われ、急激な尿意を催した時にすぐ駆け込めるトイレがある、という安心感を得るには、充分なものであった。
朝の冒険者ギルドには、黄色いスライムに怯えなくてよくなり討伐依頼を受けに来た者、公衆トイレ建設の増援依頼を受けに来た者、その他たくさんの冒険者たちが集まっている。
「これで、少し安心だね」
「でも、これで解決、ってわけじゃないんでしょ?」
「それでも、襲われた時にトイレがあるってだけで、安心できるわよ。この間、間に合わなかった魔法使いの子見たし」
そんな会話を背に、セイカとセイラが依頼の受付を済ませる。今日の依頼は、この間の討伐依頼の場所の近くでの、魔物の群れの討伐。
「こんなに早くできるものなのね」
新しくできた公衆トイレの場所が書かれた地図を見ながら、セイカが言う。セイラは、静かに頷いた。
「はい。トイレがあるというだけで、安心感が違います」
依頼の現場に着き、ほかの冒険者たちと合流すると、セイカは早速杖を振りかざし、魔物の群れに向けて魔法を放つ。その後ろで、セイラは魔物の群れに傷つけられた冒険者たちを回復魔法で癒す。
「……?」
戦闘の最中、セイカの視界の端を淡い黄色の物体が過った。だが、セイカが杖を向ける前に、その黄色い影は草むらの奥へと消えていった。
「お姉様?」
「いいえ、何でもないわ。早く終わらせちゃいましょう」
他の冒険者たちとの共闘だったこともあり、戦闘自体は比較的早く終わった。
「一通り片付いたわね」
「はい。お姉様に大きな怪我がなくて、よかったです」
セイラがセイカに回復魔法をかける。そうして2人が息を整え、杖を下ろしたその時。
「「……っ」」
戦闘の興奮が冷めると同時に、2人の下腹部に違和感が生まれ、身体が小さくぶるりと震えた。
特にセイカは、討伐中に魔法を多く使っていた分、体内に溜まったマナの残りかすがはっきりと彼女の膀胱に圧力をかけていた。
「……お姉様、その、少し、お手洗いに……」
「私も結構したくなっちゃったわ」
「お姉様、たくさん魔法使ってましたものね」
セイカが地図を取り出し、現在地から道を指でなぞる。
「すぐ近くに新しく作られてるわ。そこに行きましょう」
2人は地図の通りに街道を進み、仮設トイレに向かう。
「やっぱり、まだ簡素な造りなのね」
「それでも、宿屋まで我慢するよりは簡単な造りでもお手洗いがあるというだけで安心できます」
薄い木の板を打ち付けただけの、簡単な個室。それでも、排泄姿が丸見えにならないという安心感は段違いだ。
「はあ……今まではおしっこしたくなるかもって思ってあんまり魔法を使いすぎないようにしてたけど、これからはもっとガンガンやっちゃってもいいのかしら」
一番奥の個室で、セイカが自身の排泄音をかき消すように呟く。少し遅れて、隣の個室に入ったセイラが小さな音を立てておしっこをし始めた。
「ふぅ……すっきりしました……」
セイラが股を拭いていると、誰かが隣の個室に駆け込む足音が聞こえ、乱暴に扉が閉まる音がした。
「出ちゃう出ちゃうっ」
そんな声が聞こえた直後。
ぶじゃあぁぁぁぁぁぁっ、ばたたたたたたたたたっ!!!
椅子に勢いよく座った音とほぼ同時に、激しい水流音とそれが椅子に張られた板に当たって跳ね返る音が響いた。
個室を隔てる壁は薄く、隙間も多い。隣の個室でその音を聞いてしまったセイラは、顔を真っ赤にしていた。
「はぁぁ……間に合った……っ!」
個室から聞こえる声に、セイラは先日の自分──宿屋まで我慢しきれず、お漏らししてしまった自分の姿を重ね合わせ、トイレができたことに改めて安心する。
「あら、ユカリじゃない」
セイカとセイラがトイレのそばの小川で手を洗っていると、トイレから胸当てにハーフパンツ姿の少女──女飛脚であるユカリが出てきた。
「セイカさんにセイラさん、今から帰るところですか?」
「ええ。ユカリさんは?」
「あたしはこれからフルーヴ王国に向かうところ。さっき黄色いスライムに襲われちゃって、ここのトイレがなかったらあたし、絶対漏らしちゃってた!」
「本当に、トイレが増えてよかったわね」
確実に、「トイレが近くにある」という安心が生まれていた。
3人が用を足したトイレよりも王国に近く、既に下水設備が通り、造りも比較的整ったトイレでは、建設の支援に向かう女騎士隊が用を足していた。
「……やっぱり、負けてる気がするな」
ソニアがぶっきらぼうに言う。
「でも、トイレがなくて漏らすよりはいいですよ」
隣の個室で用を足していた女騎士がたしなめるようにそう言う。
「根本解決にはなっていない。だが、これで黄色いスライムに過度に怯える必要が無くなったのは事実。戦線を維持するには必要な対策だ」
トイレの入り口で、エレナは地図を見ながらそう言った。その言葉に、隊員たちは黙って頷く。
「まだ、設営が間に合っていないな」
街道を進みながら、ソニアが視線の先に仮設の粗末な造りのトイレを見て言う。
「ああ、設置は始まったばかりだ」
エレナの声は短い。
仮設トイレは確かに安心を増やした。だが同時に、それは王国が黄色いスライムに追い込まれ、対策を余儀なくされた証でもあった。
──────────
夜の魔王城、玉座の間。
「ふふっ……慌てて対策を始めましたわね」
壁に映し出された映像を見ながら、リリアが優雅に微笑んだ。
「ピスライムを根絶するのではなく、漏らさないための場所を増やしたか。確かに合理的だ」
「ピスライムの襲撃に対しても、トイレを増やし始める前に比べて落ち着いてるように見えます」
リリアは別の場所の映像を映す。仮設のトイレの前で列を作る者、無事済ませ安心して出てくる者。少し先のトイレに向かい、足を速める者。以前ほどの切迫感は、画面に映る者たちからは感じられなくなっている。
「ですが、対策すればするほど、私たちの狙う場所も増えます」
「ああ、そうだな」
ディリュージアの口元が緩む。
「安心している時こそ、その油断に付け込みやすい」
「魔王様、どのような手を打ちましょうか」
「新しい魔物は考えているが……その前に、1つちょっとしたいたずらをしてやろう」
「いたずら、ですか……?」
リリアは首を傾げる。
「ああ、トイレを建設している女騎士隊に、急激に尿意を増幅させる飲み物を「差し入れ」と称して送り込んでやろう」
ディリュージアは足元に置いておいた箱から、小さな瓶を取り出す。
「元になる回復ポーションは既に兵士を動員して集めておいた。あとはこのピスライムから抽出した魔力の素を入れれば完成する」
「承知いたしました。準備させていただきます……ふふっ、楽しみですわね」
リリアは笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。その目は、忠誠と愉しみの両方を含んで光っている。
王国が得た安心は、魔王軍の攻撃の次の標的として数えられ始めている。
冒険者たちの安心のために始まった公衆トイレの増設は、同時に新たな戦局の火種でもあった。




