第九話 瓜姫 五
蝉の声はとうに消え、夕暮れには草の間からりりりと涼しげな響きが届けられるようになった。孫兵衛は、虫の音に一切の趣を傾けず、後の面会のために酒をあおっていた。
ひとり自室に籠り、手酌で茶碗を満たす。干してはつぎ、干してはつぎをくり返す。床に椀の底を叩きつける音に合わせ、胸の内にも声を叩きつけた。
冴など恐るるに足らん。いざとなれば押し包み、斬り殺せば良い。
孫兵衛に酒量はない。一升徳利を半分も空けたころには、無理矢理に差しこんでいた細い支えが、太い柱に代わっていた。
「冴殿がお越しです」
襖のむこうで家来が言う。できるのであれば、冴を庭に置き、屋敷の内から指図をしたかった。が、家来にすら聞かれたくない話をする。仕方なしに部屋へとあげた。
密談のために用意した小部屋の戸を滑らせた途端、孫兵衛は頭に血が昇った。一介の武芸者が、藩の実権を握る筆頭家老宅に呼び出されたのだ。当然、平伏して待っているはず。
ところが冴は、高々と額を上げている。そればかりか、野袴の右膝を立て、孫兵衛を真正面から見据えるのだった。
無礼を咎めたい。口は、凍ったように動かない。酒の力を借りても、動かないものは動かない。白刃の切っ先で眼球を刺突されると錯覚するほどに、冴の視線は鋭利だった。
孫兵衛は目の奥に痛みを感じ、つい瞼を閉じた。圧倒された前回の雪辱などに拘らず、抱えの間者を通じて命じるべきだったと下唇を噛んだが、もう引き返せない。
無理をして胸を張り、冴のむかいに尻をおろす。腰から外した刀を左足のすぐ横に置く。本当は手に持っていたいが、いたずらに冴を刺激することを怖れ、なんとか堪えた。
前置きなしに用件へと入った。早く退室したいのだ。
「金さえ積めば、お前はどのようなことでも請け負うと聞いた。儂の命令を首尾よくこなせば、仕官させてやっても良い」
冴には、眉ひと筋の動きもない。視線の刃が曇ることもない。ぶら下げた餌に食いつかぬ女に、孫兵衛は鼻横の肉が引きつった。
「瓜姫が十日後、隣国の安芸原家に嫁ぐことは知っておるな」
冴がまばたきをたて続けに二度入れた。これを返事として受け入れざるを得ないことが、癇に障った。赤黒い熱がせり上がり、荒れた声となって外に出た。
「関ヶ原の賊軍と縁を結びつもりなどないわ。だのに断れんのだ」
酒が怒りを上乗せする。
「じつの娘を差し出せば、御公儀に言い訳ができん。その点、瓜姫なら」
孫兵衛は、ふんと強く鼻から息を噴き、刀を手に立ち上がった。左足を半歩、横へと踏み出したのは酒に足元を掬われたせいだ。刀を床に強く突き、杖とする。冴に指を突きつけた。
「軍略として申しつける。瓜姫を殺せ。輿入れに従う一行を皆殺しにせよ」
「城でか」
「馬鹿かお前は。山越えの道中でに決まっておるだろう。野盗に襲われ死んだとなれば、話は流れる。安芸原のやつらにも言い訳が立つ」
背筋を精いっぱいに伸ばし、冴をにらむ。が、たちどころに顔をそむけた。
「あの畜生の娘は、この国を助けるために山から出てきたようなものだ」
かかか、と無理に笑い声をあげ、孫兵衛は踵を返した。
「薙刀指南ごときに、あれだけの金子を何故払ったか。これでわかっただろう。この命令を含めての代金だ。しくじりは許さん」
戸に指を掛け、背中のむこうに強く言った。返事をたしかめずに、孫兵衛は小部屋をあとにした。
瓜姫が冴に教えを乞うのは、今日で最後となる。二人での仕合も今日が限り。瓜姫の攻撃は以前にも増して素早く、鋭くなっている。しかし、冴に触れることはない。瓜姫が気勢を長く引き、二撃三撃四撃と木の刃を繋いでも冴は長い足を滑らかに捌き、大きな体をひらりひらりと舞わせる。柄を交えることもない。ただ、稽古を始めた当初はすぐに冴の打ちを食らい終わっていた手合わせが、明らかに長くなっている。
そして今。瓜姫の振り切った薙刀を追うように冴が袈裟斬りを見舞った。ぱしりと身を打つ音の代わりに、高く澄んだ響きが青空に吸われた。
「やった。冴の打ちを払ったぞ」
瓜姫が喜びも露わに飛び跳ねる。矢次郎も清之介も、「おお」と感嘆の声をあげていた。冴は切れ良く跳ねた目じりを和らげている。
「もしも、私と争いになっても、なんとかしのげそうだな」
「ええ、なにを言うのじゃ。嫌じゃ、冴と争うなんて」
「負けるからか」
「違う。冴とは仲良うしたいのじゃ」
言うなり長い腕を取り、瓜姫は自分の胸へと引き寄せた。
「明日はいよいよ輿入れじゃ。わたしはお家のために嫁ぐ。たまには遊びに来てくれ」
「今回の嫁入りに不服はないのか」
「あるにはあるが、わたしが安芸原の家に入れば、この国が攻められることはないだろう。なら、それで良いではないか」
ふ、と吐息にまぎれ、瓜姫は唇だけで笑った。瞼を伏せ、瞳に浅く蓋をする。
「人とは異なる産まれ方をしたのじゃ。人の輪に入るためには、なにかを辛抱せねばならん」
地面に転がる小石にむけて囁く。瓜姫が初めて見せる湿った顔だった。
「だけどやはり、好いた者と暮らしてはみたいがの」
頬にさした翳をたちどころに払い、瓜姫がにっと笑う。いたずらを思いついた子供の笑みだ。
「まあ、わたしのことは良い。それよりも、冴は嫁には行かんのか」
冴が意外な速さで瓜姫へと顔をむけた。目が少し丸い。ううん、と喉の奥で咳を払った。
「こんなに怖い女を、もらってくれる殿方はおらんだろう」
「自分で怖いとわかっておるのか」
口を横に広げて笑う瓜姫に、冴も俯き肩をゆらせている。
「冴は器量よしじゃ。その気になれば、引く手数多じゃろう。戦う奥方として、重宝されるだろうに。もしも相手がおったら、行く気はあるのか」
「ああ……、どうかな」
左右の眉を段違いにし、冴は小ぶりな頭を傾げた。
「冴が困るのを見るのは面白いの。嫁入りは年がいかぬうちが良いぞ。冴は幾つなのだ。顔はつるりとして皺などないが、やけに年を経たような趣を感じる時もある」
「さあな」
「なんだ、教えろ。もったいぶるな」
薙刀での攻めは軽々とかわすが、口ではどうも敵わないようだ。冴は苦笑いをうかべ、瓜姫の耳元に唇を寄せた。
「う、嘘じゃろ。わたしの姉だと言うてもおかしくない見栄えじゃのに。はあ、女の年はわからんもんじゃのう。わたしを育ててくれたおかたも、老けぬ質だったのを思い出すの」
刷毛で引いたようなすじ雲の伸びる秋晴れの日。瓜姫は白無垢に身を包み、漆や金の箔で飾りたてられた駕籠に乗る。
「自分で歩くぞ」と言い張るも、「お召し物が汚れます」と清之介にとめられた。
前後二人ずつの計四人で担ぐ女乗物は、瓜姫が大名の娘だと示すよう、橘に水の家紋が施されている。
矢次郎と清之介を除けば、列に付き添う十人余りの者たちは皆、城の下男だった。瓜姫が好んで顔をあわせる者たちに、孫兵衛が羽織と袴を貸し与え、侍のふりをさせている。
「せま苦しいのは嫌じゃ」
乗るなり瓜姫は戸をあけ、横を歩く清之介に笑顔を見せた。




