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第九話 瓜姫 弐

 清之介と矢次郎、二人の御付きは同じ拍子で長く息を吐いた。いつものお転婆への呆れと、冴が受け入れたことへの安堵の息だった。

 瓜姫は顔を突き出し、冴の間近で目を凝らす。冴は邪魔にするでもなく、瓜姫のしたいようにさせている。清之介は、わかりやすく喜んでいる姫に可愛げを感じていた。

「瓜姫よ」

 なんじゃ、と答えるも冴の刀から目を離さない。

「清之介殿はイセ。矢次郎殿はジイヤ。名前を言い換えるようだが、私は冴のままなのか」

「イセはお伊勢様のようで晴れやかじゃ。矢次郎は年寄りだからジイヤでぴったりじゃ。冴はエサ。なにやら馬に食われてしまいそうで良い響きではない」

「それなりの理屈があるのだな」

「うん。それよりも冴。鞘の紋が流水じゃな。あとの模様は隠れてちと見えんが」

 瓜姫の丸みを帯びた短い指が、刀の鍔のあたりをつつく。

「うちの紋は橘に水じゃ。似とるの」

「やめなされ。人様の刀に触れてはいかん」

 矢次郎が瓜姫の手首を慌てて掴む。冴は表情を変えずに腰から刀を外した。鞘は払っていない。瓜姫の手に刀を置く。

「ほら、これで見えるだろう。馴染みの職人が作ってくれたのだ」

 丁寧で、堅牢な作りの鞘だった。艶を抑えた黒の漆に、金の箔で家紋が押されている。武芸者である矢次郎も、つい覗きこんだ。好奇心を持たなければ、この先の騒動は起こらなかったのだが、後の祭りだ。

 矢次郎が大きく息を吸った。驚きの声が胸に呑みこまれる。手をふるわせながら伸ばし、刀を取る。今しがた、人の刀に触れてはいけないと瓜姫に物申したところだ。

「何故、この紋を冴殿が」

「父が作った紋だと、母から聞いた」

「なんと」

 矢次郎の口は開いているものの、音が出ない。一度きつく目をつぶり、頭をふった。

「父上の名は」

 気を取り直したのだろうが、まだ声にはゆれが残っていた。

「龍田左兵衛ではないか」

 次は冴が息を呑む番だった。

「冴殿の父上を討ったのは、儂だ」

 二人は唇を真一文字に結び、互いの瞳の奥の色をたしかめた。切れ長の目はまばたきをとめ、古傷の走る目じりには蝉の声が沁みた。二人の間をゆるい風が抜け、青葉の香りを残す。

「ジイヤは十六の初陣で、昇り龍の如く勢いのある武者の首級をあげたらしいぞ」

「姫様。今はお静かに」

 清之介はたしなめるが、これが幸いだった。瓜姫の誇らしげな声が緊迫の見合いにほころびを与え、矢次郎の口を縫いつけていた糸を切った。

「清之介。国の武芸指南役として命ずる。槍を二条、ここに。冴殿の腕を見ずして、瓜姫様の師とするわけにはいかん」

 好んで争いを仕掛けるお人ではない。なにかきっと考えがあるはず、と素早く動揺を抑え、清之介は修錬館へと足をむけた。だが、新たな指示には動きが止まる。

「稽古用でなく、本身を。本身でなければ、真の力はわからぬ」

 清之介が言葉をはさむ前に冴が言う。

「ならば私は自分の槍を振るおう。門番に預けた十文字槍を返してくれ」


 これから始まる前庭での立ち合いを見るのは、清之介と瓜姫のみ。只事ではないと察した清之介は、門番を追い返した。城内の片隅に建つ武芸の館に気をむける者はいない。

 矢次郎は素槍を腰だめに構え、冴は十文字槍の刃先を地につかんばかりに下げている。正面から女武者をとらえようとする古兵の視線とは対照的に、冴は視線を槍同様に下げていた。

「もし仇と思うなら、この場で儂を討って構わぬ」

 告げた覚悟が、前庭を硬質な膜で覆った。

 矢次郎。六十歳にまであと数か月。気迫、腰の据わり、肩や足の線に老いは見られない。ひと目で武芸に秀でた者とわかる。

 だが、手合わせが始まってすぐ。清之介は目を疑った。人には言わぬことだが、清之介は城内でも指折りの遣い手だとの自負があった。瓜姫には敵わぬと冴に言った。それは、腕が劣るせいではない。力量において、明らかに負けるのは矢次郎のみ。その矢次郎が、翼をもがれた鷹のように精彩を欠いている。

 いっぽうで、冴は凪いだ水面の如く静かだ。古強者の攻めを最低限の動きで受ける。柄で穂先を逸らし、あるいはわずかに体を開いて空を切らせる。

 冴の懐に飛びこんだ後に槍を繋げず、すぐさま間合いを切る姿に清之介は首を捻った。

 二撃、三撃と破竹のように攻め通す矢次郎ならではの動きが、まるで見られない。

 と、強い風に真っ向から吹かれ、清之介は瞼を閉じた。頬に冷たい汗が伝い、風と感じたものは殺気だとわかった。

 清之介が目を前庭に戻したのは、冴が矢次郎との距離をひと息に潰した後だった。十文字槍の横刃を用い、素槍を巻き落とす。勢いを殺さずに迫り、古兵の腹に石突を打ちこんだ。

 そう見えたのは清之介の錯覚だった。冴の踏みこみの速さと殺気が、命を断とうとして見せたのだ。そのじつ、左右の足の間に柄をもぐりこませたに過ぎない。

 股座に差しこんだ槍に乗せ、矢次郎を真上に跳ね上げる。両手で持った槍を頭上にかざす冴を越え、古武士の体は宙にうく。二階家の屋根に届くほどの高さだ。

 あそこから落ちれば、打ちどころ次第では死ぬ。

 下敷きになってでも救おうと飛び出した。が、三歩と進まぬうちに清之介は動きをとめた。冴が掌を立てている。十文字槍を捨て、両腕を大きく広げた。山の頂を舞う、大鷲のような雄大さだ。顎を上げ、矢次郎の落下点へと足を進める。

 大人ひとりの体を受けとめながらも、冴はかすかに膝を曲げただけだった。まるで投げ渡された藁束を受けたような仕草だ。

「気組みも腕もたしかだ」

 呆気にとられる矢次郎に冴が言う。

「父は、良い武者に討たれたのだな」 

 冴は左膝を地につき、丁寧に降ろした。矢次郎が両足裏で土を踏み立ちあがっても、冴は膝を上げなかった。今、両者の目の高さはほぼ同じ。冴の次の動きで、矢次郎が高さで上回る。冴が深く頭をさげた。

「この手合わせ、私の勝ちで良いか」

「頭を上げてくれ」

 礼の交換のように、矢次郎が腰を折る。一拍後に起こした体は、胸が張られていた。

「さすがは天下無双。負けても気持ちが良い」

 両者無傷で勝敗が決し、前庭を覆っていた硬い膜は速やかに消えた。

「あれま、ジイヤがやられてしもうた。冴、わたしとも手合わせせい」

 瓜姫がにぎやかさを取り戻した。

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