第九話 瓜姫 参
修錬館から歩み出た清之介の手には九尺の樫の棒が二本。刃に相当する部分に綿入りの布が巻きつけられている。瓜姫の稽古用に作られた木製の薙刀だった。
「冴のあの変わった槍も使えるようになりたいが、武家の奥方といえばやはりナタナギじゃ」
瓜姫はにっと笑い、白い歯を見せる。冴がほんの少し眉を上げた。つい先ほどの仕合で見せた険しい顔が嘘のように払われている。
「ひっくり返して言うなら、タナギナではないのか」
「あああ。言われてみればそうじゃな。うーん、すぐにはひっくり返した言葉が出てこんから、ナギとナタだけひっくり返してナタナギで良い」
「随分といい加減だな」
「冴はめちゃくちゃ体が大きいわりに、案外に細かいな」
またにっと笑うと、肩慣らしなのか。瓜姫は棒で空気を薙ぎ始めた。足腰が定まり、体の軸にゆれがない。棒の先端が短く鳴るのは、ふりが鋭い証拠だ。小ぶりな酒樽を思わせる胴体からは、想像もできない機敏さを瓜姫は披露した。
「イセ、わたしの動きはどうだ」
自分でも満足しているようだ。声が明るい。
「見事です」
簡潔な褒め言葉を受け、頬がきゅっと音をたてそうな勢いで上がる。清之介はひっそりと目を細めた。
とても敵わない。もしも、命を懸けた戦いの場で、このおかたに刃を打ちこむ隙ができようとも、自分は動けない。手に掛けるのであれば、自らが果てる道を選ぶ。
瓜姫は薙刀を立てて地に当て、石突を高く鳴らした。
「では冴。手合わせ願おう」
老若の侍は袖が触れるほどの距離で隣り合い、お転婆姫の立ち合いを眺める。矢次郎と清之介の間に緊迫の気配が薄いのは、冴から殺気が感じられないためだった。
「矢次郎様。冴様との打ち合いは、どのようなものでしたか」
「まったく歯が立たない。風や水の流れを相手にしているようだった。最後は体ごと跳ね上げられたが、剛力よりも動きの精妙さに舌を巻いた。ほれ、あれだ」
矢次郎が目で示した先では、薙刀を抱えて突き掛かる瓜姫を、滑らかにかわす冴がいた。
「瓜姫様の突きは速い。来るとわかっていても受け切れぬものです。ああも容易くよけるとは」
一度外した程度では、瓜姫の足はとまらない。すぐさま構えを整え、また冴の懐に飛びこもうと直進する。冴の大きな体は風に吹かれた薄絹のように舞い、瓜姫の薙刀に空を切らせる。
「今、冴殿は体を捌いて避けているだけだ。儂の時はあそこに攻めが入っておった」
「よく見ていたつもりでしたが、冴様が攻撃しているのはわかりませんでした」
「殺気を飛ばすのだ。そのたびに、喉や胸にひやりと寒気が走った。冴殿にその気があれば、儂はそこでやられておったはずだ」
瓜姫は止まらない。どんなに攻め続けても息があがらないのは、瓜姫の強さのひとつだった。
「儂は、冴殿の思うがままにあやつられておった。ふと目から殺気が消える。すると、いかんとわかっていても攻め入ってしまうのだ。人と槍を交えている気がしなかった。毘沙門天や龍神と戦うと、ああなるのだろうな」
それにしても、と矢次郎は修錬館前庭の戦いを指さした。
「猪突猛進とはよく言ったものだ。あのことは、冴殿には伝えたのか」
「いえ、まだ。拙者は知らせなくても良いのでは、と思うようになりました」
何故だ、と無言で矢次郎が問うた。清之介と矢次郎。親子ほど年が離れているが、気心の知れた仲だった。
「冴様は、瓜姫様の戯れ言に機嫌を損ねるでもなく、軽妙に受け応えなさっています。瓜姫様の突拍子もない言動は、人と猪の間に生まれたからだと断りを入れずとも大丈夫かと」
「たしかに。噂を耳にする限りでは、冷たく険しい人物かと思っておった。まるで違ったな」
しかし、と矢次郎は言葉を継ぐ。
「冴殿は、この勝負をどう始末つけるのだろう」
矢次郎の懸念が聞こえたかのように、冴の動きに変化が生じた。今まで受けるいっぽうだった冴が、薙刀をふったのだ。瓜姫が突き掛かるまさにその時。綿入れでくるまれたやわらかな部分で脛を払った。
背中から落ちた姫はすぐさま立ち上がり、前に出ようとする。また、脛に薙刀を食らう。ここから先は、瓜姫が立つ。冴の払いに転がされるのくり返しとなった。
「参った。ここまでわたしをこてんぱんにやっつけるとはなあ。冴は強いのお」
梅雨明けから一か月も経てば日差しは強さを増し、蝉の声も厚さを増す。
「もとが野山の生まれじゃ。外のほうが良い。気が晴れる」
一日のほとんどを城内の御殿に押しこめられているのだから無理もない。瓜姫は館外での稽古を好んだ。早朝と夕暮れ前の稽古には、草鞋の緒を締め庭へと顔を出す。常に清之介が付き添っていた。
冴も御殿に住まうはずだったが堅苦しいと断り、修錬館の小部屋で寝起きしている。日中、清之介や矢次郎が立ち寄る外は、冴を訪れる者はいない。城内に得体の知れぬ武芸者が住み着いた。多くの家来にとっては、その程度の捉え方だった。
「筆頭家老の孫兵衛様は、武辺の者を毛嫌いされておってな」
矢次郎は国の武芸指南役に就いていながらもそのじつ、瓜姫の世話役だ。かつて戦で武功をたてた者への冷遇ぶりがよくわかる。合戦ともなれば、抜群の働きを予感させる清之介も然りだ。
大殿亡き後、孫兵衛は出来の悪い若殿をあやつり権勢を伸ばした。武辺者、古くからの忠臣、過去の功名を誇る者はことごとく閑職へとまわす。姫の稽古ともなれば多くの御付きが世話を焼きそうなものだが、傍にいるのは清之介と矢次郎のみ。瓜姫もまた、軽んじられていた。
「あやつは孫兵衛ではなくゴマベエだ。胡麻みたいに細かいことばっかり言いよる。胆も器も胡麻のように小さい。あれで戦に出ておったとは、信じられん」
冴とともに道具を片づけながら、瓜姫は鼻の頭に激しく皺を寄せた。稽古の後は清之介に薙刀を手渡していた瓜姫だが、冴が自分で柄を磨き、壁にしつらえた槍掛けへと戻すのを目にしてからは見習うようになった。
今、修錬館の中にいるのは四人だけ。瓜姫は冴に気やすく話し掛け、冴は険しさを薄めた顔で顎を縦にふり、時折なにやら短く答える。
清之介も矢次郎も、この二人を姉妹のようだと思っていた。見た目や感情の起伏など、冴と瓜姫では大きく異なる。だが、どこかが似ているのだ。
瓜姫は人のかたちをしていても、人ではない。冴は人とは思えぬ剛力と強さを持つ。背丈や目に宿る鋭さも尋常ではない。人とはなにかが違う。冴と瓜姫に、老若の侍は同じにおいをかいでいた。
片づけも終わり、瓜姫は御殿へと戻る。清之介が姫の後ろに付き従う。矢次郎は冴の右に立ち、二人の背中を見送る。冴には横顔を見せたまま、矢次郎が言葉を宙に放った。
「清之介は伏せておこうと儂に言ったことなのだが」
肚の据わった矢次郎にしては、歯切れの悪い物言いだった。




