第九話 瓜姫 四
「冴殿。瓜姫様と打ち合い、なにか思うところはないか」
「力が強い。動きが速い。十五のおなごどころか、人だとは思えない」
即答だった。
「さすがだ。当たっておる。今から言うことは、年寄りの戯れではなくまことなのだ。信じられんとは思うが」
矢次郎は口を閉ざし、苦労して唾を飲んだ。
「瓜姫様の母は、獣なのだ。城の者は皆、猪の子だと思うておる。若殿が狩りの折に、どうやら猪の精と契ったらしい」
冴が少し眉を寄せる。矢次郎はかまわず続けた。
「樽のような体つき。力の強さ。稽古の折に見せる突進。すべてが猪を思わせる。なにより」
言葉を切り、二度頷く。自分の考えに合点がいくのだろう。
「姫様は自分で瓜姫と名乗った。猪の子を瓜坊と呼ぶのは冴殿も知っておるだろう。坊では男なので姫とした、と儂らは思うておる」
「瓜姫はいつから城にいるのだ」
「去年の冬の入りのころだな。ひとりで城を訪れ、門番に殿の子だと告げた。たわけたことをぬかすな、と追い払おうとしたところに、偶然とは恐ろしいものだ。丁度、若殿が狩りから帰ってこられた。すぐにあの時の子か、と思い当たったようだ。それ以来、儂と清之介は瓜姫様の御付きをしておる。少し変わっておるが明るいお人がらが滲み、儂や下男たちは微笑ましく思っておる」
「清之介殿もか」
「なにがだ」
「清之介殿も、瓜姫を微笑ましく思っているのか」
「ああ。年の離れた兄と妹のようだ。清之介は父も母も亡く、きょうだいもいない。遠縁の者が藩の外にいると聞いたが、お互い顔も知らんそうだ。その分の埋め合わせか、瓜姫様を可愛がっておる。瓜姫様もよく懐いておるしの」
冴は一度、唇を薄くあけたが、結び直した。言いかけたなにかを押しとどめたかに見える。次に開いた唇が発したのは、先ほど口にしようとしたなにかとは、異なる言葉なのだろう。
「瓜姫の生まれを、何故私に明かした」
「今、瓜姫様がもっとも心を許しているのは冴殿だ。あのように目を輝かせて話し、稽古するのは、本当に姉と慕っておるのだろう。城の者は皆、瓜姫様の出自を知っておる。だのに、冴殿だけがひとり蚊帳の外というのは、どうにも気の毒でな」
言ってすぐ、白髪の勝った頭が横にふられた。
「ああ、済まぬ。儂は古い男でな。余計な気遣いをしてしまう。差し出がましい口入れをお詫びする」
「頭を上げてくれ」
ほんの小さくだが、切れ長の目に笑みの線が入っていた。
「私が見るに、清之介殿と話をする時も、瓜姫は目の中に星をまたたかせているぞ」
すうっと音をたて、矢次郎が前歯の隙間から息を吸う。遠くへと目を遣った。
「そう……かの。儂はまるで気がつかんが」
「それに瓜姫は猪ではなく」
「そこの二人、頭が高い」
冴の言葉が、調子の外れた甲高い声で遮られた。
「孫兵衛様」
声でわかったのだろう。矢次郎は振り向きざまに両の膝を地につき、頭を垂れた。冴は馬に乗った小粒な男に目を据える。
「お、女。控えぬか」
粒の小さな男の声は、ふるえていた。冴はなにも言葉を返さず、馬上の家老に歩み寄る。一歩毎に殺気の棘が増す。
馬が落ち着きなく足踏みをし、冴と距離を取りたがる。孫兵衛は手綱を引き、馬に留まれと命ずるが、本心では自分もさがりたかった。
屋外で人と話す時、この痩せ家老は好んで馬に乗った。馬の高さを利用すれば、小がらな身でも地に足をつく者を見下ろすことができるためだ。しかし、間近で見る冴は、馬にまたがっていても顎を上げなければならなかった。
「こ、古今無双の遣い手と聞いたが、二十歳かそこらの若輩ではないか」
怯えを塗り隠し、さらには自らを鼓舞するために尊大な口を利いた。が、やはり声は上ずり細かくゆれる。
見栄も体裁もない獣のほうが正直だ。怯えの極まった馬は、冴に尻をむけた。すぐさま逃げる。孫兵衛は馬の首にしがみつく。蹄が地を蹴る音の合間に、細く高い笛のような悲鳴がはさみこまれていた。
「戦で何度、あの情けない声を聞いたことか。今では、あのような男が出世をする。槍一本に拘る儂は、やはり古い男だ」
冴の足元に、老いの兆した溜め息が落ちた。
稽古の仕上げは毎回、二人の立ち合いだった。
石垣に跳ね返る気勢。空を切る薙刀。大きな踏みこみ。瓜姫が攻めるたびに音がたつ。
冴は静かだ。流れる水さながらの足運びは、足裏が地を擦る音すら生じない。
今日こそは、と瓜姫は渾身の力で木の刃をふる。前庭の端で見る清之介の耳に、風のうなりが入るほどに鋭い。大きな体がひらりとかわす。重みをまるで感じさせない。
苛烈な打ちこみには、得物同士のぶつかり合う音がつきものだが、それもない。冴は瓜姫の薙刀を一切受け止めず、すべて空振りに終わらせる。
上から下。下から上。横、斜め。自在に薙刀を扱い、瓜姫は攻める。突進をくり返したのは過去の姿。単調さは失せ、刃の動きは多彩になっていた。体は泳がず、腰が見事に据わっている。たった二か月でよくぞここまで。と清之介は瓜姫の上達ぶりに驚嘆した。
瓜姫の持って生まれた才もあるだろう。だが、自分たちでは十分に天稟を引き出せなかった。
冴は強い。人とは思えぬほど強い。加えて、人の才を存分に生かす力を併せ持っている。一戦後に、矢次郎は冴を毘沙門天か龍神か、と言った。清之介も、冴は武を司る神なのではないかと感じていた。
冴の残像にしか届かなかった横薙ぎから、返しの刃を入れようと瓜姫が踏みこんだ。冴のふりが脛を払う。丸い体が宙にうき、背中から落ちる。
瓜姫との手合わせで、冴は一度だけ薙刀をふる。それが必ず当たるのだった。
「ああ、今日も冴を追いきれなんだ。でもな、いつもより長く、立ち合うことができたな」
稽古着についた土埃を掌で落としながら、瓜姫は笑う。冴も眉をゆるめ頷いている。
笑みを交えながら武芸の鍛錬をする。清之介には信じられなかった。冴の師も、同じような致し方で冴に稽古をつけたのだろうか。
「冴よ。わたしの打ちこみをどうしてああも簡単に避けることができるのじゃ」
「起こりが丸見えなのだ。肩や肘、膝、目、切っ先や呼吸。あらゆるところから、さあいくぞ、と合図を出している」
「たしかにのう。冴の打ちはいつ来るのか、まったくわからん。気づいたら、もう打たれとる」
「瓜姫の場合は、とくにここだな」
冴が片膝を地につき、丸い肩に手を置いた。長い指でやわらかにさする。
「気合いを乗せ過ぎだ。ここで力の流れが詰まり、起こりを生んでいる。力を出したければ、力を抜け」
「なにやら禅問答のようじゃな。ようわからんぞ」
切れ長の目が穏やかに細くなる。
「できるようになると、なんのことかわかる」
「冴もそうじゃったのか」
ああ、と返した後に唇が笑みの形をとる。風が吹き、冴の垂れ髪がゆれた。
「そうか。じゃあわたしも気張って、できるようになるかの」
「変に気張ると流れが詰まるぞ」
「あはははは。そうだな。かるーく、団扇で蛍を追うみたいにやってみるか」




