第二話 さとりと龍神 四
「兵糧丸だ。飢えはしのげる」
「なんでも入ってるんだね、その袋には」
「以前、子供と旅をして、いろいろと覚えたからな」
摘まんだ黒い団子は、想像以上の重みだった。冴は前歯で薄くかじり、丹念に口を動かしている。竹若の気のせいかもしれない。冴の頬に、笑みの色がある。竹若もひとつ微笑み、団子に歯を立てた。
「甘い……」
噛むたびに、鼻へと胡麻の香りが抜ける。目をつむるといっそう香ばしさが増す。体の奥へと細く沁みこむ香りを追い掛けるうちに、竹若の意識は薄れた。
竹若が目を覚ました時、あたりはほのかに明るかった。白んだ光と涼やかな風が、朝だと知らせる。座っていたはずが、背中の下は地面だった。
首をゆっくりと起こし、冴を見た。立てた片膝に額を当てて動かない。肩には錫杖を持たせ掛けている。眠っているのかと思った刹那、顔が上がった。
心の臓に縄が食いこむ。冴の目は、水に濡れた白刃さながらだった。が、竹若を認めるとすぐ、鋭利な気は朝の光にまぎれた。光に透けた澄んだ瞳に、竹若は縄がゆるやかに解けるのを感じだ。
「よく寝ていたな」
冴が立ち上がる。頭や肩がまったくゆれず、天に煙がのぼるような動きだ。竹若が草鞋を履く間、急かすこともなく、冴は朝の光を浴び続けた。
屋根を厚く萱で覆った人家が、山に食いこむように散らばっている。山と山の間の平地は、ひと目で見渡せるほどにせまい。わずかな土地に、水田が隙間を見せずに敷き詰められていた。日当たりのよい斜面にも、雛壇のように田が連なる。
木にはさまれた山道をたどり続けた竹若には、空が広く感じられた。入道雲がとてつもなく白い。山裾の陰となった草叢に、手拭いで頬かむりをした男と女がかがんでいた。手には鎌がある。年端もいかぬ子が刈り取られた雑草で、両手をいっぱいにしている。
「子供も働くんだね」
「山間の村に住む者は、休んでいる暇がない」
「どうして」
「作物を植えることのできる土地が少ないからな。ああやって畑を新たに拓かねば、食っていけない」
「畑ではなにを作るの」
「稗や粟、豆や芋といったところかな」
「よく知ってるね」
「いろいろと渡り歩いて育ったからな」
「それだけたくさん作れば、大丈夫だよね」
「この村を仕切る庄屋がまともならな」
「どういうこと」
「米だけでなく、粟などにまで重い年貢をかける輩もいる」
「黙って差し出すしかないの」
「一揆は最後の手段だ。そこに行き着くまでは、辛抱を強いられる。庄屋が無茶をしていないか、領主が目を光らせていれば、人々の暮らしは楽になる」
淡々と語る低い声からは、なんの感情も読み取れなかった。しかし、竹若はこまごまと教える冴から、領主としての心得を説かれている気分だった。
父の泰信は、家を存続させることと、兵ひとりひとりの力を上げることには強い関心を示すが、自身の贅沢に興味はない。
領民からの取り立てを上増しするようくり返す又兵衛と言い分がぶつかり、心悩ませていることを、さとりの力で竹若は知っていた。
小さな村を抜け、薄暗い山道を進む最中、かなかなとずっと降り注いでいた蝉の声が突然やんだ。静寂を作ったのは、老婆だった。
駆ける足に裾が割れ、骨張った膝が露わだ。伸び放題のざんばら髪。もとの色がわからないほどに煤けた着物。手には大ぶりの鉈。距離があっても、黒くよどんだ胸の内が竹若にはわかった。
「あのお婆さん、僕を殺そうとしてる」
冴の法衣にすがり、強く握った。
「山姥だな。あと、餓鬼が何匹か」
餓鬼と聞き、竹若は城で人を食い殺した化け物を思い出した。さらに身を硬くする。しかし、痩せこけて腹だけが突き出た醜い姿はどこにもない。
「そこの茂みに隠れている。手を離してくれ」
冴が錫杖の先を捻り、抜いた。竹若の想像よりもずっと長い、大人の肘から先ほどもある刃があらわれた。山姥は鉈を振り上げ、冴に迫っている。
竹若にはそこから先の出来事が、ひと呼吸の間にしか感じられなかった。
冴が槍となった錫杖を無造作に横へと払う。山姥の腕と頭が斬り落とされる。地に転がった手は、鉈を握ったままだ。餓鬼がひそんでいると示した茂みに穂を突き入れる。串刺しにした化け物を持ち上げ、山姥の胴に重ねる。また茂みに槍を打ちこみ、次々に片づけていく。道に這い出た餓鬼が竹若に手を伸ばす。冴の振りおろした一撃で息の根が止まった。頭が完全に割れている。
「この峠を越えた先に、馴染みの茶屋がある。泊めてもらおう」
冴はたかぶりも息切れも見せずに、今夜の予定を口にした。
灰色がかった頭をしきりにさげ、茶屋の主は冴と竹若を板の間に上げた。
店の残り物で良い、と頼んだ食事は椀に盛られた飯と山菜の汁だった。絶妙な塩加減に、竹若は汁のお代わりを重ねた。三杯目の汁の椀をからにすると我ながら図々しさを覚え、店主はなにを思うのかと、さとりの力を使った。
……さて、筵、筵……。
寝床の準備だけが心を占めていた。
蚊帳を吊り、筵の敷かれた一室を与えられる。人の手で整えられた寝床に、竹若は頬をゆるめて横になる。冴は錫杖を抱え、蚊帳の隅で片膝を立て座っている。
「ねえ、冴」
冴には訊きたいことがたくさんある。最も大きな疑問は、どうして自分を殺さないのか。
しかしこに触れたなら、なにもかもが終わりとなる予感がしたため、ほかを尋ねた。
「どうしてあんなに強いの」
ん、と見返す目に、竹若の胸は鳴った。
「城で餓鬼が出ると、皆で何度も突いたり切ったりして、やっと退治できるのに」
目の前の女は一撃なのだ。
「修錬に継ぐ修錬」
「僕も法天寺で修行したら、強くなれるかな」
「ある程度までは、誰でも強くなる。ただその先は、天稟だな」
「てんぴん……」
「天賦の才は武芸の要諦だ」
次に冴が口へと乗せた言葉に、竹若は耳を疑った。
「私は龍神の血を引いている。だから、ここまでに至った」
えっと、なに言ってるの。
口の奥に声を置き、竹若は瞼を広げた。冴の冗談めいた話を、うまく飲みこめない。冴が龍神であるほうが、受け入れやすいほどだ。
冴はなにを思うのか。目を伏せて動かぬ顔を念入りに見た。鼓動が早まる。
月明かりを受けた頬は引き締まり、素直に伸びた鼻筋が顔に濃い影を作っている。上がり勝ちに眉が、今はややなだらかだ。切れ長の目を飾る睫が長い。半ば伏せた目から覗く黒い瞳は、深い泉のように静かだった。
薄ら笑いをへばりつかせた又兵衛や、その配下の大人たちとはまったく違う。それどころか、今まで会った人の誰とも違う。
冴の心の内は、依然知れない。だが、冴への恐れはとうに減じていた。物の怪を倒し、諸々の気遣いを目の当たりにして。
恐れの減じた理由はもうひとつある。幼い男児は、まだその理由に気づいていない。




