第二話 さとりと龍神 弐
先ほどまで片手で立てていた錫杖を、冴は両手で持っていた。地面に触れる石突が、又兵衛へとむけられている。浅く腰を落とし、必要とあらば突きをいつでも繰り出せる構えだ。石突は尖った鉄で仕上げられ、細長い椎の実の如し。竹若には、冴が構えに入る動きが見えなかった。又兵衛の顔から、一切の血の気が失せている。
「気の早い虫が、もう働いておる」
又兵衛の踵の先では、胴を砕かれた蜂が羽を細かくふるわせ地を転げていた。
「傍で警護するのなら、槍か刀であろう」
構えを解いた冴が、竹若にむく。
「出立の挨拶は良いのか」
続いた声は今までとは異なり、ほんの少し丸かった。
「行って参ります」
下げた頭をきっかけに、林がにぎやかになった。しゃあしゃあと蝉の鳴きが重なり、雑木にはさまれた朝の道を埋めた。
山をくだり、城下の町を抜けるところまで、竹若は冴のあとを追った。縦にも横にもゆれない背中に細めた目を当て、冴の心を読もうと何度も試みたが無駄だった。やはり後ろからではなく、前から胸元に目を当てなければならないのか、と竹若が浅く唇を噛んでいると、冴が足をとめた。さらりと吹いた横風に垂れ髪が割れ、白いうなじがのぞく。冴がゆっくりとふり返る。
「この先は私の後ろでなく、お前が先をゆけ」
竹若が城の外を歩く時、付き従う大人たちは腰を低くし、なにかと機嫌を取る。口に出すことと本音は違っても、竹若を無視するようなことはなかった。ところが冴はここに至るまで、口をまったく利かない。
竹若は今まで受けたことのない雑な扱いに、声を強くした。
「身共の名は竹若だ。お前ではない」
黒い法衣の衿が目の前で重なっている。竹若は冴の胸元に視線を運び、瞼をせばめた。
……生意気を言うな……。……申し訳ございません……。
これまで接してきた者の心にうかんだ言葉を予想した。
常であれば、感情や考えが声や色となってあらわれる。だが、冴の胸の内に見えたのは、光を細かくはじく水面だった。おかしい。本心は水の底かと目を凝らしても、満々と湛えられた水はまるで深い泉で、底を見通せない。
「良いぞ。身共などと堅苦しく喋らなくても」
え、とあげた竹若の短い疑問の声に、冴は答えを返した。
「山国から山国へと渡る。子供にとってはきつい旅だ。少しでも楽をしろ」
想像の外ばかりを述べる従者をどう呼ぶべきか、少し考え竹若は口を開いた。
「冴殿」
即座に冴が応じた。
「殿、はいらん。私が竹若と呼び捨てる代わりに、私を冴とだけ呼べ」
またもや、思いもしない言葉だった。冴の心を読むべく、目を細めたがやはりなにもわからない。
「これを持て」
冴が丸ぐけの腰紐から杖を抜き取った。地につくと、握りが十歳男児の胸を超える長さだ。
「仕込み杖だ。丸腰では、気が保てんだろう」
中は真剣。指を巻いた棒の正体を知った途端、手にした以上の重みを竹若は感じた。
「私が後ろにいれば、竹若が背後からの襲撃を食らうことはない。人は目のない背中と、高いところからの攻撃に弱い」
肩を掴まれ、前へと押し出された。道が広がる。
城の外で人に先立ち歩くことは初めてだった。自分で行く先を決めねばならぬ気がし、背中が丸くなる。手にした仕込み杖が、さらに重くなった。
人の行き交う町を終え、道の左右は人家から小高い木に替わる。張り出した枝が、暑さを注ぐ太陽を隠してくれた。
じいい……。長く尾を引く蝉の声が体を包む。櫓門の外で鳴いていた蝉とは異なると竹若は気づいた。耳を澄ませながら木陰をくぐるうちに、冴の言葉を思い出す。
人は背中からの攻撃に弱い。
冴は錫杖を装った槍を持っている。刃を使わずとも、石突で打たれただけで……。
出発前に蜂を突いた動きは、目の前だったにもかかわらず、まったく見えなかった。手にした仕込み杖が、楊枝の如くちっぽけに思えた。肩がずんと重くなる。しきりに冴へと目を遣った。
「どうした」
「あの、後ろにものすごく大きな人がいると、恐くて」
冴の眉がかすかに寄った。瞳だけで上を見る。
「横にならべ」
高い腰を掌で打ち、竹若に右側へと立つよう促した。あっさりと言い分の通ったことが意外で、竹若は冴の顔を見詰めた。表情から、少しでも冴の気持ちを探ろうとしてだった。
目じりの上がったきつい顔立ちだが殺気はない。瞳は静かな色をうかべている。冴の尖った顎が道の先をさした。
錫杖から澄んだ音をたてる高い背中と、丸まりがちな小さな背中が、葉影の合間がちらちらと白く光る道を進んだ。
冴のことばかりで占められていた頭が、足先へと意識をむけるようになった。地面からつま先を離すたび、親指と人さし指の間に針を立てるような刺激が走る。
「足が痛いのか」
自分のわずかな異変も見逃さなかった冴に、竹若は息を飲んだ。
「あの茶屋で休もう」
木の梢を照らす太陽は、ほぼ真上に位置している。朝から歩き通しだった竹若には、冴の指さす「だんご」の幟がうきあがって見えた。
通りにならべられた縁台に、二人は編み笠をとり腰掛ける。冴は錫杖から手を離さず、湯呑みに唇をつけた。竹若は仕込み杖を腰紐に捻じこみ、口へと夢中で茶と団子を運ぶ。皿に串が重なり、何杯目かの茶を竹若が飲み干したところで、冴が縁台を指先で鳴らした。
「足を見せろ」
手早く竹若の草鞋を外す。足袋の先割れとなった箇所に、うっすらと血が滲んでいた。
「指の股が、緒で擦れたな」
独り言のように呟き、店主に用意させた桶へとやわらかな足を入れる。張った水が傷口に沁み、竹若は顔をしかめた。
「少し痛いが、我慢しろ」
言うなり、冴が破れたまめを指で押した。
「いたっ」
足を引っこめようにも、長い指が足首に巻きついている。何度か痛みをこらえ、ようやく竹若は解放された。
冴は傷に膏薬を塗り、細く裂いた手拭いで竹若の足指を丁寧に巻く。巻き終わったころには、痺れにも似た感覚が足先を包み、ほっと息をついていた。
「子供との旅と聞いたからな。いろいろと用意はしている」
切れ長の目が正面にあった。引き締まった頬に上がり勝ちの眉。ゆるみの一切を取り払った冴の顔は、母や乳母のようなやわらかさとは無縁だ。しかし、背筋の伸びるような美しさがあった。竹若はまばたきをとめ、冴が刺客であることも忘れて見惚れた。
「行くぞ。草鞋をつけろ」
緒を足袋の先割れに通す。痛みは、覚悟よりもずっと軽いものだった。
出掛けに父が履かせてくれた手順を思い出しながら、足裏で草鞋が遊ばぬよう緒を締める。不慣れなため時間がかかったが、冴は沈黙を崩さず、傍らに立ち続けた。




